35兆円企業の“実験都市”、シアトル現場リポート

2016/7/12

あなたが買う本を、予測する書店

2016年7月上旬、米国は北西部最大の都市、シアトルにNewsPicks取材班は降り立った。
ここは世界最大のオンラインショッピングサイトを運営するIT企業、アマゾンが生まれた街だ。そして日本ではまだスタートしていない最先端のサービスを試験導入している“実験都市”でもある。
年間売上高にして約12兆円(1070億ドル、2015年通期)、時価総額約35兆円にして成長の勢いが止まらない巨人は、どんな未来を描いているのか。そのビジョンを確かめるのには、まさにもってこいの場所なのだ。
最初に向かったのは、世界でたった1軒しかない、アマゾンが経営するリアル書店の「Amazon Books」だ。
市内からクルマで国道5号線を北に向かい、ユニオン湖をわたること約15分。アマゾンの人材源にもなっている、コンピュータサイエンス分野の名門、ワシントン大学のキャンパスにその書店はたたずんでいた。
「本の価格は、アマゾン・ドット・コムとぴったり同じ」
そんな看板がかかる正面入口のドアを開けると、まず「高評価 星4.8個以上」と書かれた、不思議な書棚が目に飛び込んでくる。
アマゾンのサイトでは、読者は本に対して自由にレビューを書き、内容に応じて星1つから星5つまで5段階評価をつけられる。
この書棚は、その中でも星にして平均星4.8以上の高評価を得た本しか、置くことが許されていないトップステージだ。一般的な書店のように新刊であるよりも、膨大な購買データによって、売るべき本を再定義しようということだ。
どんなタイトルが、選ばれているのか。
2016年のピュリツァー賞を受賞したばかりの『ハミルトン』といった話題の書籍から、サンテクジュペリの名著『星の王子さま』の豪華絵本、さらには世界的な動物写真家のティム・フラックによる大型写真集までさまざまだ。
共通するのは、全米のアマゾンユーザーの評価によって、お墨付きを得た本だということ。アマゾン創業者のジェフ・ベゾス氏が愛読する本も、本人のレビューと評価とともに並んでいる。
約1500平方メートルの店内で、書棚をかきわけて進んでゆくと、このお店がデータによって“呼吸”をしていることが理解できる。
新刊本のコーナーもあるが、並んでいるタイトルは事前注文部数や読書好きが集まるSNS「GoodRead」の評価を基に、書店員が好みに応じて選んだと書かれている。さらに児童書は、その年齢ごとの子どもが高評価をつけたラインアップに仕立ててある。つまりデータと人間の感性、そのハイブリッド型といったところか。
店内中央には、アマゾンの電子書籍端末「キンドル」や、家庭用の音声認識ロボットの「エコー」、テレビに差し込むだけで映画など動画コンテンツが楽しめる「ファイアスティック」が展示中だ。紙でもデジタルでも、好きな方法でコンテンツが楽しめますよ、と暗に訴えかけてくるようだ。
本の品ぞろえは、さすがにオンラインのように無制限とはいかない。
「在庫は限られており、ここでは約7000タイトルの書籍が、データによって2週間ごとにグルグルと入れ替わっています。不思議でしょう」
過去に伝統的な書店で15年間働いた経験があるという男性スタッフは、そのように説明すると、おすすめの本を丁寧に紹介して回ってくれた。

実店舗計画でパニックに

紙の匂いを嗅ぎなら店内を巡ると、アマゾンが、この米国でバーンズ・アンド・ノーブルのような大手書店チェーンから、街の小さな本屋まで次々と追い詰める「ディスラプター」(破壊者)であることを、ふと忘れてしまう。
2016年2月、米国のショッピングモール開発に関わる投資会社のトップが、口を滑らせて大騒動になった。
いわく、「アマゾンはリアルな書店チェーンを展開しようとしていますね。私の理解では300から400店舗を視野に入れているとか」(ジェネラル・グロス・プロパティー、サンディープ・マスラニCEO)
その後、アマゾンに具体的な計画はないと発言を撤回したが、ことは後の祭りだった。
現地報道によれば、伝統的な書店に関わる人々はこの報道を聞いてパニックになり、書店経営に関連する株価は暴落。多くのメディアはアマゾンが書店の運営スタッフを大々的に採用しているという事実の裏付けに走った。
リアルな書店がインターネットを活用するのではなく、インターネット企業がリアルな書店を活用することがデジタル時代の「正解」だ──。
この1号店でじっと耳を澄ますと、ジェフ・ベゾスCEOのそんな声が聞こえてくるようだ。ちなみにカリフォルニア州では、2号店が建設の最中にある。
膨大な顧客の購買データと知見を蓄積しているアマゾンが、リアルな世界でもその姿をむくむくと現していくのだろうか。それとも、これはアマゾンにとっては、ただ本と最新端末などを飾る「ショールーム」に過ぎないのだろうか。
取材を終えると、私は数冊の本をもってレジに並び、約65ドルのお金を支払った。その本たちは、私の過去の購買履歴から、まるであらかじめ買うことを予測していたかのように袋の中に収まっていた。

