Business district: stock market and finance data on city background

ファイナンスに携わる全ての人に

【堀内勉】なぜ、ファイナンスに哲学が求められるのか

2016/7/27
東京大学法学部卒業(LLB)、ハーバード大学法律大学院修了(LLM)、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了(TLP)、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了、日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント代表取締役社長を経て、2015年6月迄森ビル取締役専務執行役員CFO、多摩大学大学院特任教授。

東京大学法学部卒業(LLB)、ハーバード大学法律大学院修了(LLM)、Institute for Strategic Leadership(ISL)修了(TLP)、東京大学 Executive Management Program(EMP)修了、日本興業銀行、ゴールドマンサックス証券、森ビル・インベストメントマネジメント代表取締役社長を経て、2015年6月迄森ビル取締役専務執行役員CFO、多摩大学大学院特任教授。

問題の本質は根深い

今般、『ファイナンスの哲学 資本主義の本質的な理解のための10大概念』をダイヤモンド社から上梓しました。

ファイナンスの本というと、理論的で堅い内容のものばかりで、正直、読んで面白いものは少ないように思います。長年ファイナンスに関わってきた私自身がそう思うのですから、ましてファイナンスの専門家でない方々は、この種の本を手に取る機会も少ないのではないでしょうか。

ただ、よく考えてみると、この問題の本質は意外に根深いのではないかと思います。

つまり、本来は人間的であるべき経済活動から人間的な側面や価値観を取り去り、ただひたすら形式的な理論だけを追求するようになってしまったのが今の金融の姿で、そのためにファイナンスの本も必然的につまらなくなってしまったのでないかと。

経済学者の中山智香子は『経済ジェノサイド フリードマンと世界経済の半世紀』の中で、新自由主義の元祖ミルトン・フリードマン以降、いかに経済学が多くの価値観を捨象してきたか、また、金融、特に金融工学が、フリードマンさえ想定していなかったほどに価値観や規制から逃れ、自由に振舞っているかについて詳しく書いています。

経済学においても、かつてはアダム・スミスの『道徳感情論』に見られたように、経済活動の思想的な側面に重きが置かれていました。たとえば、経済活動はできるだけ自由であり、「(神の)見えざる手」に任せるべきだとしても、それには、他者に対して共感を持つ道徳的な人間の存在が前提とされていました。

人間に焦点を当てた経済学

これがいつの間にか、経済学に人間的な側面を持ち込もうとする努力は、むしろ非科学的な姿勢として退けられました。ジョン・ガルブレイスやピーター・ドラッカーや宇沢弘文が提唱するような、人間に焦点を当てた経済学は非主流扱いされるようになってしまいました。

この点について、経済学者のトーマス・カリアー『ノーベル経済学賞の40年 20世紀経済思想史入門』が、現在の経済学の状況をよく表しています。

ここでは、

「経済学にも科学と同じく基本法則が存在するなら、それは人間の行動原理に関わるものであるべきだが、今のノーベル経済学賞は『経済を扱う科学』を対象にしている。経済学の理論のほとんどは、物理など科学の公式を模倣して作られており、理論的な正しさが必要以上に強調される結果、現実の経済を扱う学問ではなく、架空の世界に関わる学問になってしまった。今の経済学賞受賞者の多くは、規制のない自由な市場に信頼を寄せる自由主義経済学者であり、フリードマンに始まるシカゴ学派に偏重し過ぎている」

と指摘しています。

こうした「科学的」な方向性を極端な形で推し進めたのが、現在の経済や金融の姿ではないでしょうか。日本では大変評判の悪いフリードマンでさえ、ナチスの全体主義やソ連の共産主義に対して個人の自由を守るという思想的な側面を持っていたのですが、今は、新自由主義の「自由」だけがいいとこ取りされているように見えます。

経済活動には、本来、社会的側面があるべきですが、今の金融は政府や社会からの限りない自由を実現する方向に進んでいて、特に金融工学は全ての経済現象を数学の世界に還元し、価値観から解放された完全なる無機体に進化することで、高度な数学的手法や数理モデルを使う金融の専門家集団であるクオンツたちの独壇場となっています。

こうした極端なあり方は、2008年のリーマンショックを契機として一瞬修正されるかに見えましたが、結局は国家間の金融市場競争やタックスヘイブン(租税回避地)の中に紛れて、金融の実態は余計につかめなくなってしまいました。

今や大前研一が『お金の流れが変わった!』の中で名づけた、いわゆる「ホームレスマネー」が世界中で4千乃至(ないし)5千兆円(世界のGDP総額は約7千兆円)あると言われていています。

