カイラシュ・サティヤルティ氏(4)
【ノーベル平和賞・カイラシュ】将来のビジネスは思いやりと知性が手をつなぐ
2016/6/1
第1回:8.5万人の子を強制労働から救い、ノーベル平和賞を受賞した男
第2回:私がどうしても許せなかったこと
第3回:教育が人の心に火をつける
※世界の子どもを児童労働から守るNGO ACEの活動はこちら
最も危険な任務に就く
坂之上:カイラシュさんは、子どもたちを救う活動をどんどん大きくしていく過程で、リーダーとしてどういうことに気をつけていらしたのですか。
カイラシュ:人々は私をリーダーと呼ぶようになりましたが、私自身はみんなと何も変わらないと思っています。
でもノーベル平和賞を受賞してからは、自分自身で子どもを助けに踏み込むことはできなくなりました。私の顔が知られているので、「子供を助けに来た」とすぐわかってしまう。
そうなると助けようとしていた子を隠されてしまったりして、救出活動の妨げになってしまうからです。
でもノーベル平和賞をとる2~3週間前にも、救助活動に参加しました。
そういうとき、私は好んで最も危険な任務に就くようにしています。なぜなら私は自分の仲間たちを危険な目に遭わせたくないからです。
私は今まで一緒に活動してきた仲間を2人亡くしています。1人は銃で撃たれ、もう1人は殴られて死にました。
もちろん2人とも誰かの子であり、1人は2人の子どもたちの父親でもあった。そのことにとても道徳的な責任を感じています。
だから、自分が一番危険な任務につきたいのです。
坂之上:カイラシュさんは、殺されるのが怖くないのですか?
カイラシュ:だって、死んでも何も失いませんから(笑)。死んでも死ななくても同じです。家族は悲しむでしょうけれど、私自身が失うものは何もない。
坂之上:え?
カイラシュ:死んだら、自分はわかんないでしょう? 死んでるもの。
坂之上:そういうふうに考えたことはなかったです〜(笑)。それはカイラシュさんの宗教観によるものですか。
カイラシュ:私たちはヒンズー教もイスラム教もキリスト教も、いろいろな宗教のお祝いをします。誰かの誕生日も必ず祝います。
200人の子どもたちが保護されている施設があるのですが、そこで子どもたちと一緒に食事したり、遊んだり、ダンスをしたりして祝います。
さきほど坂之上さんに「あなたの強みは何ですか」と聞かれたとき、私は「自分が子供であることだ」とお答えしました(第1回)。
私は子どもたちを自分自身と同じように思っています。子どもであるかどうかは、必ずしも年齡で決まるものではないんですよ。
子どもらしさとは、心が純粋であること、シンプルに考えること、透明性が高いこと、新しいことを学びたいという渇きを持っていることです。
そして最も重要なのが、許すことです。許して、そして忘れてしまうこと。それは私たち大人にとっては簡単ではありませんが、子どもたちには簡単にできることです。
坂之上:大人にとっては簡単ではないことは、許すこと、と忘れることですか。
カイラシュ:さきほどから、坂之上さんは「失礼かもしれませんが」と何度も言いましたが、あなたは、ちょっと強引で失礼です。でも私は許すし、忘れます(笑)。
坂之上:許してくださってありがとうございます(笑)。
ところで日本でも、いま子どもの貧困が問題になっているのですが、それに関してはどのように思われますか?
