東大が、コンピューター科学者を生めない理由

2016/8/2

日本はハードの天国  

「日本には、電気工学、機械系工学では、世界で見ても最も優れた人たちがいて、ハードを見ていると疑いようのない強さを持っている。だが、そのためか教育面を含めてソフトに重点が置かれてこなかった」
6月、トヨタが新設した人工知能の研究所「トヨタ・リサーチ・インスティテュート(TRI)」のギル・プラット所長はNewsPicks編集部の取材にこう答えた。
プラット所長の前所属である「DARPA(国防高等研究計画局)」でも、ハードウェア寄りの研究者らは「未来は日本にあった」と言ったほど、日本のハードウェア研究はいまだに世界でも一目置かれている。
「トヨタでもソフトの仕事をたくさん作る好循環を生み出したいし、若い人にも、プログラミングを基礎的なスキルとして身に付けられるように、興味を持ってもらえる仕組みが必要だ」
プラット所長は、日本の教育にまで言及し、こう課題への認識を述べた。
実際、大学学部生レベルで見ても、世界(特に米国)ではコンピューターサイエンス専攻者は圧倒的な勢いで伸びている。
ワシントン大学の調査によると、米有名大学では、コンピューターサイエンスの専攻者、入門クラス受講者ともに大幅に増えている。(経産省資料から)
例えば、スタンフォード大学でコンピューターサイエンスを専攻する学生の数は2006年の200人強から2014年には700人と3倍以上に伸びたほか、ハーバード大学でも100人弱から300人程度に伸びている。MIT(マサチューセッツ工科大学)でも同様だ。
その一方で、MIT人工知能研究所のダニエラ・ラス所長によると、「現在MITのコンピューターサイエンスでは、日本人の学部生は5人、博士課程が1人、研究生が1人にとどまっている」というのが現状だ。
それでは、日本のコンピューターサイエンスの現状はどうなのか。

30年変わらぬ定員

「国立大学が、情報系(コンピューターサイエンス)の学生を増やすのは、大変困難だと認識しています」
東京大学理学部情報理工学系研究科の萩谷昌己学科長はこう指摘する。
隣国の中国や韓国が猛烈な勢いでコンピューターサイエンスの大学教育に重点投入しているなか、日本でもより強化したい、と研究者側の問題意識は極めて大きいのだが、国立大学の仕組みがそれを許さないのだという。
というのも、前述のプラット所長が話したように、日本では伝統的に、電気系や機械系の学科が強く、東大であっても、学生の定員配分はこの20〜30年ほぼ大きな構造は変わっていないのが現状だ。
「学科にとっては、定員を1人動かすだけでも、大問題になる。全体の枠を動かすのは至難の業です」(萩谷氏)といい、所管官庁である文科省も含めた大きなテコ入れがなければ、こうした構図は変わらなさそうだ。ようやく来年になって、名古屋大学に文理融合の「情報学部」が新設されることになった。
こうした背景もあってか、IT産業の最先端で働いている人材でも、コンピューターサイエンスを専門的に学んだ人材は、極めて限られている。
もちろん、文系理系を問わずにプログラミングを習得することは可能だ。
だが、人工知能や深層学習(ディープラーニング)など、技術の最先端のトレンドがめまぐるしくうつりゆく中で、「コンピューターサイエンスの基本的なところが分かっていないと応用分野でも生かせない」(同)というのは事実だろう。
さらに、今後はIoTの隆盛でIT企業だけでなく、金融、小売り、インフラ、エネルギーを含めあらゆる産業がソフトウェアにシフトしていく。
その中ではコンピューターサイエンスの専門人材が育っていくことに加え、いわゆる文系のビジネス側の人材もプログラミングの「素養」を持っていることがますます重要になる。
「今後、人工知能技術のユーザーになるのか、サプライヤーになるのかで、経済的にも大きく話は異なってきます。が、日本が人工知能技術のサプライヤーになるには、プログラミング技術の底上げは必須です」
東京大学の松尾豊特任准教授は、こう指摘している。

