この連載について
世界中でエリートに対する大衆、中間層の反逆が始まっている。なぜエリートへの信頼がこれほど揺らいでいるのか。中間層は何に怒っているのか。今後、世界と日本は、エリートと中間層の対立が深刻化するのか。そして、今後求められるエリートとはどんな存在なのか。先進国社会の未来を探る。
この連載の記事一覧

【東浩紀×西田亮介】「民主主義=資本主義」の未来
NewsPicks編集部 489Picks

第3のガラガラポン革命で、究極の大衆社会がやってくる
NewsPicks編集部 294Picks

スライドストーリーで見る「格差と下克上の日本史」
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日本のピケティが警告する「日本の世襲格差」
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21世紀の対立軸は「コスモポリタニズムvs.ナショナリズム」
NewsPicks編集部 217Picks

スライドストーリーで見る、「世界と日本の格差」
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エリートvs.中間層。新たな闘争が始まった
NewsPicks編集部 1164Picks
大学においても、変化に時間がかかるのはその点があります。仮に補助金を機関補助(組織への補助)でなく、個人補助に切り替えて学生数に応じた補助にすると、9月入学も含めた多様な取り組みが生まれるはずです。一方でそうすると政府のコントロールは弱まり、上手くいかなかった大学は今以上に潰れますし、日本が維持してきた分厚い中間層を作る安定的な教育の質の高さは失われるかもしれません。自分が入学した大学が途中で潰れることも起こりうる。ただそれを社会が受け入れられれば良いですし、そうした転換点にさしかかっているのではないでしょうか。
実は2000年代初頭に、高等教育は一度自由度を高める方向に舵きりをしようとしました。しかし諸々あり上手くいかず、逆戻りしてしまった。その差が今の世界との開きにつながっていると感じています。
フランスなどはどうなのでしょう?
日本などより遥かに峻烈なエリート教育を行っています。
米国は民主主義が貫徹され、第二次大戦中でも下士官が指揮官に対して「日本の本土を攻めるべきではない」というような意見が自由に言えたそうです。
そういう意味では、常に政府や経営者の言動にチェックが入る風土があります。
映画や知人の意見を聞くと、ハーバードは自意識過剰な新入生が多いそうな(笑)
「自分こそがリーダーになる」という強い自負心があるようです。
まあ、ロースクールだと三流のロー出身の数倍の初任給があるので、それも当然なのかもしれません。
あと、
「だからこそ、エリート層は、在野にいる限りは、みんなに代わって権力を監視する、権力に批判的であることが、ひとつの義務だという認識なのだと思います。それが、政府と在野のバランスを保つひとつの大事な方法なのです。」
エリートって権力を監視する人もいるだろうけど、権力や利権の側に入っていく人が大多数だと思います。
(追記)
そして日本のエリートの課題を英語教育など国の仕組みでの解決を考えるところがいかにも日本のエリートっぽいなあと感じました。
片やミシェルオバマはその経歴から、何をしようとしていた人なのかがわかる。
実はこれが日米のエリートの違いだったりして。
http://toyokeizai.net/articles/-/58596
まず定量的に見ると、日本人の政府への信頼度は主要国最低で、米国人は中の低。期待が高すぎるから信頼が低いとも解釈できるが、普通に考えれば、期待と信頼はある程度一致するものだろう。なので、世に溢れる政府に批判的な論調は、政府に期待も信頼もしていないので為されていると考えるべきで、政府に頼っているかは疑問だ。むしろ、教育機会がより均等なだけに自己責任原則がより強く規範として存在している様に思われる。なお、日本の公務員比率は世界最低水準で、公共投資のGDP比は真ん中くらいでほぼ米国と同じなので、実際に政府に頼っている国とは言えない。
また、エリートに投資をとあるが、日本の中間層の多さは、本来エリートの存在を必要とせず、参加者の合議で決める方式で、それなりの精度が出る国民構成のはず。むしろ合議では育ちにくいリーダーを育成する方が、補完的で良いのでは無いだろうか。
最後に、リベラルなエリートをというメッセージは、リベラルなエリートへの信頼度が明らかに低下している米国の大統領選の状況からして、現実から乖離している。今の高齢化した先進国においては、成長から負担の分配に政府の役割が移っており、困難な負担の分配を実現できるのは、人間を啓蒙する様なリベラルなリーダーでなく、人間の性に根付いた共同体意識をくすぐる保守派のリーダーではないかと僕は思っている。リベラルにはこれが人間の退歩に見えるだろうが、一つ極端な事例を挙げるなら、右派リクードのベギンと、第四次中東戦争を仕掛けた極右サッダートの2人だったから出来たエジプト・イスラエル平和条約の様に、国民をまとめられる保守派のリーダーだから出来る困難な仕事はあるものだ。
①の米国のエリート・リーダーについて。「米国内でのエリート」の定義・一般的解釈が知りたかった。山口さん個人としての定義は『私の中では、エリートというのは、均質の能力の高い集団の中で能力を発揮する存在。一方、リーダーは、均質ではない集団をまとめてあげて、集団としのての力を最大にする存在です。』とある。ただ、米国でエリートへの反発が多いという見解に対して、実質的にはボーディングスクールもあれば、大学もかなりの選抜。また特定のポジションは特定大学の特定コースをえり好みするといった実態もある。またブッシュが親子で大統領になっていたりと、エリートというか名家への反発がある中で、実態としてはそれらが「みんなが決めるプロセスで選ばれた」事例もある。
②の中間層・移民・メンタリティについて。個人的には中間層の比率が薄いが、人口が多く、かつ移民による人口流入が大きいことはポイントだと思う。記事ではアメリカンドリームは実際にはほぼ起こらないと指摘されているが、元々ドリームで発生確率が低いもの。発生しているかという点ではあり、それは人口が多く、移民も多いので、そこから這い上がろうというメンタリティを持った人が一定いて、そういった人が機会を掴める方法があるということだと思う。一方で、自分でそのメンタリティを持つのは大変で、そのメンタリティを持てるように教育をしていく、教育の機会をしていくということが、本質的には重要だとも思う。そこまでできないからこそ、格差が拡大しているのが現実。
最後に、日本においては、エリートに投資をするというよりはリーダーシップに投資をすることが、格差が広がっているからこそ必要なのではないかと個人的には思う。全員に投資できるわけではないので、選抜が必要というのは同意するが、あえてリーダーシップに投資をすべきと思うのは、均質でない集団で力を発揮する能力が一層求められていると思うため。
個人的には、「日本が」という主語を止めて「人類が」とか「世界が」ということを語るリーダーになっていただきたいですが。。。