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日本の現状からすれば当然の結果でしょう。
給付型奨学金制度がなく、学費が高く、親世代の所得が少ないので、優秀で志のある子供が大学教育を受けられません。

学生や教員の質も低下しているのでしょう。
昔は、受験生の半分以上が駿台予備校で鍛えられた浪人生でした。
早稲田大学の新入生の7割は浪人生というくらい、競争が厳しかったです。

解決策は極めて簡単です。
「be」動詞から英語を教えているような大学を全廃して、そこに投入されていた補助金を給付型奨学金に当てればいいのです。
天下り先が激減する文科省は猛反対するでしょうが・・・。

大学に多くの予算を振り向けても不熱心な教授たちが「食い物」にしてしまう恐れが多いので、効果は期待できません。
東京大学は2015-2016の世界ランキングで既にシンガポール国立大学と北京大学には抜かれていたので、大きな驚きはないですが、トップ100に入ったのが14校と前年から5校も減っていることの方が大きいです。

細かな順位は指標のつけ方で動くものですが、中国が上がってきて、日本が落ちてきていることに対しては、THEのレポートでも5年前と比べて大きな変化だと指摘されています。

追記:
最近の大学ランキングは一般認知されているので、留学先を検討する際にも使われます。そうなると順位が落ちることは、そのまま優秀な留学生の獲得機会の減少にもつながります。細かなランキングの変動は気にするほどではありませんが、全体傾向としての落ち込みは直視すべき課題です。
それだけ経済力も落ちてきたって事だよね。これまで総花的にすべての分野に予算を振り向けてきたけど、選択と集中をするしかないところまで追い込まれてるわけさ。Fラン大学とか当然切り捨てでしょう。
驚くことはないが、予想されていたこと。
数年後、近い将来の日本国の在り方がこれで分かる。
教育を疎かにしてきたツケだろう。社会に出た事がない人間が子供を教える、その人間に親は子供を預ける。
この構図を何とかしないとまともな国にはならない。
一年で首位から7位に転落すると言うのは、評価基準を変えたとしか考えようがない。FIFAランキングやテニスのランキングと違い、実際に戦っているわけではないので、どれだけ信用できるのか?詳細が記載されていないから判断しようがない。

僕は、ビジネススクールランキングについても、だんだん懐疑的になってきた。アカデミックの大学院と同じ、教授の論文投稿数等が評価基準になっているからだ。

ランキングが高い方がいいに決まっているが、学生にとって意味がない他人によって作られた尺度で競うよりも、優秀な学生や就職先が大事だと思う尺度を自らがつくって、そこで上位を目指す方がよっぽど重要だと思う。

独りよがりなってはいけないが、僕はユニークな存在である方が重要だと思っている。

「ユニークさ」で大学院をつくる
http://blog.globis.co.jp/hori/2016/06/post-f162.html
インターネットの普及により、世界が狭く、スピード感が上がったのが大きいかと思います。例えば論文を投稿するのでも、ほんの20年前までは紙の原稿を郵送し、それが、査読者に郵送され、というように、時間も手間もかかっていました(僕もこの時代は経験していないですが)。今では、ワードで書いてpdfにして、投稿サイトにアップロードすれば完了です。査読期間も以前より(多分)短い。
こうやってハードルが下がってしまうと、言語的に壁の少ないところの方がやはり有利です。留学生なんかも、英語ベースの大学の方がチャレンジしやすいですし。
その意味で、日本は対応が遅れてしまったということなんだろうと思います。
今朝、このニュースを見て、高校2年の娘がため息をついていた。彼女の時代には、日本の大学に行ってもアジアで通用しない時代になるのか。だとしたら、優秀な学生は外を目指すだろう。

人口が減るからこそ、教育には人と金を投入すべきではないか。真剣に考えなきゃいかん。
日本の大学への投資や研究費総額は、アジア諸国の中では決して少なくない。数が多すぎるのではないか。メリハリはもっと付けても良いのでは?現在の大学の三分の一程度を、コミュニティカレッジ的運営に変えて、入学しやすく、柔軟性のある科目選択、教授陣も多様性を求め、研究ではなく教える事に特化する。一方、上位三分の一は、研究大学として、教授陣は研究費も多くなるが、研究成果出せなければ直ぐに入れ替える競争原理を働かせる。現在は、すべての大学が教えるのも、研究するのも中途半端で横並び主義なのは良くないと思う。
東大が首位転落をしただけでなく、ランクインしている日本の大学の数も減っている。日本の大学の質が世界の目線で見たときに落ちてきているのかもしれない。

Asia University Rankings 2016(詳細なランキング)
https://www.timeshighereducation.com/world-university-rankings/2016/regional-ranking#!/page/0/length/25/sort_by/rank_label/sort_order/asc/cols/rank_only
やはり「国際性」がネックになっているようだが、ランキングを下げているのは人文社会系。しかし、そもそも日本のことを研究して日本人向けに発信している日本人研究者の場合、英語で発信する必要性が無い。また非ネイティブが人文社会系の論文を英語で書くというのは、多大なる労力・時間を要する。

もし人文社会系の生産性を上げたいならば、英語での発信を増やすしかないが、それは純ドメ日本人研究者にはほぼ不可能だし、意味もない。また、トータルでの生産性が確実に下がる。とにかく「英語で発信せよ」ではなく、「英語で発信」「日本語で発信」する教員の採用・待遇を別にしたり、国外の研究者をスカウトする部門を作ったり、できることは色々ある。

しかし、そもそもそんなランキングを気にする必要があるだろうか?

日本の大学はG型だろうがL型だろうが、しょせんはローカル大学。逆立ちしてもスタンフォードにはなれないので、グローバルランキングみたいなものに乗っかってもうまくいきっこないし、そんなお金のかかるもの、やる必要もない。

世にあふれているグローバルなんちゃらというのは、新自由主義グローバリズムのことで、グローバリゼーションの実態を一部しかとらえていないご都合主義。しかも、こういうランキングに乗るために必要なのはとにかく財力。落ち目の国、日本の国立大学が上り調子のアジア諸国の大学に勢いや財力で負けるのは仕方がない。

重要なのは、こういった「今すで勝ち組の新自由主義グローバリスト大学が、自分たちが勝てる装置を世界中に広めようとしている」状況に対して、日本の国立大学としてどう対応するのかを考えることだろう。

たとえば、国外にも日本のことを知りたいと思っている研究者は多いが、日本語の資料は読めないので、国際比較などでもあまり突っ込んで触れられていない。アメリカの某トップビジネス大学院の関係者と仕事をしたときに、日本という国のブランドそのものの低下で日本に興味を持つ研究者は減っているが、英語で発信していけば興味を持ってくれる研究者もいる、という話をしていた。目標を「日本に興味を持ってくれる国外研究者を増やす」に定めて、一点集中で頑張るのだってありだろう。ランキングがすべてではない。