ビジネスの原型は、小学生時代の「クワガタ収集」

2016/7/23

算数は得意、国語は苦手

我が家は本当にごく普通の家庭でした。
親が事業をやっていた、などといったこともなく、強いて挙げれば、物心ついた時にはすでに亡くなっていた祖父が、新潟で米店を営んでいたくらい。血筋として経営者気質を受け継いでいたようなことはありません。
ただ、母親の方針で、教育に熱心な家ではありました。
母自身が大学には進まなかったこともあり、せめて息子にはきちんと勉強させてやりたいという思いがあったようです。
そんな気持ちに報いようと頑張ったわけではないのですが、もともと要領が良かったのか、算数にしても何にしても、やれば人よりデキる子どもではありました。
とくに勤勉な性格ではありませんでしたが、成績が良ければ楽しくなるもので、わりと前向きに勉強していたことを覚えています。
通っていた公文式の塾でも、飛び級でどんどん上のレベルに上がっていくものだから、「この子はすごいぞ」と、周囲で話題になっていました。
その半面、国語は苦手科目でした。
とくに、「この時、この人物がどう感じたのかを答えなさい」といった読解力の問題には、大いに頭を悩ませたものです。
自分だったらこう感じるはずだと、思ったことをそのまま書いても不正解。
「じゃあ、なぜ先生にはこの人の気持ちがわかるんですか?」と文句を言ったりして、先生からすれば少々扱いづらい子どもだったかもしれません(笑)。
少なくとも、子どもの頃から、何かと決めつけられることに違和感を覚えるタイプだったことは間違いないと思います。

初めて手がけた“商売”

体を動かすことも大好きで、少年野球チームに所属していた他、休みの日はいつも友達や2つ下の弟とあたりを駆けまわっていました。
自然がたっぷり残る千葉県の片田舎の出身なので、虫捕りもよくやりました。
とくにカブトムシやクワガタを捕るのが得意で、毎年夏になると、クラスの男子から一目置かれていました。
小学校4年生のある日、近所のおじいちゃんに、たくさんクワガタが捕れる“穴場”を教わりました。
電車に乗って3つ先の駅まで行かなければなりませんでしたが、日曜日や夏休みには始発に乗ってそこへ向かい、それまで以上に大量のクワガタを捕まえるようになりました。
毎日、10匹も20匹も捕まえてくるので、そのうち自分では飼いきれなくなり、欲しがる友達に1匹数十円で売ってみようと思い立ちます。
これが当時の僕には、とてもいい小遣い稼ぎになりました。
サイズや人気によって価格を変えるなど、需要に合わせた値付けをして、これがいわば、僕が手がけた最初の商売と言えるかもしれません。
そして、クワガタを売ってためたお金で、今度は当時はやっていたビックリマンチョコを買いあさり、付録のシールを集めます。
そのうち、なかなか手に入らない希少なシールがダブったりすると、それを欲しがる人に安く譲り、次のための“原資”をつくる。
そんなことを、小学校の頃から自然にやっていました。
また、その時に大流行していたキン消し(キン肉マン消しゴム)も同様です。
パターンとして、まずは自分が欲しいから一生懸命に集めます。それも、凝り性なのでとことん集めなければ気が済みません。
そして他にもそれを欲しがる人がいれば、喜んでもらえるならばと快く譲る。
これはシンプルな商売のかたちそのもので、後に事業として輸入CD・レコードの販売を手がけた時と、まったく同じ仕組みです。
音楽にハマって輸入CDやレコードを集めまくり、最初は自分だけで楽しんでいたものを、音楽好きの友人やバンド仲間に譲り始め、喜んでもらえるのがうれしくて友人の分も一緒に仕入れるようになった──。
そこに確かなニーズを感じ取ったわけでもなく、ビジネス感覚で考えていたわけでもありません。
好きで集めていたコレクションに、自然と注目が集まって、気がつけば欲しいと言ってくれる人の分まで調達するようになる。
これがスタートトゥデイの原型だったのです。
実際、子どもの頃、文集に書いていた将来の夢は、社長でも実業家でも何でもなく、高いところが好きだったという理由から、「高層ビルの窓清掃の仕事」でした。
まるでスパイダーマンみたいで、子ども心にとてもカッコよく見えたのです。
運動神経には自信がありましたから、自分にもきっとできるはずだと本気で考えていました。
(聞き手・構成:友清 哲、撮影:遠藤素子)