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イチローも英語が話せるのにインタビューの取材を受けるときは必ず日本語で話します。微妙な表現を話すには母国語が一番、ということで。自分も英語を仕事で使ってますが、その気持ち良く分かります。とりあえず、まず、英語で相手が何を言ってるのか分かることが大事。伝えるのは最悪、ジェスチャーでもいけますからね。
基本的に、中身がないと誰も話を聞いてくれないのはその通り。だが、英語圏でコミュニュケーションをとろうと思った時に、任天堂の社長とかイチローのように、何人だろうが世界中の人が興味を持つような人物を引き合いにだしたところで、凡人にとってはほとんど参考にならない。同時通訳をつけられるような立場の人間にしてもそうである。参考になるとしたら、自分の中身を(世界のみんなが興味を持ってくれるぐらい)磨け、以上である。問題は、英語圏でほとんど自分が興味を持たれていない状況から、どう自分をアピールし興味を持ってもらえるのか、である。スピーチを提供する機会すら与えてもらえない時に、どうその機会をもぎとるか、である。よしんばスピーチの機会を与えられたとしても、その会議の後、夕食会やちょっとしたパーティで見知らぬネイティブの他人とテーブルを囲んだ時にどのように話を展開するか、である。ネイティブ達は、平気でスラングや社会的な文脈がわかっていないと理解できない比喩を多用してくる。こちらがアジアン英語だと分かるとあからさまに興味を失う人たちもたくさんいる。要は、自分の言葉で語れないと、ビジネスチャンスを失うどころか、全く相手にされないのだ。ちなみに、日本に来ているネイティブや欧州人が英語を話すときは、ものすご〜く気を使ってゆっくりと、そして日本人が分かりやすいように言葉を選んで話してくれていることに、みんなもっと敏感になったほうがいい。
これから先英語コンプレックス産業と英語コンプレックスヒエラルキーがなくなるって話だよねつまるところ.語学はできた方がいいに決まってるけど,技術発展で差が埋まってうんと出来るか普通の人かになる。
「英語が話せる「中身の薄い人」の化けの皮がはがれてしまうかもしれない(笑)。つまるところ、よく考えて意味がわかる言葉でしゃべることは、英語を勉強することよりも重要なのです」とおっしゃる落合氏。納得です。
そうかも。言語が「コミュニケーションの道具」ではなく、「思考の言語」だと、ノーム・チョムスキー氏(マサチューセッツ工科大学の言語学および言語哲学の研究所教授)も言ってた。

【参考】我々はどのような生き物なのか ノーム・チョムスキー
「つまり、言語はまさに『思考の言語』(language of thought)であるという結論が出てくるのです。
言語の外在化(externalization)は二次的特性です。このことは、外在化の使用はすべて‐コミュニケーションも含め‐二次的なものであることを意味します。(中略)言語はコミュニケーションのっための道具であるというドグマの根幹を揺るがす事実です。このドグマは哲学でも言語学でも広く行き渡っていますが、明らかに誤りなのです。(中略)実際のところ、言語の主な複雑さはその配列の部分にあるのです。第二言語を学習するとき、(中略)獲得しなくてはいけない主なものは、外在化のシステムです。(P127-128)」
英語ができないと、出張でも会議でも余計に一人バイリンガルが必要になる。そのコストを凌駕するくらい、つまり人の数倍稼ぐ力がある人だったら英語は話せなくてもよい、ということになりますが、なかなか難しい。

ちなみに落合氏のお父様(信彦氏)は、映画館に1日中通ってライト付きのボールペンでひたすらディクテーション、あとは教会に通って聖書を読みまくるという方法で英語を習得されたそうです。ぜひお父様にもお話を聞いてみたい!
古舘健さんもコメントしてらっしゃるが、言語はコミュニケーションの道具であるとともに思考の道具でもある。

特定の概念が、ある言語では単語として存在し、ある言語では単語として存在しない、ということもしばしばなので、すなわち、どの言語で思考するかによって、論理展開、論理構成は変わりうるということでもある。

となると、英語で考え話す人々の論理を理解し、またそのような思考の人にこちらの論理を理解させるには、相手の言語である英語を理解した上で自分の論理を構築し、伝達する方法を工夫しなければならない段階がいつか訪れるということでもある。

