【求人掲載】17年の“鍛錬”を経た必然のキャリアストーリー

2016/7/28
野村総合研究所(NRI)で初めてコンサルタントの最上位役職「パートナー」に就任した人が、青嶋稔氏である。コンサルタントへの道を歩むために、まずは製造業でキャリアを積み約10年前にNRIへ移籍。大手の製造業に食い込んでいる。製造業での経験、NRIを選んだ理由、理想のコンサルティング像……。豪腕コンサルタントがその道程を語った。
父親の背中に魅せられて
ホンダに勤めていた父親の影響で子どもの頃からモノづくりが好きで、将来なりたい職業として、漠然と製造業にあこがれていました。就職活動期になりホンダを志望していたのですが、ホンダは縁故採用をしませんので、新卒では大手精密機器メーカーに入社しました。
とはいえ、入社を決めた時から定年まで勤めるつもりはなかったのです。大学時代に大前研一さんが書いた『企業参謀』を読んで、コンサルタントという職業に一気に引き込まれました。そこで将来は、大好きな製造業をサポートするコンサルタントになると、この時に決めました。
新卒の就職活動でコンサルティングファームの入社試験を受けなかったのは、製造業の実務経験を積んだほうが、将来、力のあるコンサルタントになれると思ったからです。
定めたコンサルタントへの道
大手精密機器メーカーでは、コンサルタントになるために製造業に身を置いて実際に何を学ぶべきか、どんな経験を積む必要があるかを考え、細かく計画を立てました。
まず国内営業でトップの実績をつくり、海外オフィスに赴任して現地企業向け営業でもトップになり、グローバルビジネスのノウハウを得る。その後は新規事業の立ち上げ、M&A、組織改革といったビジネスを生み出し伸ばすための一連の業務を経験しようと思ったのです。
計画が決まったら、あとはがむしゃらに動くだけ。入社して以来ずっと、朝5時に出社して7時まで勉強することを続けてきました。トイレに行く時も歩きながら本を読んでいたので社員にも名前を覚えてもらえるのが早かった。日中は誰よりもコピー機を売り、夜はお客様の接待。その後に明日の準備とまた勉強です。
話が少しそれますが、私の強みは「モチベーション管理」で、常に120%以上のモチベーションで仕事に挑むことができるのです。「これは自分にしかできない」という思いを常に思っているから、いつも使命感を持って、ハイテンションでいられる(笑)。苦に感じたことは、これまで1日もありません。
青嶋稔(あおしま・みのる)
野村総合研究所 パートナー コンサルティング事業本部
1988年に大手精密機器メーカーへ入社後、コピー機のトップセールスを記録。その後、米国法人に10年間在籍し、営業マネジメントやCRMプロジェクト、企業の買収・統合、新規事業の開発などに従事した。2005年に野村総合研究所に入社。グローバル製造業に対する中期経営計画策定や営業改革、M&A戦略立案、買収後の統合戦略などを担当する。美食家で、プライベートでは「食べログ」などの飲食系ネットサービスへ積極的に書き込みする

40歳目前で転職を決意
そんな日々を過ごして、入社1年目でトップクラスの営業成績を残すことができ、経営陣にもその実績を評価されて海外赴任の夢もかないました。
アメリカの現地法人に赴任して10年ほど経った時、定めた計画をほぼ経験することができたので、転職を決めました。愛着は当然ありましたが、学生時代に立てたコンサルタントの夢のほうが大切だった。転職先に選んだのは野村総合研究所(NRI)。2005年、40歳を目前にした頃です。
正直に言って、当時のNRIはシンクタンクの色が濃くて、私が目指していた戦略系コンサルティングファームのイメージはありませんでした。
ただ、NRIは今後戦略系を強化していきたいと言う。すでにある程度のポジションにいるコンサルティングファームよりも、これから強くなろうとしている会社のほうが面白い。現在の社長を務める此本(臣吾)さんに会って「この人となら一緒に働きたい」とも思い、NRIに決めました。
