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人は権力を持つと、自分が偉くなったと思ってしまうもの。オレの周りにも「勘違い君」はいっぱいいる。

権力というのは権限と責任を持つことで、べつに人として偉くなったわけじゃないんだけど、チヤホヤされてると、どうしてもいい気になっちゃうよね。
そして権力は自分のために使ってると、いつの間にやらどんどん減って。ある日突然、失くしたことに気付く。

オレも他人事ではない。気を付けないと〜。(^_^;)
引きずしおろしデモクラシーまでは納得できるけど、そのあとのソリューションがイマイチね。清貧を求める無理ゲーはそろそろ止めようって考えないのかね?幸せな生き方を見つけられる教育が出来てないことが根本の問題ではないのか?
現代は日本の歴史になかったような状況になっており、この流れはますます加速すると思います。

一人の女性がブログで書いた「保育園落ちた。日本、死ね」が、国会で取り上げられる時代なのです。
今までの歴史で、一庶民のつぶやきが為政者に届いたことなんてなかったでしょう!

リアルの世界の民主主義ではない、バーチャルな民主主義と言うべきでしょうか?
ともかく、誰もが発信し受信することができるようになったインパクトは想像以上です。
これからの社会はバーチャル領域が確実に広がっていくので、企業にしても個人にしても全く新しい考え方に転換する必要があると考えます。
「エリート層」や既得権益層に対する不満が国内でどの程度高まっているのか、正直よくわかりませんが、経済成長を維持できないことに対する不満の矛先がどこに向かうか次第なのかなと。アメリカはともかく、日本については人口の減少や社会保障制度の歪みに問題があるように思いますが、誰かしら具体的な仮想敵を掲げる方がわかりやすいのでしょうね。
かと言って、今の日本で打ち壊しが頻発したり、安田講堂が占拠されたり、警官が撃ち殺されたりといった社会不満が発露しているという話は寡聞にして聞きません。長州藩士がやっていたことなんて、今の価値観で言えば完全に過激派のテロリズムですが、「ガラガラポン」が起こるには、それくらいの実力行使が事前に横行していなきゃいかんのでしょう。私はそんなの嫌だけど。
不満は多々あれども、他の地域や時代と比べれば総じて太平の世の中で、幸せな状態なのだと思います。

本当に「ガラガラポン」が起きるとすれば、国の財政が破綻するなり、他国に侵攻されるくらいの大事件が必要なのでしょう。
自分としてはどことなく「ガラガラポン」を願望する一方で、老子に学んで足るを知り、優雅に衰退する道を模索することが重要な気がしています。
もはや何が起きてもおかしくない時代。「ガラガラポン革命」が確実に近づいている気がします。

映画「シンゴジラ」は、「東京にメガトン級の国難が起きたとき、日本に何が起きるか」をリアルに描いています。時代の空気を感じる傑作です。
「今の政治家を見ていても、ぜひ政治家になってほしい人は手を挙げず、野心の塊だけの人ほど手を挙げますよね。これからは、よほど私欲のない人でないとリーダーは務まらないでしょう」とのこと。私利私欲のないリーダーでないと長期の支持は得られません。
過去の研究から明らかなことは、富の偏在が解消されるきっかけはいつの時代も「戦争」です。次のガラガラポンがそのような過去の経験を踏襲するものにならないことを願うばかりです。
竹内洋先生といえば、著名な保守派の論客ですね。
当時のエリートであった革新派に対し、実は日本においてエリートと大衆の境などなく、大衆を動かすものは理論でなく空気である。
エリートが主導しているように見える革新などというものは単なる幻想であり、大衆は単に空気によって動かされているだけだと看破し、その後の左派の退潮を予言されました。

さて、その竹内先生の言葉を借りるなら、現代は再び空気の流れが変わった、風向きが変わってきたぞ、ということなのでしょう。

それは以前のような社会主義への風ではなく、左派が主張しているような軍国主義や全体主義でもない。

反知性主義やポピュリズムのような、既存の権威や権力に対する理由なき反抗、強いて言えば社会的に認めて欲しいという欲求からくる反抗が、空気となって時代を動かそうとしている、ということでしょうか。

となると、先生の言うガラガラポン革命は明治維新のような明確な目的のための変革ではなく、反抗そのものが目的のカオス的状態、強いて言うなら応仁の乱後の下剋上的状態を指しているようです。

力のある人にとっては面白い時代とも言えそうですが、私のような一般人には社会と価値観の変化に翻弄される時代になりそうですね。
もう既にエリートという思考自体が時代遅れになっている感があるように感じます。国籍も問わない、バックグラウンドも違う多様な人材をマネージするためには、ある一定の「教養」は必要になってくる、多様性を許容する度量がリーダーには必要だと考えます。
あとは「リーダーは孤独」であるのも事実ですが、助けてくれる仲間がいるか、ということは大変重要なことだと思います。あのリーダーなら担ぎたい、と思ってくれるような資質。
まだまだ私自身のテーマでもあり、鍛錬中ですが、こうしている間にもどんどん世の中は変わっていく、それに合わせて個人も「持続的成長」をすることが、チャンスを掴む一つの会だと思っています。
「新自由主義は日本にあわない」とある。これ、思想の議論でもよく見かけるのだけど、新自由主義が良い悪いという診断のステージはすでに終わっていて、我々は否が応でも新自由主義的社会を生きている。そのなかでいかにして社会保障と寛容性を維持するか、その論理と政策を具体化するかという点が重要なのではないか。