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カイラシュ・サティヤルティ氏(1)

8.5万人の子を強制労働から救い、ノーベル平和賞を受賞した男

2016/5/29
 今、日本と世界は大きな転換期にある。そんな時代において、世界レベルで飛躍する、新時代の日本人が生まれ始めている。本連載ではビジネス、アート、クリエイティブなど、あらゆる分野で新時代のロールモデルとなりえる「グローバルで響いてる人の頭の中」をフィーチャー。経営ストラテジストの坂之上洋子氏との対談を通じて、各人物の魅力に迫る。第4回は、2014年にマララ・ユスフザイさんとともにノーベル平和賞を受賞した、カイラシュ・サティヤルティ氏と対談。
※世界の子どもを児童労働から守るNGO ACEの活動はこちら

家庭では完全降伏

坂之上:今回のゲストは、2014年にマララ・ユスフザイさんとともにノーベル平和賞を受賞した、カイラシュ・サティヤルティさんです。

カイラシュ:日本の皆さん、こんにちは。

坂之上:まずはウォーミングアップの質問から、短く答えていただけますか?

カイラシュさん、ご自分の長所はどこだと思われます?

カイラシュ:子どもっぽいところではないでしょうか。

坂之上:では、短所は?

カイラシュ:怖がらない性格なので、そのためにいろいろな人から攻撃を受けたり、困難にぶち当たったりすることがよくあります。

坂之上:困難にぶちあたる…。カイラシュさんは奥さまも一緒に子どもを守る活動をされているそうですが、奥さまとケンカをなさることはありますか?

カイラシュ:そりゃ、よくありますよ。(笑)

坂之上:ノーベル平和賞を受賞されても、家ではケンカをされるんですね!

カイラシュ:さきほども言ったように私自身が子どもみたいなものですから、彼女が母親のように怒るんですね。

坂之上:では、ケンカをしたときはどちらが謝るんでしょう?

カイラシュ:それは、私が完全降伏です。

坂之上:(笑)ノーベル平和賞の受賞者でも、奥さんには弱いんですね。聞いた多くの方々が勇気がでそうな話ですね。平和のためには、謝ることは大事ですか?

カイラシュ:そうです。そうです。そうすれば平和がもたらされます(笑)。世界に平和をもたらすためには、当然、家庭内も平和でなくてはなりませんから。

カイラシュ・サティヤルティ 1981年から長年児童労働問題に取り組み、救出やリハビリ施設を運営するインドのNGO、BBA(子ども時代を救え運動)を創設。これまで過酷な労働から解放した子どもの数は8万5千人に上る。教育のためのグローバルキャンペーンの創設者として、各国の教育支援動員にも成功。児童労働のないカーペットのラベル“Good Weave”を創設し、消費者の意識啓発にも努めてきた。2014年、マララ・ユスフザイさんと共に「子どもや若者の抑圧、またすべての子どもの教育を受ける権利に対する闘い」の功績を認められ、ノーベル平和賞を受賞。

カイラシュ・サティヤルティ
1981年から長年児童労働問題に取り組み、救出やリハビリ施設を運営するインドのNGO、BBA(子ども時代を救え運動)を創設。これまで過酷な労働から解放した子どもの数は8万5千人に上る。教育のためのグローバルキャンペーンの創設者として、各国の教育支援動員にも成功。児童労働のないカーペットのラベル“Good Weave”を創設し、消費者の意識啓発にも努めてきた。2014年、マララ・ユスフザイさんと共に「子どもや若者の抑圧、またすべての子どもの教育を受ける権利に対する闘い」の功績を認められ、ノーベル平和賞を受賞。

私は死なずに生きている

坂之上:確かに。(笑)こんなお茶目なカイラシュさんですが、強制労働をさせられている子どもたちを、実際にその場に行って救い出すという活動をされているのですよね。

たとえばじゅうたん産業に従事している幼い子どもたちは、学校にも行けず、1日13時間も機織り機に縛りつけられて、窮屈な姿勢のまま細かな作業に従事している。背骨の変形や視力の低下に加え、呼吸器疾患を引き起こすこともある。

強制労働を禁止する法律があっても、誰かが取り締まりに乗り出さなければ、子どもたちを救うことはできないのが現状です。カイラシュさんは、いままでに何人くらいの子どもを救ってきたのですか。

カイラシュ:実際に私がその場に行って助けた子どもは8万5千人ほどです。そのほかに、間接的に助けた子どももいます。

たとえば法律を制定するとか、さまざまな規制をかけるなどして司法の力を借りる。それによって教育の現場に子どもを戻す。

そういうケースも入れれば、本当に何百万人に及ぶと思います。でも私たちが通常「助けた」というときは、間接的に助けた子どもの数は数えません。直接自分たちが介入して助けた子どもの数が8万5千人ぐらいです。

坂之上:子どもたちが働かされている現場に乗り込んでいくわけですから、攻撃されたり、暴力をふるわれたりすることもありますよね。いままで危ない目に遭ったり、大きなケガをしたりしたことはなかったんですか?