経済学者のトマ・ピケティは、世界的なベストセラーとなった『21世紀の資本』の中で、全ての国の対外資産を合計すると対外債務より1割程度少ない、つまり世界全体で対外純資産がマイナスになっていると指摘しています。

各国の統計が正確であれば、世界の資産と負債を合わせれば、当然プラスマイナスゼロになるはずですが、このように帳尻があわない最大の原因はタックスヘイブンにあり、世界の国民所得の7%程度がそこに流れているのではないかと推定しています。

こうした信じがたいような推論も、世界の富裕層によるグローバルな脱税・節税を実名入りで暴いた2016年の「パナマ文書」の公表によって、その信ぴょう性を増してきています。

本を執筆しようと思ったきっかけ

このように、今日のファイナンスのつまらなさは、企業の財務活動から全ての人間的なダイナミックな側面を捨象し、あらゆるものを数学の世界に還元してしまったことにあるのではないかというのが、私がこの本を執筆しようと思ったきっかけです。

リーマンショックは、その後の各国政府や中央銀行の出動でいったん収まったかに見えましたが、結局は金融政策と財政政策頼みの「二日酔いを迎え酒で抑える」ような状況が続いていて、世界経済の基本構造は、その前も後も全く変わっていません。

つまり、リーマンショック前に民間部門が抱えていた過剰債務と不良債権を政府部門が引き受け、結果として、ラストリゾートであるはずの国家が資本主義のゲームの一員として巻き込まれてしまい、最早、「後ろを振り返っても誰もいない」状況にあります。

リーマンショックに際して、元米財務長官のローレンス・サマーズは、「百年に一度の危機は三年に一度やってくる」と言いましたが、世界がこのまま新自由主義的な経済政策だけを推し進め、持てる者と持たざる者を分断していくのであれば、マルクスが予言したように、社会全体が崩壊してしまう恐れがあり、それが経済支配者たちの立場を守るための手段であるか否かという理由づけの如何を問わず、社会保障的な仕組みは必ず必要になってきます。

経済学者の森嶋通夫が指摘したように、近代の資本主義は、狭義の資本主義部門と福祉部門の複合体で、二つの部門は必ず対をなしバランスを保って発展しなければならず、一方を欠く場合には、他方は長期にわたって存続することが難しくなります。

もし福祉部門が過大になれば、資本主義部門はそれを支えることができず、その結果として福祉部門を縮小し過ぎると、資本主義部門に対する批判が高まり、資本主義を維持するためにも、福祉の拡大を認めざるを得なくなる関係にあります。両者のバランスを欠けば、社会はテロや革命を通じて必ず不安定化します。

事は単純ではない

このように、近代資本主義は両部門のバランスの上に初めて存続できるのであって、純粋な「資本主義」経済は、社会制度としては欠陥品です。

思想的に新自由主義であろうが社会民主主義であろうが、自由な市場を活用した競争原理が働くイノベーティブな部分と、富の循環により貧困をなくし、社会主義的で相互扶助的な人間的な連帯を重視する部分は、必ず社会の中で並立させておかなければ、社会の安定性は維持できません。

現実の世界を見れば、トマ・ピケティが検証したように、資本主義は放置しておくと経済格差を拡大する一方向にのみ作用します。この格差問題解消のためにピケティが唱えているのが、公権力が富裕層に対して一定の財産税を課し、それを循環させようとする国際富裕税です。

ただし、こうした税当局の国際的連携と資産捕捉は、超国家的な権力の存在を前提にしていて、その実現可能性はかなり疑問視されています。

富を社会に循環させるもうひとつの考え方は、富裕層が富を社会の安定化やより良い社会の構築に向けて自発的に活用することです。

たとえばマイクロソフトの創始者ビル・ゲイツが、ビル&メリンダ・ゲイツ財団を作って”social good”(社会善)のために活用しているように、またウォーレン・バフェットとビル・ゲイツが立ち上げ、マーク・ザッカーバーグも参加している”The Giving Pledge”という寄付プラットフォームのように、一部の富裕層は、すでにこうした自覚の下に具体的なアクションを取り始めています。

そして、私自身は、これからの世界の安定化のためには、両方の手段を活用して富を社会に循環させていく必要があると思いますが、実現可能性の意味では、後者の自発的なやり方にウェートを置いて考えています。

しかしながら、ただ単に富裕層に対して「富を差し出せ」と言って差し出すほど事は単純ではありません。そうした動きは、あくまで内発的なものでなければなりませんし、そのためには富裕層の「心」が動かなければならなりません。

