読売新聞、三菱商事、BCGを経て起業、堀紘一の流される人生
2016/10/15
ドリームインキュベータ会長の堀紘一氏は、東大法学部を卒業後、読売新聞に入社し、転職が珍しかった時代に三菱商事に転職した。ハーバード・ビジネススクールでは成績上位5%の生徒に与えられるベーカー・スカラーを日本人で初めて受賞。ボストン コンサルティング グループ(BCG)に転じて日本支社のトップに就任する。55歳のとき、ベンチャーを支援する戦略コンサルティング会社を創業した。
経歴だけを見ると順風満帆だが、「迷い、挑戦し、壁にぶつかり、失敗し、また挑戦し、という半生」と語る。人に導かれ、流されながら挑戦を続ける堀氏の半生、全21話を公開。
ナベツネに脅されて読売新聞へ
「とにかく読売に来い」
「行きません」
「バカ野郎、おまえ、俺を誰だと思ってるんだ。渡邉恒雄というんだ」
いまでこそ渡邉恒雄といえば有名だが、当時の彼は政治部のデスクか次長程度で、大して世間に知られた存在ではなかった。それが、
「てめぇ、もし朝日なんかに入ったら、この業界では生きていけないようにしてやるからな」
といってすごむ。しぶしぶ読売新聞に入ることにしたが、それが大間違いだった──。
三菱商事に入って運が開ける
京大に行きたかったのが東大になり、朝日新聞に行きたかったのが読売新聞になる。
そして、いままた丸紅が三菱商事になった。
方向性は同じなのだが、なぜかすべて微妙に変化するのである。
しかし三菱商事に入ったおかげで、だんだん私の運は開けていく。
三菱商事に入ってみると、聞いていた通り、実にいい会社だった──。
「死にたくなければ勉強しろ」
ハーバードでの授業が始まった。
そのとたん、「また俺の人生で何回目かの失敗だ」と気がついてしまった。
「お前ら、いままで優秀だとか褒められてきたかもしれないけどな、ここは天下のハーバードだ。いままで、どれだけの人数が落第して自殺したか知ってるか。死にたくなければ毎日授業以外に最低16時間は勉強することだな」
学校の授業が正味4時間。それ以外に16時間勉強すると、合計20時間になってしまう。
ナポレオンのように睡眠3時間だとしても、トイレに行ったり、シャワーを浴びたりする時間はどうするのか──。
BCG創業者との出会い
人生に転機となる人物との出会いがあるとすれば、私の場合、BCGの創業者ブルース・ヘンダーソンとの出会いがそれだろう。
「お前は5年後の世の中がどうなっているかわかるか」
「わかりません」
「ほんとうに愚か者だな。たった5年先が読めないやつに、コンサルティングを頼む人間がいると思うか」
「ではお聞きしますが、あなたにはわかるのですか」
「もちろんわかる。いま世の中にあるものは、すべて5年前には予兆があったものだ。影も形もなかったというものは一つもない。それが見えている人といない人がいるということだ」──。
人生は思い通りにならない
人生とはいったいなんだろうと考えこんでしまった。思い通りにならない、はかないものだという思いがこみあげてきた。
そのとき、55歳だった。
まだ何かを新しく始めて、成し遂げることはできる。うまくいくかどうかはわからないが起業しよう。
そう思って2000年に設立したのが、ベンチャーを支援する戦略コンサルティング会社のドリームインキュベータである──。
中小企業の社長に「卑怯」と言われて
「堀さん、あんたは卑怯だ」
中小企業の社長さんとのやりとりだ。卑怯と言われては聞き捨てならない。
「私のどこが卑怯なんでしょうか」
「本当にあなたのような知恵がほしいのは、われわれのような中小企業なんだ。ところがあなたは大企業の応援ばかりして、中小企業の応援は全然してくれないじゃないか」──。
イギリスでの小学生時代
小学校1年生のとき、家族でイギリスに移住し、イギリスの私立小学校に通っていた。
「あいつはジャップだ」とイギリス人の少年3人が口々に叫びながら石を投げてくる。いくつかの石は私の頭や顔に命中した。
ショックだったが、彼らを恨む気にはならなかった。なぜならイギリス人の少年たちが日本人を憎む理由が、なんとなく理解できたからだ。
日本人が白い目で見られていた時代である。学校にも友達は1人もいなかった──。
体罰も民主主義
大きな木製の定規で、先生が生徒の尻をたたく。
その前に、先生が一人ひとりの生徒に向かって、「横がいいか、縦がいいか」と聞く。
どちらも痛いことには変わりがないが、たたかれる本人に選択権を与えるのだ。
「さすがは民主主義の国だ」と変なところで感心してしまった──。
日本人に欠けている能力
海外との比較で思うことは、日本人はサラリーマンとしては優秀である、ということである。
サラリーマンとは何かというと、言われたことをきちんとやる人のことをいう。
しかし経営者やリーダーは、言われたことをやるのではない──。
外国で学ぼう
なぜ、こんなことになってしまったかといえば、ひとつは教育が原因だ。
日本は教育から変えなければいけない。
しかし教育の変革には時間がかかる。
だから若い人たちは、外国へ行って学んできてほしい──。
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:長山清子、撮影:遠藤素子)