アップルの“次”を見にゆく、孫正義の60代

2016/9/12
孫正義には、まだやり残したことがあるに違いない。
2016年9月7日、米サンフランシスコ市内。アップルは世界中に向けて、最新のスマートフォンをお披露目するためのカウントダウンに入っていた。招待されたパートナー企業や報道関係社が、会場に続々と集まっていた。
iPhone──。それは今は亡きスティーブ・ジョブズが発明した、芸術的な美しさをほこるパーソナルコンピュータだ。2016年、その出荷台数はついに累計10億台を超えた。
ハイテク史上に残るパラダイムシフトを引き起こしたこの端末も、今では誕生から9周年を迎えており、成熟した商品に仕上がっている。
最新のiPhone7は、ピアノのように美しい漆黒の筐体が用意されている。2つのカメラを搭載して、綺麗なボケのある写真を楽しめる。また防水性能も加えられた。
しかし、かつてこのiPhoneを武器にして、日本の通信市場に下克上を引き起こした男の最大の関心事は、この会場にはなかった。

あらゆるモノが繋がる世界へ

この発表会と前後して、実はソフトバンクグループ社長の孫正義は、米シリコンバレーを訪れていた。
しかしその目的は、約3.3兆円という巨費を投じて買収した、英ARMの経営幹部たちとのミーティングに参加するためだった。
ARMの中核は、コンピュータの頭脳にあたる半導体チップの回路を設計することにある。とりわけエネルギー消費が少ないという特性は、iPhoneをはじめとしたスマートフォンを中心に、あらゆるモバイル端末に組み込まれているのだ。
ARM社の技術を使った半導体チップの出荷数は、直近では年間140億個。
世界中に1300を超えるパートナー企業を中心に、その数は増え続けている。孫はそれが今後20年で、1兆個にまで増えると読んでいる。
モバイル端末から自動車、家電、エネルギーから交通機関などのインフラまで。世界のあらゆるところにARMの半導体チップが埋め込まれてゆく。
そこから収集される膨大なデータを、大量に分析することで、極めて高度な知性をコンピュータが備える日が来る。
まさにIoT(モノのインターネット)の世界を、孫はこのARMという会社を“乗り物”にすることで、自由に旅をしようというのだ。
そして旅に、期限はない。
孫(1957年生まれ)と同年代だったハイテク産業のリーダーは、次々と姿を消していった。大学時代に同じ西海岸の空気を吸った、スティーブ・ジョブズ(1955年生まれ)は、2011年10月に癌のために永眠した。
旧知の仲であったマイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツ(1955年生まれ)もいまや経営の一線から身を引いており、より自由の身で社会貢献などに力を注いでいる。

40年前の「原点」に再び

そして孫も2016年8月、59歳を迎えた。
変革のスピードが驚異的に早いIT産業にあって、60代まで経営者を続けること自体が、並大抵のことではない。
それでも孫が後継指名をしたニケシュ・アローラに椅子を譲らず、まだ、成し遂げたいことがあるとすれば、何だろうか。
思い浮かぶのは、原点回帰の4文字だ。
1974年、若き日の孫がテクノロジーの世界に没頭したきっかけは、米国留学中に科学雑誌『ポピュラー・エレクトロニクス』に掲載されていた、インテル製のコンピューターチップ「i8080」を見たことだった。
あの日から約40年。いよいよ60代に差し掛かる孫は、かつて感動したあの半導体チップを片手に、自分の手で、スマートフォンの先にある未来の一部を作ろうとしているのではないだろうか。
iPhoneについて説明する、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ(右)と、ソフトバンクの孫正義社長。
もっと言えば、孫のゴールは「アップルのiPhoneより、もっと長きにわたって、世界中に使われ続けるテクノロジーや製品を残すこと」ではないだろうか。
「僕のスター、アイドルに、やっともう一度会える。この手で抱きしめて、その興奮で冷めやらない」
ARMの買収後、孫正義は笑顔でそう語った。
この特集では、大きな節目を迎えているソフトバンクグループと、その創業者である孫正義のアタマの中がどうなっているのかを、シリーズに分けて描いてゆく。
今回のSeason1では、ソフトバンクの古参の経営幹部や、同じIT産業で活躍する経営者たちの目線を通して、60代を迎える孫正義を描いてみる。
一体、稀代の実業家のアタマの中には、何が見えるのだろうか。