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球児プロデューサー11人目

9年連続甲子園出場の聖光学院、守破離でつくる組織力

2016/6/12

戦後最長となる夏の県大会9連覇を果たし、今も3学年総勢100人超の部員を抱える聖光学院野球部の強さの一つに、控えメンバーの存在の大きさがある。

誰しもがレギュラーを目指してきた中で、レギュラーになれなかった選手、あるいはベンチを外れた選手たちが、ベンチやスタンドから声を張り上げるなど仲間を支えている。

聖光学院の控え選手たちが織り成す“ベンチワーク”に圧倒されるチームは多く、9連覇の要因の一つともいえる。

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そんな聖光学院に、かつて伝説となった控え選手がいる。

高橋拓人。2005年夏の甲子園に出場した際に三塁コーチャーを務めた選手だ。

伝説的控え選手の信念

レギュラーを望む彼の父親と高橋本人とのやり取りは、監督の斎藤智也の中で語り草となっている。

「父親というのは、子どもの結果が第一主義なところがある。レギュラーなら『今日は何打数何安打だったのか』『どんなピッチングをしたのか』、控えなら『試合に出たのか、出なかったのか』『いつ出られそうになるんだ』とばかり聞く。あるとき高橋の父親がやってきて、子どもに怒られたと話してくれました。この話を選手たちにすると泣く子もいます」

高橋が言ったのは、こんな言葉だ。

「僕は今、一生懸命やっている中で、周りも一生懸命やっている。でも、自分の立ち位置は見定めているよ。サードコーチャーがいないと野球は成立しないし、大きな役割を担っている。僕がサードコーチャーでプライドを持っていることに対して、お父さん、どうしてプライドを持てないの?」

「試合に出ている選手はみんな大変だし、チームを背負っている。僕だって要職を預かっているんだ。サードコーチャーじゃなくたって、控え選手の中でもピッチングマシンの脇に立ってボールを入れたり、ノックを手伝ったり、いろんなヤツがタッグを組んで、チームを生かすために自分の生きざまを見つけ出している。レギュラーを取れないからって意固地になっていたら、周りの選手に失礼じゃないか。控え選手ほどハツラツとしないといけない」

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もっとも、この言葉を紹介したのは読者に感動してほしいわけではない。

どのような指導をすれば、高橋選手のような思考を持つ人物が育まれるのか。そこに聖光学院の隠された強さを感じずにいられないからだ。

守破離で133人の大所帯を育成

守破離――。

聖光学院の指導陣が、大所帯のチームを組織するために取り入れているのが、武道の思想として知られるこの言葉だ。

守破離とは、師の言いつけ、先輩の言いつけをきっちり守り、基礎・基本を忠実に繰り返し反復していく「守」。

そこから自分たちで考え、アレンジしながら色を出して突き破っていく「破」。

更に進化して、教えのみに縛られず、根底を持ちながら自由に羽ばたいていく「離」。

段階を経て、人を育てていくという考え方である。

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聖光学院は部員133人を3つのグループに分けている。

3年生全員と4~5名の2年生メンバーで構成されるAチーム。彼らがいわゆるトップチームで、公式戦を戦う。

そしてAには招集されない2年生中心の「Bチーム」と、入学したばかりの1年生の「育成チーム」だ。

Aチーム、Bチームと分けるやり方は、昨今の高校野球では、それほど珍しいことではない。

聖光学院が他校と異なっているのは、BがAに入れなかったチームという位置づけではない点だ。

下級生を成長させる組織構成

通常の野球部では監督と部長がAチームに帯同するが、聖光学院は部長である横山博英がBチームを受け持つ。

このシステムを採用した経緯について、横山はこう語る。

「僕が聖光学院で部長になった頃、遠征には部員全員を連れて行っていました。しかし、そうすると1日に一つの相手と1試合するとして、試合に出られるのは20人くらい。40〜50人で遠征に行くと、半分以上は遊ぶことになる」

「だから僕が前任校の土浦日大時代にお世話になった先生方にお願いをして、2軍戦を行うようにしました。その後、甲子園に出場したこともあり部員が多く入ってくるようになったので、さらに組織的にやろうと監督と決めました。下級生でチームをつくって、僕が彼らを預かりながら先を見据えた指導をしています」

つまりBチームは、夏の大会をもって3年生が引退した新チームで秋季大会を戦う際、勝てることを目指してつくられる。技術、体力、戦術はもちろん、人間的な部分まで成長過程のチームとして位置づけている。

 横山博英(よこやま・ひろひで) 1970年6月1日。千葉県出身。現役時代は土浦日大高校の控え捕手として活躍。日本大学を経て、1993年から母校のコーチを5年間務めた。一般企業に就職した後、1998年11月に聖光学院に赴任。1999年4月から野球部部長を務めて以来、斎藤監督と二人三脚でチームづくりに携わる。偶然にも斎藤監督とは誕生日が同じ。地歴公民科教諭

