福原愛の「卓越した中国語センス」

2016/9/28

福原愛の聡明さ

9月21日、卓球の日本代表選手・福原愛が、卓球男子台湾代表の江宏傑選手と結婚記者会見を行った。
日本に続いて台湾で行った結婚会見の模様を台湾のテレビで見ていて驚かされたのは、彼女が台湾で話される中国語をそれなりに使いこなし、さらにうまく使いこなそうと努力していることが見て取れることだった。
もともと彼女が学んだのは中国・東北地方の中国語であり、同じ中国語でも南方のものとは発音や語感にかなり細かい違いがある。
外国人には相当に難度の高いこの作業を、スポーツに打ち込みながら、その年齢でやってのけるのは、彼女の本来の語学の天分に加えて、「言葉」の与える印象の重要性を、その豊富な海外体験から深く認識しているからではないだろうか。
彼女の聡明さは、一度でもインタビューをしたことがある人間ならば誰もが感じるところである。
決して他人を攻撃したり、傷つけたりすることは語らない。常に自分に対する反省や不満を語りながら、さりげなく目標についても語っていくスタイルだ。
負けた時はひたすら自分を責め、勝った時は同僚をたたえる。それはリオ五輪で日本人が改めて目撃したところだ。

愛される一因

だが、時に悲壮感さえ漂う日本の視聴者向けの姿に比べて、中国語を話す時の彼女は、もう少しリラックスしている印象がある。
中国の中央テレビに向かって、いろいろジョークをまじえて楽しそうに語っているところを見ていると、外国語を話すこと自体を楽しんでいるようにも見える。
4年前に彼女にインタビューしたことがあり、中国語をどうやって学んだのかと聞いたが、ほとんど現地での付き合いを通じながら学んだということだった。きっと外国語を話すこと自体が好きな人なのだろう。
彼女は中国の東北地方にある遼寧省瀋陽のプロチームに所属してトレーニングを受けて試合にも出ていたので、身に付いていたのは、いわゆる「東北腔」(東北なまり)の中国語である。
中国のテレビのインタビューやコメントを語る時は常にこの「東北なまり」で語っており、そこがまた可愛いと中国の民衆から愛される一因になった。
東北なまりの中国語の特徴の一つは巻き舌がかなりしっかり行われていることで、なんにでも語尾に一回聞けば忘れられないような巻き舌の「er」音がついてくることが多い。
リオ五輪でのビデオを見ていても、この東北なまりの中国語を福原愛は使っていたようだった。
しかし、結婚記者会見での福原愛は、ほとんどこの巻き舌を発音していなかったし、できるだけ、台湾人である夫に近い中国語を話そうとしていた。
それでも台湾人からすると少々「大陸の人の中国語」という感じもあったらしいが、気になるほどではなかったようだ。言葉の聞き取りは主観的なところがあるが、東北なまりのもう一つの特徴である声調の「一声」が低くなるところなどもあまり感じなかった。
福原愛が意識的に台湾に適合した中国語を使っていたのか、あるいは、すでに台湾人である夫との交際の仲で自然に学んだのかは、本人に聞かないと分からない。
これをもし福原愛が意識的にやっていたとすれば、「台湾は台湾、中国は中国」という独自意識が主流化している台湾社会の中国に対する複雑な感情を理解しているからだろう。
もしかすると誰かがアドバイスしたのかもしれないが、それでもそれなりに様になる形で実行できるのは容易なことではない。
得てして語学は最初に習得した地方のスタイルに一生影響を受けるもので、夫との会話で学んだとしても「転換」は必ずしも容易ではない。
日本で結婚会見を行った翌日の9月22日、福原愛は夫である江宏傑の出身地でも記者会見を行った

中国語の複雑な言語環境

語学に必要なのは、好奇心と聡明さと継続力であると、私は常々思っている。
福原愛が東北なまりの中国語を巧みに操れるようになったのもきっとこの資質があったからだろうし、今回、語る言葉が台湾なまりの中国語に近づけたのも、夫との短い期間の付き合いから素早く学び取ったからに違いない。
その前提として理解しなければならないのは、しばしば日本人には誤解されがちな中国語の複雑な言語環境である。
中国語は、普通語(標準語、マンダリン、台湾では北京語と呼ぶ)における地方ごとの「なまり」の世界と、歴史的民族移動の経緯などによって形成された多様な方言の世界の二重構造になっている。
前者の「なまり」の世界には、東北なまり、北京なまり、四川なまり、山東なまりなどいろいろ地域ごとに特色があり、日本における関西弁、東北弁、九州弁などをイメージすればいい。このなまりだけでも我々外国人はヒアリングで結構苦戦するものである。
一方、香港や広東省で語られる広東語や上海語、福建語(または閩南<びんなん>語、台湾では台湾語)などの方言は、文法と語彙こそ普通語との共通性はかなり残っているが、特に発音体系がまったく違っているため、異なる集団の人間にとっては聞き取りが不可能だ。外国語に近い世界である。
こうした方言を学ぶことは、香港における広東語や、台湾における台湾語のように(広東語ほどではないが)、現地での生活や仕事において、しばしば必要になるが、その習得には少なくとも日本人ならば数年は費やすだろう。
福原愛も挨拶で「私は福原愛」の「私は(我是)」だけを標準語の「wo:shi」ではなく、台湾語の「goa:si」と語るだけだった。
ただ、台湾の人々にとってはそれだけでも十分にフレンドリーなメッセージになることは言うまでもなく、会場の記者たちの間にはその瞬間、笑いとざわめきが広がったという。

ぐっとくる言葉

彼女の言葉のなかには台湾人が喜びそうな単語がいくつも込められていた。
例えば「我嫁給台灣人(私は台湾の方に嫁ぎます)」などは、台湾の人からすれば思わずぐっときてしまう言葉である。
特に、日本女性に対する憧れの強い風土であり、ドラマや映画では、日本人女性と台湾人男性の恋愛は普遍的に取り扱われている。そんな台湾人のカタルシスを見事に撃ち抜く一言だった。
さらに「夫・妻」を意味する「老公・老婆」という言葉も使っていた。
中国語の伝統的な言い方では「先生・愛人」「丈夫・妻子」になり、「老公・老婆」はもともと香港や台湾で使われていたくだけた表現である。
台湾では非常に幅広く使われているし、これは異なる意見もあるかも知れないが、筆者の感覚では、中国では会見などの公の場では「老公・老婆」はそれほど使われないし、使ったら少し田舎っぽいと思われるかもしれない。
ただ、それをあえて「老公・老婆」が普遍的に使われている台湾での会見でばっちり使っているあたりも感心させられた。
日本語でも、関西や九州で、その地方の言葉をちゃんと学ぼうとする外国人がいたら無条件で好感を持たれるものである。

日本の宝になる

台湾では、自らが小さな島に過ぎないという心理的コンプレックスがある。
そんなところに、いきなり遠い東北なまりの中国語で通せば、反発は出ないだろうが、ある種の距離感を持たれたかもしれない。私自身そこを少し心配していた。しかしそれは杞憂だったようだ。
福原愛が会見などで見せる「言葉」に対する鋭敏なセンスは、最前線の国際社会で動くビジネスパーソンや外交官にとっても対人コミュニケーション上、学ぶべきところが大だ。きっと福原愛は、今後の日中、日台交流のなかでも日本の宝になるはずである。
(バナー写真:ロイター/アフロ)