キーパーソンに聞く「福岡は日本の“西海岸”になるか」(後編)

2016/9/27
テクノロジーを活用した地方創生の新たな試みとして、日本IBMが今年5月にスタートした「イノベート・ハブ 九州」。首都圏にはない文化や産業、人材による新たな価値創出を支援するプロジェクトの舞台に選ばれた“九州”のユニークネスとは一体何か? 地方で胎動するイノベーションの潮流について、キーパーソンたちに聞いた。
※前編はこちらから。

福岡のアカデミック、大学発ベンチャーの活力

自治体による政策の柱として「スタートアップ支援」を提唱している福岡市は、一方で産学官連携による大学発テクノロジーベンチャーの育成にも注力している。目下、その最大の成果といえるのが、九州大学最先端有機光エレクトロニクス研究センターからスピンアウトした「 Kyulux」だ。
九州大学は2012年、「TADF」と呼ばれる革新的な有機EL材料の開発に成功した。Kyuluxは、九州大学が保有する有機EL発光材料に関する50以上の特許を集約し、TADFを独占的に製造・販売できる権利を保有する大学発ベンチャーとして、2015年に創業した。
このKyulux創業のキーパーソンが、TADFの開発を手掛けた九州大学の安達千波矢教授であり、そのKyuluxに出資を実行し資金的なサポートを行ったのが、九州における産学連携ファンドを運営しているQBキャピタル代表パートナーの坂本剛氏だ。

安易な産学連携には意味がない

──まず安達教授の研究グループが開発に成功した、新しい有機EL材料について教えてください。
安達:僕は30年以上、第1世代から有機ELの研究をやっていますが、今回のTADFは第3世代。ものすごくわかりやすく言うと、100%の量子効率で電流を光に変換できる画期的な発光材料です。
これまで、高効率な有機ELを実現するためにはイリジウムや白金などのレアメタルを含有する有機化合物が必要でしたが、TADFは炭素、水素、窒素、酸素の4元素のみからなり、身の回りにある洗剤に含まれる蛍光増白剤と同じような分子構造を持っています。
針の穴に糸を通すような絶妙な分子設計に成功し、電流を100%の量子効率で光に変換できる“究極の有機EL発光材料”です。研究者の間でも「実現は絶対に不可能だ」と言われていましたが、必ずできると諦めずに研究を続け、ゼロから1を生むことができました。
安達千波矢(あだち・ちはや)九州大学 工学研究院 応用化学部門 主幹教授。最先端有機光エレクトロニクス研究センター(OPERA)センター長。1991年に九州大学大学院博士課程修了後、リコー入社。信州大学助手、米プリンストン大学研究員、千歳科学技術大学助教授などを経て2005年から九州大学教授。
──その研究成果を、「Kyulux」に移転して事業化された背景を教えてください。
安達:僕は、大学と企業がタッグを組むタイプの産学連携には疑問があります。最近は、本来なら企業でやるべき応用研究を大学に持ち込んで、すでに芽が出た技術を寄せ集めて1を100にするような開発をしようとするケースが非常に多いんですよ。
もう一つの問題は特許の維持です。10年くらい前まで、僕も相当な数の産学連携をやりました。いろいろ特許も出願しましたが、大学は特許を維持する予算が不十分なので、結局、企業に譲渡するケースが多い。日本の大学では、数百万円の共同研究費で知的財産を企業側に譲渡してしまうことが多く、米国流の産学連携の在り方をもっと導入した方がいいと思います。
僕らには“未来を変える新しい材料やデバイスを作りたい”という強い思いがあり、まだ形になるかどうかもわからない要素技術や基礎テクノロジーを研究して、ゼロを1にすることで一気に突破口を開くことを目指しています。今の企業は時間のかかる基礎研究には、なかなか投資ができない。だからこそ大学の役割なんです。
そこで出た成果は、大企業に技術移転するケースもあると思いますが、大学発ベンチャーを立ち上げて、実際に研究に関わった若い大学院生たちが自らベンチャーを動かしていく流れが定着することが理想的です。この流れを作れれば、日本のアカデミックの立ち位置と起業の世界は大きく変わるはずだと思います。
坂本:私も長年、産学連携、特に大学発ベンチャーの支援に携わってきましたが、成功しているのは、応用研究より基礎研究をベースにし、その事業化を目指す大学発ベンチャーのほうが多いのではないでしょうか。
大学発ベンチャーは、大学の「知」を社会に還元する1つのビークルであり、大学には大学にしかできない役割があります。一方で、われわれのようにリスクマネーを供給する機能だとか、事業化の部分については、それぞれの領域のプロが担う。それが産学連携に必要な役割分担だと思います。
さらに「官」との連携でいうと、大学が手の届かないところを行政がサポートできれば、ゼロから1が生みやすくなる。数年前から、福岡ではその流れがうまくいき始めている感覚があります。
坂本剛(さかもと・つよし)1989年九州大学工学部卒業後、リコー入社。中小企業、ベンチャー企業勤務を経て、九州大学知的財産本部特任准教授。その後、産学連携機構九州(九大TLO)代表取締役。2015年、産学連携機構九州、西日本シティ銀行などの出資によるVC「QBキャピタル」の代表パートナーに就任。そのほか、九州大学産学連携センター客員教授、Kyulux社外取締役を務める。