シアトルで増殖するオフィス

いまから約20年前の1994年、アマゾンはこのシアトル郊外のガレージで産声を上げた。当時、シアトルといえば航空産業の雄、ボーイングがけん引する街であり、世界的なコーヒーショップのスターバックスの本拠地でもあった。
近郊にはマイクロソフトが本社を構えているが、現在のアマゾン本社があるビジネスエリアは、湖に面した地味な倉庫街が立ち並ぶ産業地区だったという。そこに姿を現したのが、ウォールストリートの金融街からやってきた、弱冠30歳のジェフ・ベゾスだった。
最先端のデジタル技術とアルゴリズムという、金融工学を駆使したヘッジファンド「D・E・ショー」で働いていたベゾスは、インターネットという発明によって、巨大な経済圏が生まれることを予感していた。
そして本のオンライン販売から始まったビジネスは、2000年前後のインターネット・バブルとその破綻を乗り越えて、いまや自動車から高級ワイン、宝石まで扱う巨大なプラットフォームとして世界全体に広がっている。
現在、シアトル市内はアマゾンのオフィスビルが増え続けており、まだ建設中の場所もある。その大小のビルには、アマゾンの歴史に由来する名前がつけられている。たとえば、歩くだけでこんなビル名に出会う。
「DAY 1」:ベゾスが投資家宛てに、インターネットはまだ「初日」(Day1)と書いたことに由来
「DAWSON」:アマゾンが最初につくった物流センターに由来
「KUMO」:世界最大のクラウド(雲)を営むサービスに由来
「FIONA」:電子書籍端末キンドルの開発コードネームに由来
「NESSIE」:顧客トレンドを追跡するITツールに由来
「DOPPLER」:音声認識ロボット「エコー」の開発コードネームに由来
こうしたオフィスビルは市内で30棟以上にまで増えており、その拡張に伴って、この本社エリアには2万人以上の社員たちが集まっている。さらに市中心部には、2021年に完成する巨大キャンパスを建築中だ。
街角を歩けば、アマゾンの配達を受け取ることができる「アマゾンロッカー」が設置してある。注文した荷物をロッカーで受け取れるシステムで、配送の非効率や不在対応を解消する取り組みの一つだ。
また道路には、「アマゾンフレッシュ」とでかでかと描かれたトラックが走っている。これは年会費299ドルを支払うことで、野菜や果物、肉といった生鮮食品や、飲食店の食べ物をデリバリーしてくれるサービスだ。
2007年にひっそりとシアトル市内の2区画で始まったが、米国の主要都市に広まり、昨年には英国で始まって既存のスーパーマーケットを騒がせている。
「あなたもアマゾンフレックスで、配達業務をしませんか。21歳以上で応募できます!」
クルマでラジオを聴いていたら、アマゾンの求人広告が流れてきた。アマゾンフレックスとは、一般人がマイカーで、空き時間を使ってアマゾンの荷物を配送する仕事を請け負えるシステムだ。
コンセプトは、配車サービスのUBERそっくりだ。これはアマゾンの物流システムに、一般人の空き時間を使ったシェアリングエコノミーを取り込む、実証実験の一つだと言われている。無人のドローンを試験飛行させているエリアとは違い、この都市部では、まだ人間の仕事はありそうだ。
「ここはアマゾンの街。地域経済は潤っても、たくさん社員がやってきて、家賃が高騰しているのは本当に困るな」
地元のタクシー運転手たちのそんな悩みもどこ吹く風か、シアトル市街地では今日も、アマゾンの新社屋の拡張工事の音が響き渡っている。
本特集「アマゾン化する世界」では、成長を続けるこのテクノロジーの巨人と12兆円の経済圏を描いていく。とりわけ注目するのは、同社がビジネスの中核に掲げている「アマゾンプライム」のサービスだ。
世界で約7000万人、日本国内で約500万人を抱えているとされる有料会員たちは、送料無料のお買い物をはじめとして、映画や音楽といったコンテンツの使い放題サービスまで、アマゾンのヘビーユーザー層になっている。
2016年7月12日には、そんなプライム会員たちに向けた世界的な大セール「プライムデー」が開催された。世界中のプライム会員たちが、アマゾンのサイトに張り付き、クリックを連打していたはずだ。
彼らにとってアマゾンは、もはや生活に不可欠なインフラになっているのだ。そしてそのビジネスは、消費者の行動だけでなく、サービスを支えている物流や流通といった仕組みにまで、大きな影響を与えるようになっている。
特集第1〜6回の【前編】では、アマゾンが巨額投資を続けるインフラビジネスが、日本の経済をどのように塗り替えているのかを紹介する。
第7〜9回の【中編】では、動画や音楽などのコンテンツから、国際的な物流網まで、アマゾン注目のビジネス現場を紹介する。
そして第10〜12回の【後編】では、アマゾンの成長エンジンであるプライムサービスをグローバルで統括する米国経営陣の単独インタビューなどを掲載する。