AIは人間社会への侵食か、それとも共存か
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「AIで仕事を奪われる」という議論は事実を見ていない。
例えば、囲碁での「AIと人との勝負」。この表現は、根本から間違っている。なぜなら、これは「人と人との戦い」だからだ。ただし、アプローチは両者で全く異なる。
一方は、イ・セドル九段。個人の身体と頭脳と経験で戦った。
他方は、DeepMindチーム。デミス・ハサビス氏率いる20人を超える(Nature論文の著者は20人だが、計算環境や並列化環境などを含めると500人は下らない人たちが関わっているだろう)チームで戦ったものだ。
数字で見てほしい。後者のアプローチ(AI)は、仕事を多量に作っている。最低でも20人、おそらく500人を超える人たちに仕事を生み出している。従来は囲碁には貢献できなかった多くの人たちの技術や知恵や努力が、貢献している。大量の雇用が生まれ、すばらしい仕事をしている。
しかも、従来は孤独だった個人の仕事が、多数の人たちの協力する仕事に変わっている。多くの人が協力し、一人ではできない高度な仕事を行うことこそ、人類が組織を創り、会社を創る最大の理由である。
さらに協力しあって仕事をするのは、苦労もあるが楽しいことである。即ち、後者のアプローチは仕事の楽しみを増やしている。逆に、孤独は最大の不幸である。即ち、AIという新しい仕事へのアプローチは、これまで出来なかった多くの人たちの協力で仕事をすることである。
もちろん、新しいアプローチの導入は、時に痛みも伴うし、それへの対処も必要であろう。しかし、変化を生み出しているのは宇宙と世界の大きな流れであって、誰かの陰謀ではない。変化に挑戦することが生物が生きるということである。変化する世界や需要に自分だけ止まっていることは独善である。宇宙の変化は止められない。だから、変化を挑戦に変え、楽しむことが唯一の道である。
AIは仕事を大量に作り、多くの違う分野の人たちの協力で、これまで個人に閉じていた複雑な仕事に関して、より高みに挑戦するということである。
勝手な妄想ではなく、事実を直視する人たちが増えることを期待したい。AI技術が医療・介護の分野のレベルを高め、同時に低コスト化に寄与してくれたら膨らみ続ける社会保証費の問題に関する1つの答えになりうるかもしれません。
ただ個人としてはAIに将来仕事を奪われる心配もあったので、医療界では最もAIが入りにくいと思われる分野である精神科を選択しました。普通に考えて、ロボットに人生相談なんてしたくないでしょう?「侵食」と捉えるか「共存」と捉えるかは視点次第だろう。
過去や現在の「労働者」に視点を置けば「侵食」と見えるのかもしれない。
未来に視点を置けば「共存」もしくは「活用」が当たり前になる気がする。
良い/悪いの価値判断は別として、人間の想像力が及ぶことには、テクノロジーは追いついてしまうものだ。
そしてそのスピードや規模は、大抵は人間の想像を超える。
「将来コンピューターは世界に5台は必要になるだろう。」
とは、IBM創業者トム・ワトソン・シニア が1943年に述べた言葉。
当時先見の明を持っていたであろう彼の予想は、残念ながら大きく外れた。
70年後、(地域による差はあるとはいえ)コンピューターは「大陸に1台」の規模ではなく「個人に1台」の規模になり、手のひらから世界中に繋がるツールになっている。
スマートフォンを「侵食」と捉えるのは誰か。「共存」「活用」と捉えるのは誰か。
なおAIやロボットが「仕事を奪うか」については、その普及の仕方にも依ると考えている。
誰でも安価/容易にアクセスできるものになれば、個人は「自分の代わりにAI/ロボットに稼いでもらう」ことが可能になる。
ここに「侵食」という発想は出てこない。
逆にある程度の資本がないと利用できない場合は、資本主義の中では一部の資本家がそのメリット享受を独占する可能性がある。
いずれにせよ我々にできることは、日々「AI/ロボットが普及しても代替されない価値を、自分は顧客や社会に提供できているだろうか」を自問自答しながら、精一杯努力しつつ自分を磨いていくしかない。