スタンフォード哲学(第18回)
NFL有望株が現役1年で引退。深刻な脳しんとう問題
2016/6/5
アメリカンフトッボールの元プロ選手で、A. J. Tarpley(以下、AJ)という男がいる。
スタンフォード大学の出身で、昨年ドラフト外入団ながらNFLのバッファロー・ビルズで活躍したこの選手が、今オフシーズン、つまり1年目のシーズン終了後に引退を表明した。
今回は、この興味深い彼の決断とその背景について、読者の皆さまに情報をシェアしたい。
1年目から開幕ロースターに抜てき
AJ は2010年にスタンフォード大学に入学後、2014年のシーズンまで5シーズンに渡り、チームの、特にディフェンスの中心選手として活躍した選手である。
言葉でチームをけん引するというよりは、行動、つまり「背中で人を動かすタイプ」の選手であり、私を含む日本人が好むタイプのリーダーであった。
特に大学生活最後のシーズンにはチームキャプテンに選出され、リーグの優秀選手にも選出された。
2015年のNFLドラフトで、われわれはAJの下位での指名を期待していたが、結果的にどのチームにも指名されることなく、ルーキーフリーエージェント(ドラフト外入団選手)としてバッファロー・ビルズというチームに入団した。
ドラフト直後のルーキー向けのキャンプや、ベテランが参加してのキャンプでも彼の堅実なプレーは評価され続け、シーズン開始直前までカットされることなく、狭き門である53名のファイナルロースターに名を残した。
これは日本の野球界で言えば、ドラフト外で入団した選手が開幕1軍の座を手にするくらい難しいことである。
若くして引退する選手が増加
開幕後も、スターターではなくとも、ローテーションメンバーとして活躍を続けたAJは、複数年契約を手にして、チームの誰もが期待していなかった好成績でルーキーシーズンを終えた。
その将来を嘱望された彼が、引退を表明した理由は、【concussion (コンカッション) = 脳しんとう】である。
このコンカッション、コンタクトスポーツには付き物のケガであるが、私が日本にいる頃には、あまり大きく取り沙汰されていなかった。
しかし、2007年にアメリカに来てからというもの、日本との比較論なのかもしれないが、「少し過剰すぎではないか?」と思うくらい、その疑いのある選手をケアしたり、休ませる、つまりプレーさせない場面を多く見かけてきた。
それから約10年、そのコンカッションについての研究も深く進み、ケアの仕方や、ケアの仕方を決めるためのツール等も多く生まれているようだ。
それと平行して増えてきたものがある。AJのように若くして引退する選手だ。
私が知っているだけで、NFLではここ3年で4人がそれに該当し、さらに言えばAJも含めそのうち2人は1年目のオフに引退の決断をしている。
脳しんとう3、4回で引退勧告
実はこのコンカッション、われわれスタンフォード大学のフットボール部にとって、非常に身近な存在でもある。5、6年ほど前だったか、練習前のミーティングで、ヘッドトレーナーから「新しいマウスピースについて」のインストラクションがあった。
要約すると、スタンフォード大学病院でコンカッション・スタディーをしている研究室と共同で、センサーを内蔵したマウスピースを使用してデータ収集を行い、そのデータをコンカッションの研究に役立てるというものであった。
その後も、新しいタイプのマウスピースやショルダーパッドに内蔵する形のセンサー等、数多くの手法で、われわれはその研究の一端を担っていた。
だからというわけではないが、現在アメリカのフットボール界におけるコンカッションと選手引退との関連について、私の認識を皆さんにシェアしたいと思う。
驚く方もいらっしゃると思うが、以下が一般的な事実だ。
選手としてプレーし始めたときからカウントして、3回、もしくは4回目のコンカッションがあった時点で、医師から引退の勧告、もしくは引退の勧めを受ける
程度にもよるが、軽度であっても医師によってコンカッションと診断されれば、それは1回としてカウントする必要がある。
もちろん選手によっては引退勧告の文字がちらつき、その症状を隠すようなケースもあるという。
実際、AJも昨年のトレーニングキャンプ中、ロースターに残るか残らないかの瀬戸際で、人生3度目のコンカッションを隠したそうだ。
今年の2月、AJはシーズン終了後にスタンフォード大学のキャンパスに戻ってきて、オフシーズンのトレーニングに励んでいた。昨シーズン、バッファローでの生活等を楽しそうに話していたのを強く記憶している。
いま思えば、その頃は引退について悩んでいたのだろうし、オフシーズン中のトレーニング場所を母校に選んだのも、長く付き合ったトレーナーやチームドクター、コーチングスタッフに相談できるのが大きな理由だったのであろう。
「勇気を継続する自信があるか」
先日引退を表明した後も、少しの間、キャンパスに滞在していた彼と話をする機会があった。
TK(筆者の愛称):残念だけどAJの決断を尊重するよ。なかなか勇気がいる決断だったな。
AJ:いや、そうでもないよ。フットボールをやめた後の人生の方が長いからね。それに、1年プレーしてみて思ったんだ。あのクレイジーな世界(NFLという身体能力やサイズに優れた選手が多いリーグ)で、サイズ的不利をカバーするためには、思い切り自分の体を投げ出すことが必要なんだ、と。
人生4回目、つまりプロに入ってから2回目のコンカッションでドクターと話したとき、「俺には、その勇気を継続する自信があるのか?」って思ったんだよ。そう思う時点で、それに対する覚悟ができてないことに気づいたんだ。
TK:4回目? 誰かから3回目って聞いたぞ?
AJ:3回目を隠したのも、引退の一つの原因なんだ。隠さないとやっていけないなら、長く続くわけがないだろ?
TK:それもそうだな……。
「コンカッション・プロトコル」
アメリカで、特にコンタクトスポーツに携わっていれば、よく聞く言葉である。
受傷した日から、完全に競技や練習に復帰するまでのプロセスを表したもので、(コンカッションの程度にもよるが)一般的には約1週間かけて経過を観察しながら復帰に向けたアクティビティを行うこと、またはその手順を意味する。
トレーナーや医師たちは、この観察や指導に本当に慎重になっている。
また受傷した選手やコーチングスタッフも、彼らに全幅の信頼を置いてことを見守っているのが、いつも印象的である。
日本でも議論すべき問題
さて、日本ではどうだろうか。
主観の域を出ないが、国技と呼ぶに相応しい相撲や野球、サッカー、最近人気であるラグビー、私が愛して止まないアメリカンフットボール、これらの競技はどれもコンタクトが多いか、もしくはコンカッションの発生の可能性が否定できないスポーツである。
各チームのドクターやトレーナーは、選手の将来を考えたうえで、そして十分な知識や経験を備えたうえで、対応しているだろうか。
後先の事を考えず、一心不乱に何かに打ち込む姿や、ケガをおしてまでも一つのことを最後までやり切る姿が、美談化される風潮が残る日本という社会。
今日もどこかで、彼や彼女の将来に重大な悪影響を及ぼすような、コンカッションが見すごされていないか。
祖国のスポーツやアスリートの将来、ひいては日本スポーツの未来を憂う私なのである。
(写真:河田剛)