フィリピンは「アジアの病人」を脱することができるのか

2016/8/30
「カントリーリポート」では、ユーザベース・グループのシンガポール拠点に駐在するASEAN専門家の川端隆史がASEAN各国事情の基本情報を提供。過去のリポートは こちらをご覧ください。

歪んだ日本のフィリピン観

日本にとってフィリピンほど特殊で関係の深い国は珍しい。
毎年、日本人とフィリピン人のカップルが9000組も誕生していると言われる。日本に住む外国人のうち、フィリピン人は第3位の数を誇り、中国人、韓国人に続く大きなコミュニティを形成している。
しかし、日本で抱かれるフィリピンに対するイメージは、マイナスの要素が多く、偏りが大きい。危険、怪しい……。
フィリピンでの麻薬や売春に関係するニュースがあれば、「いかにもフィリピンらしい」として取り上げられる。特に日本人が関係する事件であれば、大衆紙の格好のネタにもなってしまい、面白おかしく取り上げられがちだ。
あるいは、一時期、テレビで頻繁に放送された「スモーキーマウンテン」でゴミを回収して生計を立てる子どもたちのイメージがあり、深刻な貧困と社会格差の国というイメージを持つ人もいるだろう。
確かに、こうした課題は根深い問題としてフィリピンに存在することは間違いない。
しかし、これだけでフィリピンを語ってしまっては、あまりに偏りがある。ネガティブなステレオタイプを払拭(ふっしょく)しなければ、いつまで経ってもフィリピンを正しく理解することはできないだろう。

変貌するマニラ首都圏、豊かな歴史と自然

マニラに行くとまず驚くのは、マニラ首都圏の心臓部であるマカティ地区だ。先進国の金融街と見間違えるほどに、高層ビル群に囲まれて発展を遂げている。グリーンベルトやグロリエッタ、SMモールといった巨大ショッピングモールが立ち並ぶ。
マカティ地区にある人気のショッピングモール「グリーンベルト」。夕方や週末は買い物客でいっぱいだ。(筆者撮影)
最近はボニファシオ・グローバル・シティ(BGC)が注目エリアだ。
今、フィリピン経済をけん引しているのはサービス業であり、そのなかでもビジネス・プロセス・アウトソーシング(BPO)やICT関連産業の成長は著しい。
BGCには、世界中からBPO拠点の進出ラッシュが始まっている。さらにBGCは、おしゃれなレストランやアパレル店も立ち並び、若者を中心に人気スポットとなっている。
また、マニラ首都圏は歴史も感じさせてくれる街だ。
イントラムロスに代表されるキリスト教建築群が美しい。教会の中に入れば都会の喧噪(けんそう)をすっかり忘れさせてくれる静寂が広がり、心が洗われる気分になる。
そして、フィリピンには意外とイスラーム教徒も多く、マニラ首都圏ではキアポ・モスクなどモスクも点在する。
そして南部に目を向ければ、パラワン島、セブ島など息をのむような美しい島々が広がっている。この国の歴史と自然は、オンリーワンの魅力を持っている。
世界遺産にも指定されているサンオーガスティン教会。(写真:木場紗綾)

とんかつブームのマニラ、過去の歴史も直視せよ

フィリピンは「親日」と言われ、最近は、日本から無印良品やユニクロといった消費セクターの進出が著しいほか、日本食もブームである。
2年ほど前はラーメンがはやっていたが、今月訪れたマニラではとんかつ店が非常に目立っており、今度はとんかつブームが到来しているという。
「グリーンベルト」にあるトンカツ店。店内は地元のフィリピン人で賑わっていた。(筆者撮影)
しかし、第2次世界大戦中には日本軍がマニラに大きな傷跡を残し、レイテ島などでは激戦を展開した歴史も忘れてはならない。
天皇皇后両陛下は今年1月、慰霊の旅としてフィリピンを訪問している。第2次世界大戦で日本軍が激戦を展開したグアム、パラオに次ぐ訪問地として選ばれたその意味の深さは、すべての日本人がよく認識すべきだろう。
今の目先だけを見て、「親日」であるというお題目を唱えても、さほど意味がないのである。

変わりつつあるフィリピンへのイメージ

日本でのステレオタイプの問題を指摘したが、明るい兆しもみえる。それに一役買っているのは、フィリピン系日本人のタレントたちだ。
代表的な人物としては、元AKB48の秋元才加、速水もこみちなどがいる。やや古い話になるが、スポーツ選手では女子フィギュアスケートの世界選手権で銅メダリストとなった渡部絵美(本名:渡部・キャスリン・絵美)もフィリピン人の血を引く。
日本には約23万人のフィリピン人が暮らしている。そのうちの約12万人は永住権を取得しているほか、定住者は約4万5000人、日本人の配偶者は約2万7000人という内訳である。日本社会に深く根付いているのだ。
しかし、フィリピン系であることを隠している人も少なくなく、子どもたちが学校でいじめの対象となった事例も報告されている。
そうしたなかで、フィリピン系であることを隠さずにテレビなどで活動するタレントの存在は明るい要素だ。例えば秋元は日比混血児であることをプロフィールに掲載し、2014年にはフィリピン政府の要請でフィリピン観光親善大使に就任している。
彼女たちフィリピンの血を引く人々の活躍ぶりは、フィリピン系だけでなく、日本で差別を受けやすい出自の人々に勇気を与えるものとも言えるだろう。
日本社会における異文化理解やダイバーシティの促進に、フィリピンという存在が一役買い始めているのだ。
もはや、フィリピン人に対するステレオタイプのイメージは、我々日本人が捨て去るタイミングを迎えている。そうでなければ、これからの潜在性が高いフィリピンとの関係で日本が得る利益をみすみす逃すことになるだろう。