日本がしなければいけないこと
カイラシュ:そういうことがあるとは知っています。貧困というそれ自体が、最も大きな暴力でありうるのです。
しかし日本には、それを乗り越えるための知識や富、教育、情報、技術などの力が備わっていると思います。
ただし、日本がしなければいけないのは包含的な経済成長です。一部の人たちだけが富み、貧しい人たちがそのままであるということは、あってはなりません。
そこに大きな格差が存在していくわけですが、それは日本のみならず世界で起きていることです。それは緊張、恐れ、犯罪を生み出し、そしてまた暴力を生み出してしまう。
坂之上:貧困は暴力…。
カイラシュ:だから貧困というのは、今、まさに取り組まなければならないことなんです。
坂之上:貧困の問題に取り組むためには、政治的意思に加えて、何が大事でしょうか。
カイラシュ:私は3つの強い層があると思っています。1つは政治的意思をもつ「政府」ですね。
それとはまた別に、過去20年間にわたって、新たな2つの新しい役割を持った人たちが出てきています。
それは「企業セクター」と「市民社会」です。この2つが大変重要なプレーヤーになってきています。重要なのは、政府、企業セクター、市民社会というこの3つが柱となって、スツールのように活動を支えること。バランスよく、そして強いスツールができることがとても重要です。
そして最後に私は、新しい経営哲学を提案したいと思います。私がそれをどのように呼んでいるかというと、「思いやりと知性を持つビジネス」です。
ビジネスは知性をもって行われ、その目的は利益を生むことです。でも一定の期間がすぎると、企業の代表取締役やCEOたちも、「社会に対して何かしたい」と思うようになるんですね。何千万、何百万というお金をつくっても、自分自身が満足していないことがあるからです。
そういうとき、以前は慈善活動が行われました。企業は「お金があれば協力しましょう」というスタンスで、お金を出したらおしまいでした。
それがもう少し進んで、二番目のステージがフィランソロピー(企業による社会貢献活動)です。慈善事業をもうちょっとシステマチックに行いましょうということですね。
3つめが倫理的な取引です。企業の取引も、もっと倫理的に行わなければならないと考えられるようになりました。以上がこれまでの経営者の考え方の歴史だと思います。
そのあとCSR(企業の社会的責任)という言葉が出てきました。しかしCSRというのは、「ほら、こういうふうにしなさい」と外から押し付けられた部分があります。
その点アメリカは、特にカリフォルニアではもっと進んでいて、CSR ではなくCSA、「説明責任をともなう企業の社会的責任」というようになってきています。
ヨーロッパ議会においてもその必要性が叫ばれてきました。これからは世界的にCSAが主流になると思います。
それはどういうことかというと、ビジネス上の決断をするたびに、それが自然、社会、人々にどういう影響を与えるのか、それが悪い影響を与えないかどうかに意識的であるということです。その責任を果たしていることが、企業のブランディングにもなると思います。
私はよく「狂った男」だと言われるけれど、私には今よりもっと素晴らしい世界が見えています。
いつも空の向こうにあるものを見たいと願っているんですよ。将来のビジネスは、思いやりと知性が手をつないで、両立できるようになると思っています。
思いやりと知性のビジネス
坂之上:今までの企業は、意思決定をするとき、どうやったら1円でも多く儲かるかという判断基準しかなかったわけですよね。それを変える動き、ですか。
カイラシュ:その通りです。いまの世界は自由を求める力によって、どんどん変化が推し進められています。グーグルなどの技術の進歩も、自由を求める気持ちから生まれているんです。今の世界はどんどんオープンに、透明に、そして自由になってきています。
だって、私がたった今ここにいることを、インドにいる私の妻が位置情報で知ることができるくらいですから。だから私はガールフレンドもつくれない(笑)。
坂之上:(笑)
カイラシュ:「思いやりと知性のビジネス」を実現することは、みんなにとってハッピーなことなんですよ。働く人にとってもハッピーだし、企業の役員にとってもハッピーだし、関係者にとってもうれしいことです。
まあ、でも私が言っていることは、これからおそらく20年くらいたってから、ようやくみんなに理解されるのだと思います。
坂之上:20年後?
カイラシュ:なぜなら私が20年前に「子供奴隷をなくそう」といっても、誰も受け入れてくれませんでしたから。
でも20年のあいだに少しずつ変化が起きて、今やみんなが私の話に耳を傾けてくれるようになっている。だから私は子ども奴隷、児童労働をなくせると思っています。
坂之上:今日は貴重なお話をありがとうございました。たいへん感銘を受けました。カイラシュさんの経験談多くの方に届けたいと思います。本当にありがとうございました。
(構成:長山清子、撮影:是枝右恭)