福岡の大学にあるモノ、足りないモノ

──安達先生はKyuluxの技術アドバイザーという立場で、経営にはタッチされていませんね。
安達:大学の教員は自分の生み出した技術には強い思い入れがありますので、自ら社長をやってしまうケースがありますが、大学における研究と事業化は世界が大きく異なると感じます。
プリンストン大学にいた頃、第2世代の材料開発に成功したForrest教授がベンチャーを作りました。当初は技術的には多くの欠陥があったのですが、リーダーシップを持ったCTOの元に、ニューヨークから有能な弁理士が、一流の銀行からはCFOの人が集まり、短期間で5人、10人と、各領域のトップクラスの人たちが集まってきました。
超一流の彼らが集まり真剣に議論を行うことで、短時間で、ものすごい勢いでビジネス戦略が立ち上がっていく。そのうちに技術自体も同時に向上していって、本当にそのスピード感には驚きました。優秀な人材を集めることがいかに大切かを痛感します。
結局、シリコンバレーが強いのは何故かと言ったら、世界中からトップクラスの優秀な人材が集まってきているから。だから僕がやりたいのは、福岡に優秀な人材を集め、シリコンバレーみたいな場所にすることです。
福岡は海に面した土地で山が迫っており、そのためにコンパクトで、商業、大学、空と陸の交通インフラ、文化、自然が1カ所に集積し、すべてがそろっている。人と人が融合するにはもってこいの場所です。グローバルな先端研究開発の拠点にして、優秀な学生や留学生たちが思い切って仕事ができる環境になれば、大学発ベンチャーのエコシステムが作れると思っています。
Kyuluxは行政からの公的支援に加え、ソニーとパナソニックの有機ELパネル事業を統合したJOLED、韓国のサムスンディスプレー、LGディスプレーなど国内外の大手企業からも出資を受けている。
──福岡をシリコンバレーのような地域にするには、何が必要でしょうか?
安達:大学では、様々な研究領域において技術的に尖った研究がとても多いと思います。特に、九大はマテリアル系の研究が先進的で、Zero to Oneの基礎のところが強い。それにIT技術がうまく結びつくと、面白いものがたくさん出てくると思います。実際、福岡市が設立した九州先端科学技術研究所では、積極的にマテリアルとIT技術の融合に取り組んでいます。
坂本:ほかにもバイオ系で、九大の技術のライセンスを受けている再生医療ベンチャーの「ヘリオス」が上場するなど、技術面の強みは数多くあります。一方で、やはり不足しているものもある。
ひとつは、ファイナンスの知識・経験をもった人材です。ベンチャーで成功しようとすると、技術も大切ながら、ファイナンスをきちんと考えて会社として成長していかないとリターンが得られない。その領域の人材は、東京などに比べると圧倒的に少ないです。ベンチャーに関していえば、CEOも少ないけどCFOはもっといないのが現状です。
もうひとつは、リスクマネーを供給する機能です。私は、過去10年ぐらい九州で大学発のベンチャーの支援を行ってきましたが、東京や海外に比べて九州のスタートアップ環境で一番弱いのがこの部分だと感じています。
特に、大学発ベンチャーのようなテックオリエンテッドなベンチャーをやろうとすれば、いわゆる「死の谷」を越えるために、2、3年売上ゼロでも革新的な技術開発を行っていくというモデルでないと、イノベーションは起こせません。
リスクマネーの供給とファイナンスができる人材。この2つがボトルネックでしたが、今回、われわれの「QB第1号ファンド」として約31億円を調達できました。東京や海外に比べると少ないですが、地域の産学連携ファンドとしては比較的大きい額です。
これがひとつの実績となって、あとはファイナンス面に知見を持っている人材が集まってくれば、環境は圧倒的に変わってくると思います。
「TADF」の構造モデル。