 横山博英(よこやま・ひろひで)
1970年千葉県生まれ。現役時代は土浦日大高校の控え捕手として活躍。日本大学を経て、1993年から母校のコーチを5年間務めた。一般企業に就職した後、1998年11月に聖光学院に赴任。1999年4月から野球部部長を務めて以来、斎藤監督と二人三脚でチームづくりに携わる。偶然にも斎藤監督とは誕生日が同じ。地歴公民科教諭

横山が続ける。

「新チームになって監督に引き渡したときに『あれもできない』『これもできない』と思わせるのではなく、『これもできるんだ』『あれもできるんだ』『こういう対応力もあるんだ』というところまで持っていかないといけない。普通、新チームを結成した頃にはチームの青写真とのギャップがあるものですが、それをどれだけ少なくするかが僕の指導者としての勝負だと思っています」

夏の県大会9連覇中の聖光学院は、秋には7連覇(2006〜2012年まで)を達成していた。その要因を理解できるだろう。

分業制で責任を持って指導

実は、この組織としてのあり方の違いが大きいのだと監督の斎藤はいう。

「県立校などを見ていると、監督・部長が一枚岩になっていないんです。横山のように指導ができる野球部部長も指導者なので、生徒に自分の存在感を示したい。しかし、それを発揮する場がないと不満はたまりますよね。それで『あの野球じゃ勝てないよ』と監督のグチをいって、現場が崩壊しているチームが往々にしてある。うちは指導力のある横山を独立させることで、みんなが生きるんです」

 斎藤智也(さいとう・ともや) 1963年福島県生まれ。仙台大学卒業後の1987年に聖光学院高校へ赴任し、野球部部長を経て1999年9月に監督就任。2001年夏、同校を初の甲子園出場に導いた。2008年夏には県勢33年ぶりの甲子園ベスト8。2007年から戦後最長となる9年連続夏の甲子園出場を果たした。保健体育科教諭。教え子に歳内宏明(阪神)、横山貴明(楽天)

 斎藤智也(さいとう・ともや)
1963年福島県生まれ。仙台大学卒業後の1987年に聖光学院高校へ赴任し、野球部部長を経て1999年9月に監督就任。2001年夏、同校を初の甲子園出場に導いた。2008年夏には県勢33年ぶりの甲子園ベスト8。2007年から戦後最長となる9年連続夏の甲子園出場を果たした。保健体育科教諭。教え子に歳内宏明(阪神)、横山貴明(楽天)

分業制の効果を横山も力説する。

「うちみたいな分業制を敷くと、『責任を取るのは監督だから』と逃げることができない。土台をつくって引き渡すことができなかったら、僕の存在価値はないわけです。指導者が輝かないと子どもは輝かないと僕は思います」

そうした組織化がなされ、育成→Bチーム→Aチームと聖光学院の選手たちは成長していくのである。

そんな段階を経るチームを人間的に成長させるきっかけとなるのが、秋の大会がすべて終わってシーズンオフ(11〜1月)に実施するミーティングだ。

その話の内容は前回紹介した「不動心」や「孟子」にはじまり、運命論や自然論、宇宙論まで及ぶおよそ20章からなる斎藤の講演録のようなものまで題材になる。

「運命共同体論や宇宙論の話をするんです。仲間との出会いは必然で、われわれ人間は宇宙の産物として生まされてきた。生まれてきた時点で片方の手には宿命が宿されていて、期待されてこの世の中に生まれてきているのだ、と」

「『ここで出会った仲間をどう生かすか。この仲間とどうやって強い絆で結ばれるものに持っていくか』という話をするので、選手たちは人との結びつきや宿命について考えるようになる」

必然の「夏の9連覇」

こういった人間的成長を促す話も、段階を踏んでいるから理解できる。

育成の頃は入門編を学ぶ「守」、Bチームでは横山部長の手厚い指導で「破」を促され、斎藤監督のもとで「離」を会得していくわけである。

最後の夏、チームが一つに結束し、高橋選手のような伝説のコーチャーが生まれるのは、「守破離」を経ているからなのだ。

二人三脚で強いチームをつくる横山部長(左)と斎藤監督

二人三脚で強いチームをつくる横山部長(左)と斎藤監督

斎藤は言う。

「チームは2月から3月の間に紅白戦や練習試合を重ねていく。すると、選手たちは自己評価や他者評価をするようになる。ある程度の線引きができて、それが夏になると、『仲間を裏切れない』『仲間を絶対に泣かせない』『仲間を喜ばせなきゃいけない』という思いを個々が持つようになる」

「そんな集団の日本一であってほしいと思ってやってきた。それが9連覇につながっている」

「守破離」の組織づくり――。

9連覇はただの偶然ではなく、こうして果たされてきたのだ(文中敬称略)。

(撮影:氏原英明)