公教育の大きな問題点

「実は、東大に入ってくる比率の高い私立高校出身者の方が、情報系の学習をきちんと経ていないことが多いのです」(萩谷氏)
大学でのコンピューターサイエンス底上げには、その下の高校教育の充実も重要だが、そこにはそこで問題点がある。
現在、高校では「情報」という科目が必修化されているが、受験を優先するような私立高校では、この「情報」(2単位)に割く時間が公立高校より少ない場合が見られるのだという。
特集でも紹介したように、独学でプログラミングを学んだ競技プログラマーや、IPAの未踏に選ばれるような数少ない“天才”たちももちろんいるのだが、全体としては基礎から学び直さないといけないレベルでもあるという。
公立高校では、また別の問題を抱えている。
現行科目の「情報」は、SNSやエクセルなどの使い方を学ぶメディア・リテラシーを学ぶ「社会と情報」か、プログラミングなどを学ぶ「情報の科学」を選択する形を取っている。
中高のプログラミング教育は、特に私立では、民間と連携する場合も多い。(写真はLife is Tech)
だが、教師がプログラミングを教えられないことなどから、文科省によると生徒の8割が「社会と情報」の選択を余儀なくされる事態になっている。
それだけではない。
そもそも「情報」の免許を持って教えている先生が圧倒的に少ないことが、萩谷氏らが実施した公文書公開手続き(2003〜2013年度)で明らかになった。
例えば、東京都では、「情報」の授業を教えているのは、162人中162人が専任の教員で、「情報」以外の授業を受け持つことはない。
だが、これは例外中の例外だ。
例えば、長野県では、情報を担当する教員213人のうち、専任で教えている教員はわずか11人。さらに、他の教科と兼任で教える場合があるが、「免許外」で教えている教員が142人にも上るのだ。
「免許外」とは、本来であれば例外的に、他の教科の免許を持つ教員が1年以内に限って、ある教科を担当することが出来る制度。だが、長野だけでなく日本の多くの都道府県でこの制度が濫用され、音楽や商業科、数学などの教員が「情報」を教える構図がダラダラと続いているのだ。
その後の文科省の発表によると、「免許外」の教員数は全国で27.6%に上った。
「簡単に言うと、多くの都道府県で『情報』の教員採用をしていない、ということです」と萩谷教授は指摘する。
ただ、次期学習指導要領では、プログラミングを中心とする「情報1」という科目が必修となり、大学入試に盛り込まれることが検討されていることから、この状況も変わっていくかもしれない。

それでもプログラミングは始まる

2020年度から順次始まる次期学習指導要領では、小学校から高校、大学まで、プログラミングの授業が一斉に強化される。
特に、小学校での必修化が話題になっているが、特集で紹介したように、独立した科目としてプログラミングが教えられることにはならない見通しだ。その代わりに、数学や国語、音楽、理科の授業を通じて、「プログラミング的思考」を養っていく仕組みが取られる方針だ。
その理念自体に賛同する声は大きいが、現場は課題が山積だ。
「そもそも小学校の各教科で、『プログラミング的思考』を盛り込む新たな方策が取られたのも、ギリギリで官邸がプログラミングを入れ込んだことによる苦肉の策で、理念が先にあったわけではない」(文科省関係者)
ただでさえ、英語教育も含め、現場の教員はギリギリの任務をこなしていることから、どれだけ各教科の教員がきちんとプログラミングを教えられるかは未知数。「理念だけで、実際の運用はテキトーになるだろう」という声は極めて大きい。
だが、それでもこれまでIT教育の拡充を唱えていた関係者は、「まず子どもたちがプログラミングに触れる機会を得られること自体は前向き」と口をそろえている。
文科省も、プログラミング教育を学校現場にだけ任せるのではなく、これまで紹介してきたような民間のプログラミング教室との連携も議論し始めている。
今後、身の回りにコンピューターがさらに溢れていく中で、次代を担う若者たちには新たなコンピューターとのつきあい方が確実に必要となる。
プログラミングを「道具」として、日本が新たな産業やカルチャー、科学、工学を形成していく時代が来ることを願っている。