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この議論も、非常に単純化された文系理系の話なので、いろいろ反論もあるかとは思いますが、文系的素養がないと行き詰まる。というのは、アカデミアの分野では感じます。
MITのメディアラボなんかは顕著なのですが、彼らはモノを作るのではなく、コンセプトを作っているんですよね。そのコンセプトを示すためのモノを作っているという。
で、このコンセプトを作る作業は、社会の文脈を読み、歴史を学び、未来を見据えて初めて出てくるものなので、その意味ではとても文系的であると言えます。ここが弱いために落とされてしまう日本の研究も多いです。

ダブルメジャーの話は納得感ありますが、「うちの専攻を修了するためには、ここまでは譲れない」というのは、そんなひどい話でもないように思います。修了要件を下げてまで、2つの学位を授与するのはちょっと違うんじゃないかなぁと。

最後に、「理系は稼げる」って共通認識ですか?逆のイメージしかないですが。
文系と理系という区別自体がナンセンスだと思います。

文系、理系といってもたかだか大学4年間の違いだし、差がつくほど勉強に熱心な大学生がどのくらいいるか疑問です。
文学部を卒業してもメーカーに就職して工場勤務をしていれば、自然にメカに強くなります。
逆に、工学部を卒業しても銀行や商社に就職すればメカ音痴になるでしょう。

大学の学部なんてたかだた4年間。
それで人生変わるわけではありません。
読んでいてポジショントーク感が強く、違和感のオンパレード。文系理系の二者択一をベースにしたダブルメジャーのくだりも違和感。実際に、現行制度下でアメリカのコロンビア大学で哲学と物理学の修士の両方を取った人物を知っているが、かかった時間に対して享受できるメリットがあまりにも少ないという話を聞いたし、実際にそういう印象を持った。かといって、制度変更して時間を減らすとクオリティは明らかに落ちるだろう。ただし、記事にあるように人生の各フェーズで専門を異にして学び直すというのはアリかもしれない。

例えば、物理学を学習していても量子力学の観測問題などに哲学的要素も入ってくるし、不確定性原理を提唱したハイゼンベルグなどは「部分と全体」という本でそういった趣旨のことを書いている。初めからダブルメジャーで行くというよりも、そういうところから興味が派生して哲学を勉強する、というスタイルの方が自然ではないか。本来的な意味での勉強とはそういうものだろう。

文学、哲学、法学、社会学、歴史学等は教養として必要だという認識はあるが、実際の仕事の局面で、その素養の有無がクリティカルな役割を果たすかどうかは、はなはだ疑問だ。良く言ってもケースバイケースだろう。タイトルは明らかに言い過ぎだ。
『「文系学部廃止」の衝撃』はファクトベースで、「文系・理系論争」の問題点を的確に指摘した一冊。読み応えあります。文系らしく、数百年スパンの知識を引用しながら「文系は役に立つ」という論陣を張っています。
そもそも文系・理系って何だろう?東大だと文Ⅱとなっているが、経済学は文系?ヒューマンファクターなどデザインに近い領域は理系?
個々のレベルでいえば、文系なのか理系なのか関係なく、「できることを広げられるか・深められるか」によると思う。当たり前だが、できることが少なければ競争力は低い。社会全体でいえば、あることにものすごく興味をもち競争力がある人、幅広いことに興味を持ちつなげることができる人、様々な人がいる。様々な人がいるのだからそれを互いに活用できればプラスだし、互いに否定しあえばマイナスにしかならない。
少なくとも私の周辺の市場関係の世界に限りますが、理系の素養がない文系も行き詰るケースが多い印象です。
ダブルメジャー(2つの専攻)を制度化する。いい施策だと思います。全員に適用せずとも、選択可能な設計はできるのでは。ぼくは情報工学と政治学にします。
文系、理系がどうという話ではなく、イノベーターやリーダーは教養が必要。教養を高めるために大学機関が果たす役割は何か?社会人になってから教養を高めるために何ができるか?が議論できると良いなと思います。

大学では、曖昧になっているリベラルアーツという言葉の見直しは必要だと考えてます。

池上さんの著書にあったリベラルアーツに関すること↓
リベラルアーツはヨーロッパの大学で学問の基本だとみなされた7科目を指すようです。
①文法
②修辞学
③論理学
④算術
⑤幾何学
⑥天文学
⑦音楽

池上彰さんは、著書おとなの教養にて、現代の教養7科をあげてます。
①宗教
②宇宙
③人生の旅路=歴史
④人間と病気
⑤経済学
⑥歴史
⑦日本と日本人

人工知能に仕事を奪われないために、人ができることは、教養力を磨き続けることだと思います。
「大学の劣化」。一言で言うとそうかもしれません。そして、それに歯止めをかける術を持てなかったことでしょうか。

個人的には文系、理系よりも教養の軽視が大きいのではないかと考えています。1991年に大学設置基準が大綱化して、一般教育がカリキュラム上任意になり、各大学がより専門教育重視へとシフトしました。一般教育には制度上の課題はありましたが、そのモデルはアメリカのリベラルアーツです。

「アメリカでは、カレッジで文理越境的な教育をしていますし、日本よりもよほどリベラルアーツの重要性が理解されています。」と紹介されていますが、日本は大学設置基準を制定した1956年からリベラルアーツを志向していたにも関わらず、それを手放した経緯があります。もともと目指したものは、まさに理系であっても文系の素養を持つという人材育成でした。

そうした経緯から、再度リベラルアーツへの回帰は大学設置基準から組み直さないとならないほどの難しい作業でしょう。それを社会が望むか分かりませんが、考えても良い時期かもしれませんね。
日本の大学進学率は専門学校等を含めればそれほど先進国と変わりはない。
ではなぜ学生の質の低下が言われるのか?
個人的には高校卒業のハードルが低すぎるからだと思います。


あと、私も文系は役に立つと思います(^^)
「なぜ文系が役に立たないと言われるのか:「大学で学んで役に立つこと」と「制度」からの考察」
https://newspicks.com/news/1566850
この連載について
AIをはじめとするテクノロジーの進展により、営業、マーケティングから経理・人事に至るまで、さまざまな領域でデジタルの素養が求められるようになっている。従来からある「義理と人情」「経験とカン」に基づく仕事は、今後徐々に重要性を低下させていくとの声も根強い。その中で、「文系の仕事」は今後どうなるのか。各企業の先端事例から、仕事の未来像を考えていく。