太平洋戦争は本当に避けることができなかったのか - 5つの戦争から読みとく日本近現代史
コメント
注目のコメント
この手の本を読んでいつも思うのですが、日本人は自分たちだけで戦争をしたと思い過ぎです。
戦争は相手があって初めて始まるものであり、日本がどんなに戦争を避けようとしても、相手がそうでなければ避けられるものではないのです。
アメリカのシンクタンクの研究では、日本がこの時ハルノートを受託したとしても、どのみち翌年には戦争になっていただろうと推定しています。
日本は当時石油の76%、鉄鉱石の70%、工作機械の67%、そして航空機用燃料の100%をアメリカからの輸入に頼っていました。
日本としては戦争はどうしても避けたかったのです。
というより、資源の殆どをアメリカに頼っている以上、対米戦争はどう考えても勝ち目がないことは誰の目にも明白でした。
一方アメリカは1941年7月に在米日本資産を凍結、8月には石油の対日全面禁輸を行います。
そして11月には遂にフライングタイガースによる日本空襲まで、許可しています。
アメリカは何が何でも日本を戦争に引っぱり出したかったのです。
つまりハルノートの時点ではアメリカは既に戦争の意思を固めており、もう全てが手遅れだったということでしょうね。
個人的には日独伊三国同盟の時点で日本は引き返せない道を歩んでしまったと思います。
戦争は戦端を開いた時に勝敗の80%は決まっているもので、日本は戦争に負けたのではなく、そこに至るまでの外交で負けたのだと私は思います。
(追記)
折角多くのLikeを頂いていますので、何人かの方が触れている総力戦研究所についても一言。
総力戦研究所の日米開戦は必敗との結論を握りつぷしたのは当時の軍指導部の無能さの例として語られますが、実際には同じ時期に陸軍戦争経済班がほぼ同じ結論を出し、その上でもし戦うのなら初戦でイギリスを叩いてアジア諸国を独立させ、自立自援の戦いを展開した上で、最強の敵である米国との決戦を避けて、なるだけ日本の近くで戦うという作戦案を出しています。
東条英機はこの結論を知っていたので、あえて総力戦研究所の結論をスルーしたのだという説があります。
もし実際の太平洋戦争がこの通り進んでいたら、戦局はまったく違うものになっていたかもしれません。
なお皆様オススメの猪瀬直樹さんの昭和16年の敗戦は名著ですか、以上のような話も念頭に置いて読むと更に理解が深まるかと思います。歴史は過去のノンフィクションとして興味深い物語ではあるが、それを教訓としようとした瞬間に解釈が分かれて喧嘩になる。
歴史に拘る人が多い中、軽視するつもりは全くないが、歴史を楽しみとしてではなく教訓として捉えているひとほど、道を誤ることが多い気がする。
歴史を学んで唯一教訓になるとすれば、歴史を学んでも教訓にはならないということだけだ。せいぜい参考にしかならない。まして、今ほど変化の激しい時代はない。
私は30歳位まで全くと言っていいほど歴史は学んで来なかったが、社会を理解するには歴史よりも現実社会の方がよほど勉強になる。誰かが切り取った過去など、それこそ面白い物語。
人間は自己のルーツの物語に対して特別な思い入れを持つ動物だが、そこから規範論に持ち込むことに不幸があるように思う。
歴史(とくに近現代史)を知らない人間は、社会人としてダメと言う人がいる。しかし、私に言わせれば、熱力学を理解していない人とは世界が違い過ぎて、話にならないなと思うことだってある。歴史は歴史。猪瀬直樹氏の『昭和16年夏の敗戦』は良著で、そこに答えが書かれていると思っています。お読みになられていない方は是非!
http://ur0.pw/xKBh