NRIに根付かせたい理想像
「NRIに入社したら、外資系にはない日本に根ざしたコンサルティング業をつくりたい」
此本さんと会ってNRIへの入社を決めた時、そう話したことを覚えています。製造業に17年身を置いてきた中で、製造業を変えるためにはできるだけ多くの人と話し合い、コンサルタントの考えに納得してもらい、そのうえでお客様の変革をサポートすることが大切だと感じていました。
ある確立された手法を用いた欧米流のコンサルタントも有効ですが、日本の製造業にはきめ細やかな対応が必要です。
お客様とできる限り議論を交わし、最適な解決手法をスピーディに提案できる、そんなオーダーメイド型のコンサルティングをNRIに根付かせたかったのです。
もう一つ、追い求めている理想のコンサルティング像があります。それはトップ(経営層)にもミドル層にも強いこと。
外資系のコンサルティングファームはトップに食い込み、長期ビジョンや戦略の立案をサポートするのがとてもうまい。一方、当時のNRIは、トップよりもミドルに支持される会社で現場に強かった。
変化の激しい時代に、会社全体のビジョンと戦略を推進するためにトップに受け入れられる力は必要です。その一方で、海外に比べてトップダウンが成り立ちにくい日本企業では、組織の実行力を強めるために、ミドルからの支持も大事です。
日本の製造業のトップとミドルに強いコンサルティングファームはありそうでないですし、この領域は絶対に負けたくない。NRIがならなければならないと思ったのです。
証明した自分のスタイル
私の考え方を受け入れてくれた、ある超大手の製造業があります。
全体の規模で見れば、決して大きいとは言えない印刷機事業の現場改革をお手伝いするところから始まりました。とにかくこの事業を伸ばすためにどうしたらいいかを真剣に考えて提案に通い詰めていたら「おまえはほかのコンサルタントと違って泥臭くて粘り強い」と面白がられるようになったのです。
そうしたら、他の事業部門に紹介されるチャンスを得たり、ライバルのコンサルティング会社の提案内容をこっそり教えてもらえるようになったり。最終的にはトップ層にアプローチできる機会を得られて、当時の副社長に提案できるようになりました。
結果的に、このお客様とは10年以上のお付き合いをさせていただいており、規模は最初に比べて40倍ほどに成長しています。ミドルからトップに食い込むことができた、私の大切な体験です。
お客様の副社長から「他のコンサルティングファームに比べて製造業を理解しているきみは、一緒に事業を伸ばそうとしてくれる」と言ってもらえた時は本当にうれしかった。
着々と実績を積み重ね、まだまだ高みを目指しますが、今では大手の製造業のトップにもミドルにも強いコンサルティングファームとして、少しは認められ始めたと思います。生意気に聞こえるかもしれませんが、外資を含めてほかのコンサルティング会社に負ける気がしません。
生まれ変わってもコンサルを選ぶ
日本の製造業は、家電でも自動車でも精密機械でも、あらゆる業態の企業がパラダイムシフトに直面していて、突発的で非連続な変化に対応し続けなければなりません。
こんな激動の時代に、製造業のお客様のトップとミドルの両面をサポートできるようになったNRIで、コンサルタントとして仕事ができる私は、本当に幸せです。
私にとってコンサルタントは天職です。100万回生まれ変わっても、職業はコンサルタントを選ぶと今でも本気で思います。
これからも私は日本の製造業を支える自分たちにしかできないコンサルティングサービスを提供していきます。そしてそれを、一つのコンサルティングのかたちとして継承したい。たとえ私がいなくなったとしても、それをちゃんとNRIのコンサルティングスタイルとして伝承していきたい。受け継いでくれる人を、私はいつも待っています。(談)
(聞き手:木村剛士、文:長山清子、写真:風間仁一郎)