異能の大統領が「アジアの病人」を救えるか

フィリピンは、過去に何度か経済がテイクオフを迎えそうになったが、軌道に乗りきれず、他の新興アジア諸国と比べると経済成長や産業発展は今ひとつであった。そのため、「アジアの病人(sick man of Asia)」と揶揄(やゆ)され続けてきた。この表現は、フィリピン政府関係者ですら使うことがあり、国際機関やシンクタンクなどの報告書ですら見られる場合がある(例えば、 2013年のアキノJr大統領の演説アジア開発銀行発行の専門誌"Asian Development Review" Volume28, Number1, 2011年など)。
フィリピンには、他の新興アジア諸国とは比較にならないほどの富が偏在していることも確かだ。
フィリピン人の中間層未満の家庭では、1人の働き手に数人、場合によっては10人以上の家族が依存していることも少なくない。
その働き手は、オーバーシーズ・フィリピーノ・ワーカーズ(OFW)として米国、日本、香港、シンガポール、中東といった外国に出稼ぎ者として渡ることもある。あるいは、若い女性の場合はマニラの歓楽街で接客業に従事するケースもある。
彼らは、自分1人の稼ぎが家族の運命を変えてしまうという重い責任を負っている。これは責任であると同時に、自負とプライドでもある。
弟や妹を優先的に大学に行かせるために、長男や長女が稼ぎ手となり、日々の生活を切り詰めて本国に送金する。家族が大学を卒業したときの喜びはひとしおらしい。
香港のセントラル駅周辺は週末になるとフィリピン人たちで賑わう。同郷の者同士が心を許して楽しめる貴重な時間だ。彼女たちの多くが家事労働者として香港の共働き家庭を支える。(筆者撮影)
フィリピンはASEAN諸国のなかでも不思議な国だ。
課題が山積みであるにもかかわらず、人々の屈託のない笑顔が消えない。平均年齢24歳という若さもあるが、日本を代表するフィリピン研究者の池端雪浦氏の金字塔である『フィリピン革命とカトリシズム』(勁草書房)でいうところの、「パショーン(情熱)」が根底に流れる国だ。
「フィリピン人であることは、命を賭けるに値する」。これは、マルコス政権下で暗殺され悲劇の政治家としてフィリピン史に名前を残したベニグノ・アキノが残した言葉だ。
いくら様々な課題を抱えようとも、フィリピン人であることの矜恃(きょうじ)を忘れない。ベニグノの妻コラソンが1986年にマルコス政権を打倒し、「エドサ革命」を起こした。そして、エストラーダ大統領を権力の座から引きずり降ろした「エドサⅡ」などにも引き継がれる精神だ。
そして、今年の大統領選挙で当選したロドリーゴ・ドゥテルテ大統領。すでに過激な発言が世界でも知られており「フィリピン製トランプ」などとも言われる。
しかし、ドゥテルテ氏は名門政治家の出身であり、判事を歴任した法律家でもあり、表面的な言葉の過激さだけで判断することは禁物だ。
世界最悪の治安とも言われたダバオ市で、私兵集団を活用して治安を劇的に改善させた「実績」を持つ人物である。閣僚人事も手堅く、特に財務大臣と外務大臣は評価が高く、当初は警戒した有識者たちもドゥテルテ支持を隠さなくなっている。
フィリピンの社会問題は、きれい事ではいつまで経っても解決しないのではと思うこともあるほどの根深さだ。フィリピン国民は、その手法の是非はあれ、課題に対処できる「パショーン」を持ったドゥテルテという人物を選んだのだ。
ロドリーゴ・ドゥテルテという異能の大統領を迎えたフィリピンはこれからどうなるのか。フィリピン史における歴史的分水嶺(ぶんすいれい)にさしかかっていると言っても過言ではないだろう。
2016年の大統領選挙で当選した前ダバオ市長のロドリーゴ・ドゥテルテ氏。( 写真:Wikimedia Commons)

連載の概要

本連載の第1回は、現地写真とグラフを活用したフォトスライドである。写真を通じて現地の雰囲気を感じ、フィリピンを理解するための基礎的なデータを用意した。
第2回と第3回では経済とビジネスに焦点を当てる。第2回はフィリピン経済の発展の経緯を振り返り、最近の著しい成長ぶりと今後の課題とリスクについて整理する。第3回は日本企業の進出などを中心に、フィリピンとの2国間関係を取り上げる。
第4回は政治について触れる。政治はこの国の行く末を決める肝だ。現代政治を構造的に理解できるように仕組みを紹介しつつ、最近の歴代政権、そして注目のドゥテルテ大統領について分析したい。
第5回は視点を大きく変えて、筆者が独断で選ぶ現地の食の名店についての紹介と、フィリピンをより深く理解したい読者に向けた読書案内を用意した。
本連載を通じて、フィリピンに対する偏ったイメージが少しでも解消され、等身大のフィリピンを理解するためのきっかけとなれば幸いである。
*筆者注:「アジアの病人」という表現の典拠を追記致しました(2016年8月30日18時25分)
(バナー写真は大統領選挙でのドゥテルテ支持者の様子、木場紗綾氏提供)