そして、こうした社会の不平等や不正義を見逃せない「心」の育成は、小さい頃からの教育や環境の果たす役割が極めて大きいと考えています。

ひとつの壮大なフィクション

金融技術とパーソナルコンピューターの進歩は、全ての事物をキャッシュフローの源泉とみなし、そこから生み出される将来のキャッシュフロー全てを現在価値に割り戻した数字を経済的価値と見るようになりました。

そして、金銭に換算できない価値は、「金銭的な価値とは別の、違う尺度での固有の価値を持つもの」として正しく認識せずに、「金銭に換算できないものは、無価値なもの」あるいは「無視すべきもの」という間違った認識を広める結果になってしまいました。

しかしながら、人間にとって本当に重要なのは、貨幣や市場が提供するフィクションの部分を、あくまで便利な道具としてわきまえ、フィクションの部分と我々人間の感情や心性や肉体というリアルな部分の間に明確な線引きを行い、目的と手段を混同せずに生きることです。

私が本書を通して言いたかったのは、ファイナンスとはあくまでひとつの壮大なフィクションであり、また非常に役に立つテクニックではあっても、やはりそれはあくまでテクニックでしかなく、それが全てだとは思わないでもらいたいということです。

ファイナンスがよって立つ資本主義のゲームは社会全体を包摂する唯一無二の原理ではないことを自覚して、そうしたゲームにはあくまでクールに参加することが何より大切だと思います。

そして、ゲームの勝者たちに求められるのは、ゲームに勝つこと自体を究極の目標にすべきではなく、ゲームの先にある人間としての自覚と目標にこそ、ゲームを極める本当の意味があるのだと理解することです。そうした自覚を持たないまま、資本の無限運動に生身の人間が巻き込まれてしまうのであれば、その人はどこにもゴールのない無限ループの闇の彼方に放り込まれてしまいます。

資本主義社会は、これまで人類が実現してきた社会システムの中でも、社会的な富の蓄積にとっては最も優れたシステムであり、それが人間の本性に適っているか否かの検証は未だなされていませんが、現時点でそれを覆して新たなシステムを提示・構築するのは余りに非現実的です。

本を通して伝えたいこと

国連人口部の推計によれば、人類は資本主義が実現した経済の目覚ましい発展により、1800年の10億人から今では73億人にまで達し、これが2050年には90億人に達すると見られています。

また、人類の平均寿命も、人類史初期の平均寿命が20~35歳であったと推定されるのに対し、1900年には先進国の寿命は40~50歳にまで延び、これが現在では80歳程度にまで伸びています。

これは、経済システムとしての資本主義が果たした大きな成果で、その副作用のゆえにこれを放棄するには、余りにも惜しいシステムです。人間に本来的に備わっている成長意欲がイノベーションを生み出し、それが経済の発展につながり、ひいては人類の幸福につながっていくのであれば、「角をためて牛を殺す」ようなことをしても意味がありません。

個人的な経験からすれば、事業家の事業意欲は単なる金銭欲ではないことが多く、特に社会全体を変革するようなシュンペーター的なイノベーションを起こす起業家は、むしろ金銭欲よりは事業意欲、成長意欲などが強いがゆえに事業家として成功していることが多いように思います。

そうした事業家の事業意欲と社会的な富の循環は決して両立し得ないことではなく、むしろ社会的な不平等や不正義を正したいという思いから起業する起業家が沢山いるように思います。

こうした強い思いを抱いて、社会をより良くしていこうと考える起業家、企業人、富裕層を増やして、自発的な富の循環のモメンタムを強めることが、教育の本来の目的であり、たとえ迂遠だとしても、今ある資本主義のメリットを活かしながら、同時に社会正義を実現していくための現実的な道筋だと考えています。

本書は、このように、経済学においては今や陽の当たらなくなってしまった経済思想や哲学といった人間的な側面と、ファイナンスや金融の理論をホリスティック(総体的)に結びつけようとする試みです。

そして、金融のゲームをただゲームとしてだけ楽しむことはできない、自分のイノセントな行為が、もしかしたら地球の裏側にいる人々を傷つけているかも知れないという不安が少しでも心をよぎるような人たちに向けた、私からのメッセージです。

この本を通じて、現にファイナンスに携わっている人には本来のファイナンスや金融の姿を、それ以外の人にはファイナンスや金融が果たすべき本来の役割を、より深く理解していただければと願っています。
 finance_book.001

(写真:iStock.com/Maxiphoto)