ハーバードで考える「日米エリート比較」と「エリートの未来」
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「日本は政府に頼りすぎる」とのことですが、どちらかというと政府がコントロールしたがるという印象です。民泊でもタクシー料金でも、自由にはできない。それは必ずしも政府に頼りたいという気持ちとは異なると思います。
大学においても、変化に時間がかかるのはその点があります。仮に補助金を機関補助(組織への補助)でなく、個人補助に切り替えて学生数に応じた補助にすると、9月入学も含めた多様な取り組みが生まれるはずです。一方でそうすると政府のコントロールは弱まり、上手くいかなかった大学は今以上に潰れますし、日本が維持してきた分厚い中間層を作る安定的な教育の質の高さは失われるかもしれません。自分が入学した大学が途中で潰れることも起こりうる。ただそれを社会が受け入れられれば良いですし、そうした転換点にさしかかっているのではないでしょうか。
実は2000年代初頭に、高等教育は一度自由度を高める方向に舵きりをしようとしました。しかし諸々あり上手くいかず、逆戻りしてしまった。その差が今の世界との開きにつながっていると感じています。タイトルがミスリーディング。本質はエリートとリーダーの違いという点だと思いました。どちらかと言うとアメリカ的リーダーにはリバタリアンがやはり多く、結局は政府に対する期待も良い意味で薄いのでは、と。「エリートというのは、均質の能力の高い集団の中で能力を発揮する存在。一方、リーダーは、均質ではない集団をまとめてあげて、集団としのての力を最大にする存在です」そして山口さん綺麗だ。朝からありがとうございます。
「自分は人の3倍頑張らないといけない。自分が頑張らないと、私がダメなだけではなく、黒人の女性はみなダメだと言われる」。これは黒人だけでなくアジア人も同じかなあと思います。
Bostonにいた頃、白人が多い地区だったこともあり、私の周りでは白人の学生が何でもイケていて、優遇されたりクラスでの発言も強かったりしていました(あくまでも傾向です)。
アジア人は成績が良いのに謙虚で地味、隅の方に座っている学生が多かったので気にかけられないことが多く、その「見えないけど確かに存在する差」に悔しく思っていました。
本記事のレベルには及びませんが「自分の行動でアジア人に対する考え方を変えたい」という想いで、クラスで積極的に発言したりイベントでも中心になったり、スポーツを続けてスタイルを保ったりしました。
今思えば、アジア人に対するステレオタイプをいかに取っ払うかを考える毎日でした。
<追記>
shiono yukaさんが米国の大学事情や人種別の学生について分かりやすく解説してくださっています。