日本語で論理構成を考えることが先ず重要という意見に反対はしないけれど、それは中級レベルまでの話でしょう。

日本を理解し、日本人に説得力のある論理を構築できる外国人は、日本語に堪能な人が多いのも、同じことではないでしょうか?
この、翻訳者が翻訳しやすいように話すのは、グローバル企業の経営者の使えるスキルの一つかと思います。シンプルな構文で、間を十分にとり、繰り返しながら、論理的に単純な構造で、伝わり間違いが無いように。結局英語が支配的とは言え、現地のスタッフのかなりの部分は、現地の言葉しか話せないことが多いですからね。
翻訳してもらうために日本語をちゃんと書くのも、数年内には解決できるのでは?こういった研究領域に関しては素人だが、そもそも日本語と英語の場合、英語はスペースで区切られているが、日本語はスペースで区切られていないので、そこを区切って単語を抽出するステップが必要。そのうえで、単語を一つずつ訳すのではなく、複数組み合わせた場合の訳として一番適切なのを選べばいいわけで、それこそデータ蓄積が一番得意とすること。記事に「今日、一緒にご飯に行きませんか?」を人間が訳した場合には、「ご飯」という言葉があるのにそれの直訳であるriceが使われない(英語を一定しゃべれる人なら絶対使わない)という特徴がある。だとすると「ご飯にいく」を訳する場合には「riceは使わず、dinnerやlunchといった食事に行く(dinnerとlunchの違いは時間であって、ご飯にいくという行動の拡張)という単語を使う」という特徴量がデータがある程度あればできるようになるはず。
なお「英語だけ出来る人」は、すでにかなり淘汰されていると思う。Google翻訳等使えば、非口頭コミュニケーションはすでに出来る。また、英語だけ出来る人でも、構成力がなければ結局先手を打って会議・メールの構築ができないので時間がかかる。日本語でもそうだが「言語力・コミュニケーション能力=語彙力×論理力×情報・知識量×感情の機微」だと思っていて、日本語ネイティブ=語彙力は十分あるが、だからといって論理や基礎的な知識量が足りなかったり、感情の機微を踏まえられなければ、コミュニケーション力は低い。単純翻訳はソフト使えばいいし、論理・専門知識・感情の機微が必要な領域では、そもそも効率が悪くなりサバイブできないのが実態。むしろ、専門知識・文脈や交渉力が英語を通して身に付く(文化理解や情報量の多さ)というのが実態だと思う。そういった方は、実務も出来る。
一方で、英語以外はまだ淘汰されていないと思う。それは、使う人間の心理側の課題もある。機械が翻訳したものを見たときに、英語であればある程度はあっているか分かるが、そうでない言語はできる人が少ない。そのなかでどこまで機械に任せられるかという部分。多言語→日本語だったら、日本語が変なところをさらに集中的に調べていくということが出来るが、日本語→多言語は特にその部分の信頼度が個人的には難しいと思う。
「話し言葉」を「書き言葉」にすれば上手く行くって事だけど、これが常に出来るのは頭の良い人の特徴ですなぁ。普通は疲れちゃう。でも良く考えたら、自分も同時通訳の入る会議で日本語で発言する時は、出来るだけ「書き言葉」で喋るようにしているので、要は同じ事かな、とも思う。でも会話ってエモーショナルにパッションを伝えるものじゃない。意味の伝達より共感の醸成が重要だったりするじゃない。特に関西人としてはこの辺の相手がボケたらツッコミ入れとかな失礼みたいなあうんの言葉のやり取りのなかで一体感が生まれるじゃない。ロンドンのパブでの仲間とのくだらない会話(例:マークスアンドスペンサーでスーツを買うのはアリかナシか?というような話し)に割って入りたい!というのが僕の「英語を話したい」っていう最初の動機だったりするわけです。おしゃべりな人は英語が上手い、これほんと。
この連載について
AIを活用した機械翻訳の開発が急ピッチで進む中、数年以内に喋った言葉が即翻訳される時代が到来するーーといわれている。そんな中、英語学習は本当に必要なのだろうか? 機械翻訳の最前線を追うとともに、機械翻訳に負けない英語学習法を提示する。

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