【細野豪志✕真山仁】本当の”危機”に勝てるリーダー

2016/9/11
※この記事は映画「シン・ゴジラ」の内容に関する描写を含んでいます

原発では日米ルートがなかった

――実際の、福島の事故でも、アメリカが出てきました。実際は、官邸内にはどうアプローチしてきたんですか。
細野 私が日米のプロセスをやったのは3月21日でした。NRC(米原子力規制委員会)はその前から来ていましたが、日本側は現場で手一杯でした。
ルース米大使と、官邸や外務省とのやりとりは、難しい問題だったようです。あの時のエピソードが、そのまま使われているのは、米国が「官邸の中に部屋をよこせ」と言ったのを官房長官が断った点です。
(映画の取材協力に名を連ねた)枝野幸男(元官房長官)さんのエピソードを使っているのだと思います。
とにかく、うまくコミュニケーションが取れないので、ルース大使が追い込まれて、日米会議を22日から始めたんです。
真山 日米のルートが浅かったんですか? 互いの了解があれば、時間の無駄は起きないはずです。
細野 日米のチャンネルは、外務省、ミリミリ(米軍と自衛隊)の2つがあります。海上自衛隊が一番近くて、情報共有の仕組みがあります。
原発のときに困ったのは、原発だと、米国側はDOE(米エネルギー省)だったりNRCなわけです。日本は東電であり経産省で、そこにルートはありませんでした。