大学の国際化は“待ったなし”で進行中

──福岡市は留学生の数が全国3位と、大学のグローバル化が進んでいますね。
安達:九大には世界中から優秀な留学生が集まってきています。ただ、卒業後はほとんど福岡に残らない。福岡はとても住みやすいし、環境もいい、だけどサイエンティストとして活躍できる場が少ないのです。
僕は九大を優秀な成績で卒業した留学生には、優先的に永住権をあげたらいいと思っています。それくらいのことをしないと優秀な人材は日本に定着しないと思います。
坂本:やっぱりジョブマーケットがないですよね。それと、福岡市が国家戦略特区に指定されるなどにより、就労ビザの問題などが改善されつつありますが、福岡に残って働こう、起業しようとなると、いろいろな壁があるのも事実です。
ただ、安達先生の研究室にいた留学生がKyuluxに入社したり、企業で働いていた九大の卒業生が戻ってきたりと、人材がようやく流動化してきています。
安達:グローバル展開の視点からは、ハーバード大学の計算化学のチームと連携するためにボストンにKyuluxのオフィスを立ち上げています。来春にはラボも立ち上げて、福岡とボストンの2拠点で研究開発を進めていきます。
海外では福岡の認知度はまだ低いですから、米国の拠点と福岡で連携することによって、交互の人事交流が進むことを期待しています。
坂本:そういうことをどんどんやれるのが大学だし、アカデミックスタートアップスの、一般のベンチャーとは違う強みですね。
──大学側にも変化が起きているのでしょうか?
安達:今、旧帝大系は“世界大学ランキング”をすごく意識しています。九大もトップ100入りを目指して努力していますし、国際化の波が待ったなしで進んでいます。学部の教育もすべて英語で行うグローバルコースが立ち上がっています。すでに日本語の教育と英語の教育がパラレルで動いていますが、今後、英語のコースが主流になっていくと予想されます。
これからの日本の大学は、優秀な留学生を積極的に取り込んでいき、それに日本人の学生も大きくインスパイアされるはずです。九州大学は日本人のための大学ではなく、世界中の優秀な学生に集まってほしいと思います。米国の大学は国籍を問わず躊躇なく世界のエリートを集めていますし。
世界中からいかに優秀な人材を集めるか、いかに特徴のある人材を集積できるか。自分とは異なる考え方や価値観を持っている人を集めることがイノベーションの基本的な考え方で、現在、私どもの研究センターも30%強は外国人です。グローバルに異なる研究分野の人を集積することで、人と人の接点から新しいイノベーションがパッと生まれるのです。
坂本: IBMのイノベート・ハブ 九州についても、今回のハッカソンも海外からチームが来たりして、グローバルな交流が生まれると思うので、何か新しいものが出て来るきっかけになるはずです。
大学の技術を活用したベンチャー企業もようやく成功事例がでてきました。私が期待するのは、これからの10年ですね。Kyuluxに続く大学発ベンチャーがどんどん生まれていくことを期待しています。
(取材・文:呉 琢磨、撮影:松山タカヨシ)