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プロピッカーが選ぶ今週の3冊

【白河桃子】家庭と仕事の関係を考える3冊

2016/6/22
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。水曜は「Pro Picker’s Choice」と題して、プロピッカーがピックアップした書籍を紹介する。今回は、男女共同参画や少子化が専門のジャーナリストである白河桃子氏が、家庭と仕事の関係を考える上で注目の3冊を取り上げる。

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日本の働き方が今大きな転換期にさしかかっている。一億総活躍プランの柱は「働き方改革」と安倍首相は明言している。

政府は「長時間労働是正」の法改正を含め検討するといい、「インターバル規制」「テレワーク、リモートワーク」などの言葉が飛び交うようになった。

実際に「週2日しか出社しなくてもいい」会社や「100年の働き方を変え19時前退社を徹底」した証券会社もある。
 
なぜ「働き方改革」なのかといえば、きっかけになったのは「制約をかかえる子育て期の女性の働き方」だ。
 
大手アパレルの社長が「時短社員が15%以上になると経営が苦しい」と言っていた。どこのマネジャーも「産休に入る人が2人いる」「時短を何年もとっている社員がいる」と嘆く。

本書の中にも「なぜ産休社員への人員補充がないのか?」という章があって、「時短社員を抱えるチームと、時短以外の社員の軋轢」にマネジャーが決断を迫られる状況を、ケースでわかりやすく描いている。

どのケースもすべて「ケースメソッド」型の講習として研修にすぐに使えそうだ。

「時短の社員がマイノリティであるうちはいい」がそういう社員が一定数以上増えると配慮や「お互いさま」ではすまなくなる。

資生堂ショックはまさにその限界を示していると思う。つまり「女性に優しい企業」の限界だ。
 
私はそもそも、「女性に優しい制度」を作る時点での見込みが甘かったのだと思う。「いくら制度は作っても、子育てしながら働く女性なんて、そう増えないだろう」という企業サイドの見積もりの甘さがあって、「制約人材」(介護や育児で時間制約を抱えて働く人)を経営のバッファとして見込めなかったのではないか? 

結局は「部下をきちんと観察し、把握し、時短だろうがフルタイムであろうが働きに見合った給料を払うだけ」の問題と本書は指摘するが、それができていないのが今の評価制度だ。

とはいえ、あるべき論で現場は救われない。評価や制度を変えたり、経営を変えたりするのはおお事だ。現場マネジャーとしてどう対応するべきか? 部下の多様性に配慮し、人員補充はなく、目標は変わらない、という現状の中で。

「覚悟を持て」と本書は言う。厳しいようだが、「短期的な評価を気にせず、できる範囲でチームを動かし、成果がでなければ辞める」くらいの覚悟があれば、上に人員補充を掛け合うこともできるし、目標の再設定を交渉することもできる。

それほどの人材であれば、企業は決して切ることはないのだという。

また「働かないおじさん」問題にも一章がさかれている。私も「バンキシャ」に出たとき「定年延長」問題で参考にさせていただいた。

今の若い人は「事=パフォーマンス」に対して賃金が払われ、おじさんは「人」への評価だ。若いころ安月給でがんばってくれた「人」だからこそ賃金が高い。

しかし「事」評価の若い人たちから見たら「なぜ今働いていないのに、おじさんの賃金は高いのか」となる。これも「人」と「事」の二軸の評価が混在する今の職場のジレンマである。

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「24時間働けますか」の時代から、ワークライフバランスというジレンマを抱える今の働く現場。

しかし問題をつきつけられているのは女性だけ、職場だけではない。

「育休、時短の社員が一定数増えると、企業が限界になる」というのは「男性も子育てに関わり、男性を雇っている企業も、その負担を分かち合う」ことが社会につきつけられているという意味だ。

男性の働き方も、家庭への関わりも変わる。職場も家庭も変化する時期なのだ。

ある講演で「テレワーク」の話をしていたら、女性のマネジャーが「部下の男性がいやがる。家にいないでほしいと妻に言われるそうだ」と語った。

働き方が家庭に変革を迫る一例である。いくら残業をなくしても、「家庭に居場所がない男性」は、終業後にどこにいけば?という問題もあるのだ。

今まではこんな問題はなかった。

職場と家庭という、「お金を稼ぐ現場」と「ケアの現場」は場所が離れていた。「男はもっぱら稼ぎ、女は家事育児」の分担だった。

共働きが増えても、残念ながらケアの部分は女性が背負うという姿はあまり変わらない。これは男性たちだけが悪いのではなく、根強い「性別役割分業」をもとに、日本の働き方が設計されているせいでもある。

会社員、特に男性の時間は無限に「会社」に捧げられるべきで、そうでない人は「脇道」にいく。つまり競争から離脱する。しかし、そんなあり方に男性自身から「悲鳴」があがっている。
 
拙著『専業主夫になりたい男たち』で対談したタレントの小島慶子さんは、一家の大黒柱として、日本と家族がいるオーストラリアを行き来しながら、働いている。以前は共働き家庭だったが、「夫の突然の退社宣言」によって、その姿は大きな変貌を遂げた。

