カイラシュ・サティヤルティ氏(3)
【ノーベル平和賞・カイラシュ】教育が人の心に火をつける
2016/5/31
第1回:8.5万人の子を強制労働から救い、ノーベル平和賞を受賞した男
第2回:私がどうしても許せなかったこと
第3回:教育が人の心に火をつける
※世界の子どもを児童労働から守るNGO ACEの活動はこちら
教育が鍵だ
カイラシュ:私は学生時代からずっと、自分なりに貧しい子どもたちを助けてきました。
でも実は、そういう児童労働がなぜ起きているかをよく知らないまま活動してきたのです。
将来的には彼らのために何かしたいとずっと思っていたのですが、問題は、そのためにどうすればいいかを誰も教えてくれなかったことでした。
本に書いてあるわけでもなく、知識がまったく共有されていませんでした。
さらに厄介なことに、ほとんどの人は、「奴隷制はもう100年前になくなっている」と思っていたのです。
いま私たちが目にしているのは貧困ではなく、奴隷制なんだ、奴隷状態なんだということを皆に理解してもらうのは難しいことでした。
坂之上:カースト制があることや、貧しい子どもが働くことは当たり前だと思われている。そういう人々の思い込みと戦うために、どういう戦略をとってきたのですか。
カイラシュ:それは簡単なことではありませんでした。人のものの考え方は、いつも大きなハードルになります。だから私は「教育が鍵だ」と気づきました。教育がいろいろな人たちの心に火をつけるのです。
そして同じくらい大事なのは、地方の村や地域コミュニティで意識を啓発することです。
都市部だけでなく地方に住む人たちにも、児童労働はよくないことだと知ってもらい、それを実感として感じてもらうためにはどうしたらいいか。
私たちは自分自身でそのやり方を見つけなければなりませんでした。
それでインドの端から端まで、意識啓発をしながら長い行進をしていこうというアイデアが浮かんだんです。それが初めての意識啓発活動でした。
坂之上:アイデアが浮かんだあと、ほかの人たちを巻き込むために、どういうふうに行動されたのですか?
私が彼女を自由にしましょう
カイラシュ:雑誌を発行しました。世の中で無視されている人たちに捧げる雑誌です。いわゆるマスメディアでは、そういう人たちはまったく取り上げられていませんでした。
ある日、絶望しきった様子の男性が、私の事務所の扉をノックしました。彼の話を私の雑誌で取り上げてほしいというのです。
彼はバサル・カンというイスラム教徒の男性でした。彼の話を聞いて、私は本当にショックを受けたんです。
17年前、彼は結婚したばかりの奥さんがいたのですが、村から400キロメートル離れたところでレンガをつくる仕事をしないかと誘われた。
とてもいい仕事で、支払いもいいという。それで奥さんと村の人たちと一緒に、そこへ行って働き始めたのです。
でも実際には17年間、一切賃金をもらえない。自由もない。レンガ造りをする野外の作業場に閉じ込められ、仕事をさせられていたというのです。
新婚さんだったので、そのなかで子どもたちが生まれて、大きくなった。その子どもたちも生まれたときからずっとその中で働いているという状況でした。
それで彼には15歳のサボさんという娘がいたのですが、彼女が売春宿に売られそうになった。売ろうとしたのはレンガをつくっている雇用主です。
でも金額の折り合いがつかなくて、その日は売られずに済んだ。そこで彼は意を決して、夜中にそこを脱走し、都会に出てきたのです。
一文なしで、3日間飲まず食わずで、誰か助けてくれる人を探して歩きまわっていたところ、たまたま私の雑誌を購読していた人に出会った。そして私に会いに来たのです。
私は彼の話を聞いたとき、これは雑誌に書いている場合ではないと思いました。もしサボさんが自分の娘だったらどうするだろうと考えたのです。
「私が彼女を自由にしましょう」と言って、友達と一緒に彼女を助けに行きました。
そのときは殴られ、カメラも壊され、何も得るものがないまま裸足で帰らなければなりませんでした。でも希望は捨てなかった。デリーに帰ってから弁護士の友人に会い、助けを求めたのです。
弁護士がどうしたかというと、そのときインドでは児童労働を禁止する法律がなかったので、英国統治下のときの法律を持ちだしてきて、最終的にはそれに言及しながらサボさんを含め36人の子どもや女性を解放することができました。
これが現代において、子どもが奴隷状態から救われた事件をきちんと文書化した世界でも初めての記録になったのです。
私は普通の人間です
坂之上:そんなことができたのは、カイラシュさんがつくった雑誌の力、メディアの力ですね。その貧しい人たちについて書いた雑誌は、はじめどうやって売ったのですか。みんな買ってくれましたか?
カイラシュ:もちろん売れません(笑)。誰も買いたくないですよね。私は自分の雑誌の記者であり、インタビュアーであり、カメラマンでもありました。
翻訳もしました。そのころはまだコンピュータがなかったから、自分で校正もしました。もちろん売るのも自分です。大学や図書館など、先進的な考えを持つ人がいそうなところで売るようにしました。
坂之上:失礼かもしれませんが、それで生活していけるくらい売れたのですか?
カイラシュ:それでは全然足りませんでした。だから雑誌のなかには、毎回、「ぜひサポートや寄付をしてください」ということも書いていました。
それから、あることについて記事を書いたら、どうすればその人を助けることができるか、具体的な方法も書くようにしたんです。
そんなふうにして読者に協力を求めるようになってから、私が一番初めにギフトとして受け取ったのは自転車でした。
年老いた女性が寄贈してくれたのです。これで長距離を歩いたりバスを乗り継いだりしなくても、自転車に乗って雑誌を売りに行けるようになり、すごく助かりました。
坂之上:そういう時の寄付は心にしみますよね。
カイラシュ:そう。私はノーベル平和賞をとった今でも、電車やバスに乗るために並んだりするので、よく驚かれますよ。でも私はそんなことより、もっと大変なことを経験していますから全然平気です。
今回の来日でも、日本のテレビの人たちが空港で出迎えてくれたのですが、彼らはノーベル平和賞受賞者が来るのだから、何人もおつきの人を従えているだろうと思っていた。
ところが私が護衛もなしに自分でスーツケースを押してひとりで現れたから、びっくりしたそうです(笑)。
でも私はそれを楽しんでいるんです。皆さん、ノーベル賞をとる人は、特別な人に違いないと思っているでしょう。
でも私は普通の人間です。普通の人でもノーベル賞をとることができるんです。
坂之上:カイラシュさんは、きっとダライ・ラマさんとも気が合ったでしょうね。
カイラシュ:えぇ。140ヵ国を回って、ようやくダライ・ラマにも会うことができました。
彼は2〜3年先までアポイントがいっぱいで、会うのは大変でしたけど、とても愛にあふれた人でした。おそらく彼も私のことを気に入ってくれたと思いますよ。
私は子どものころ、ノーベル賞について聞いたことがありました。それ以来、私には夢があったのです。
でもそれは自分がノーベル賞をとりたいという夢ではありません。ノーベル賞をとった人と一緒に写真を撮って、握手をしたいという夢です。それから50年たって、ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマと会うことができた。
彼は私の手を数分のあいだ握ってくれました。その写真を撮ってほしくて、カメラマンがいないかなと思って探したけれど、いない。
当時はまだスマホもなかったので、ダライ・ラマとの写真は撮れませんでした。
そのあと私は、自分を鏡に写して、自分自身と写真を撮りました。それが私の初めてのノーベル賞受賞者との写真です(笑)。
(構成:長山清子、撮影:是枝右恭)
※続きは明日掲載します。