彼女は、「働かない男」を受け入れるのに一年苦しんだが、その末にたどり着いたのは「男だって一生働く、一生競争するという選択肢しかないのは苦しいよね」という結論だ。
 
私も「専業主夫」の本を書いて同じ結論に達した。男性にも女性にも、選択肢があるのは当たり前なのだ。

しかし、今までは男女ともに「不自由」だった。自由になっていいと本書は呼びかける。

私も「主夫」男性の取材をして「昭和の役割分担夫婦とは、女性の稼ぎ力を奪い、男性の家事育児能力を奪い、互いに逃げられないように無力化する手法だったんだな」と思う。

互いに無力化されると、場や時代が変わったときの適応能力が極端におちて、その家庭はサバイバルできないのだ。

最近「男は辛いよ」本が次々と出版されている。ブームといってもいい。まずは「競争に負け、男らしさを示せない男性」たちが悲鳴をあげ、それから「社会で勝ちながらも、イクメンとしての責務も背負う男性」たちが悲鳴を上げという具合だ。

女性も男性も「こちらのほうがより辛い」と辛い競争をしている。
 
本書が優れているのは、次の段階に行こうとしている点だ。ポイントは「ゆるし」と「和解」である。

「男性に必要なのは『あなたは苦しんで良い』『不自由だと言って良い』というゆるしであり、女性に必要なのは「彼と私のしんどさは同じだ」という気づき」としている。

女性のほうが先に「気づく」のは、女性のほうが「不自由さに苦しむ事」のベテランだからだ。男性は長い間「不自由」であることに気づかなかったのだから。

調査では多くの女性が「男性をたてたほうが、ものごとがうまく運ぶ」と回答している。男性優位社会は「男性が変わらないでいい」ようにできているのだと小島さんは言う。「でもそれは大人になれるチャンスを捨てている」ことでもあるのだと。

「変わらなくてもいい」と思うだろうか? 今のままが心地よいと。しかし「男らしさ」は男にとっても毒になる。永遠に勝ち続けないといけないのだから。そのままでは、「男らしさ」に苦しみ、殺されてしまう。

時としてそれは「より弱い立場への暴力」として発露する。小島さんが住むオーストラリアでは今DVが社会問題化しているという。

男らしさバイアスが強い国では「失業や不況」で「男らしさの実存」が揺らぐと、女性より相対的に多い筋肉、力に拠り所をもとめてしまうのだと田中俊之さんはいう。

マタハラ被害者の話を聞いて、彼女の上司はなぜここまで執拗に、妊娠した女性を職場から排除しようとしたのか、わたしも驚いたことがある。

ひょっとしたらそれは「妊娠した女性を職場に受け入れることは、男性上司の守ってきた職場という聖域、つまり自分の実存の拠り所をおかされる恐怖」だったのではないかと思う。

本書は苦しみで他者を傷つけ、自分を傷つける前に「男らしさから逃げてもいい」と、読者に呼びかける。

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それでは、仕事や結婚や家族、男と女はどこを目指せば良いのか? 
 
本書は家族社会学の観点から、家族や結婚についての見方をまとめたものだ。

役割分業社会から「共働き」社会になろうとしているが、すでにそれも限界で、先進諸国では「結婚できない人、しない人の増加」「子どもを作る人の減少」つまり「家族からの離脱」がおきているという。
 
そうしたなかで、筆者は理想の姿について「男女ともに雇用を通じて経済的に自立して、自由に人間関係をつくる」こととしている。

しかしそれが成立するには三つの条件が必要だ。「安定した雇用」「家事育児のサービスの提供」「高齢者が少なく、それを支えるコストも小さいこと」である。

日本はすでに3番目で失格、保育園が足りないので2も失格、非正規の不安定さが大きいので1も失格・・・ということは、彼のいう理想からはほど遠い社会となる。

日本がもう少し生きやすく、互いに多様性を認め、今子どもがほしいと思っている人たちが、その望みを叶えるにはどうすればいいのか?

私の今の結論はやはり「働き方」の改革だ。特に「36協定の特別条項さえ結べば無制限に残業させられる働き方」に上限が欲しい。

EUのようなインターバル規制もほしい。評価は「時間あたりの事=パフォーマンス」でしてほしい。

私は、ずっと女性の生き方から働き方を見てきたことで、『働き方改革』にいきついたのだけれど、最近では「経営の側」からも「働き方改革」を必要としている動きが目立つ。

それは、人手不足の問題も大きい。人材業界の人に聞くと、広告を出しても採用できない会社が3社に1社で、今一番検索されているのは「18時まで」の仕事だという。
 
働き方改革をして残業を減らし、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方を整備した企業は学生からの人気も上がり、人材獲得戦略に成功し、また人材流出も防げる。女性が働きやすい会社は男性にも人気だ。

働き方改革の先駆者たちは、働き方改革は福利厚生ではなく、勝つための経営戦略としてとらえている。

目指すところは、女性も男性も活躍したい人はしてほしいが(日本のためにも)、ほどほどに働いて幸せという生き方もある社会だ。

なんだ、男女はまったく一緒じゃないの……なぜ女性活躍とかことさらに叫ばれなければならないのか? しかし男女は完全に対称ではない、それは「妊娠、出産、産後」の部分だ。そこだけはどうにもならないし、コントロールが利かない部分でもある。

女性で活躍したい人は「早期出産」はあきらめるという雰囲気があったが、今は違う。先輩たちを見ていて「産み時はない」と気がついたのだ。

それならいっそ早いうちに・・・、できれば「20代に1人」「1人ではなく2人、3人の子どもを持ちたい」と考える働く女性が増えている。

学生にアンケートをとっても『バリキャリ志向』学生の半数以上が「早く結婚して、早く産みたい、仕事も続けたい」と答えている。しかし現実はどうなりそうかと聞くと、ぐっと「独身」という回答が多くなる。

それは「働き方への絶望」なのか、「一緒に子育てをしてくれそうな男性がいない」ことへの絶望なのか……? この絶望を救わないと、日本に子どもが増えることなんてないのだ。