カイラシュ:まあ、それはある意味、ゲームの一部でもあるわけですね(笑)。

ゲームを楽しみながら、それにちゃんと勝たなければいけない。より大規模なところに入っていけば、当然のことながらリスクもあります。

坂之上:実は、カイラシュさんが「刺された」とか、「血みどろになった」というお話をたくさん聞いています。それをうれしそうに話すカイラシュさんがすごい迫力なんですが…。

カイラシュ:あぁ、左足はもう折れていますし、右肩も襲われたし、頭をけがしたこともあります。でも今こうして、私は死なずに生きていますから。

坂之上:奥さまは「もうやめて」と言わなかったのですか?

カイラシュ:私よりも妻のほうが、もっと危険な人間ですから(笑)。実は彼女のほうが、子どもたち、特に女の子たちを救うことに熱心で、もっと危険な場所に介入したこともあります。

坂之上:奥さま、すごい。

貧しい国では子どもも働くのが当然だと思われていたのですけれど、カイラシュさんは「それは違う」と断固としておっしゃり続けてきました。

インドのカースト制に反対して、罰せられたこともあると伺いました。カースト制や児童労働というのは、「そういうものだからしょうがない」と思われている部分もありますよね。

そういう長年の習慣とか思い込みに対して、どのようなアクションを起こして、どのように戦っていらしたのでしょう。

カイラシュ:たとえば児童労働をさせられていて、いままで満足に食べられなかった子に食べ物を与えると、自然と子どもの顔に笑顔が生まれます。

そういった笑顔を、実際に人々に見せることです。それによって、いままで反対してきた人たちも納得します。そういうことをこれまで何回も続けてきました。

子どもが解放されて、子どもに自由が生まれたとき、そこには希望が宿ります。

そしてその希望は、決して子どもだけにとどまりません。自由というのは、本当に力になるものだと思っています。

坂之上洋子(さかのうえ・ようこ) ブランド経営ストラテジスト。米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナー、EコマースベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長を経て、ウェブブランディング会社Bluebeagleを設立。その後同社を売却し、中国北京でブランド戦略コンサルティングをしたのち帰国。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー、東京大学非常勤講師、NPOのブランディングなどを行った。『ニューズウィーク』誌の「世界が認めた日本人女性100人」に選出

坂之上洋子(さかのうえ・ようこ)
ブランド経営ストラテジスト。米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナー、EコマースベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長を経て、ウェブブランディング会社Bluebeagleを設立。その後同社を売却し、中国北京でブランド戦略コンサルティングをしたのち帰国。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー、東京大学非常勤講師、NPOのブランディングなどを行った。『ニューズウィーク』誌の「世界が認めた日本人女性100人」に選出

さらに多くの子どもは救える

坂之上:カイラシュさんが36年間、活動を続けられてきたなかで、一番つらかったこと、悲しかった出来事は何でしょう。

カイラシュ:私がまだ若かったとき、救いだした男の子がいました。

彼は奴隷として強制労働を強いられていたのですが、非常に素晴らしい子で、19歳になるころにはほかの子どもたちのリーダーのような存在になったのです。

そして私と一緒にアメリカに行って、当時の大統領だったクリントン大統領と会いました。

彼は大統領の前で、「大統領にならなくても、子供たちを救うことはできる」という素晴らしいスピーチをしたんです。

けれども彼は24歳で蛇に噛まれて亡くなってしまいました。残念でした。でも彼は私たちの心のなかに生き続けています。

坂之上:つらいお話を聞かせて下さりありがとうございます。彼の志がカイラシュさんの心の中で生き続けていること伝わってきました。

では逆に、今までで一番うれしかったことを教えてくださいますか?

カイラシュ:最も幸せだった瞬間は、かつて児童労働や児童売春の犠牲者だった何百人という子どもたちと一緒に、ジュネーブにある国連ビルのなかに入って行った瞬間です。

かつて奴隷であり、つらい経験を強いられてきた子どもたちが国連のビルの中に入っていくというのは、歴史において初めてのことでした。

そしてその瞬間を、国連総会やILO(国際労働機関)など世界のリーダーに見てもらえた。

そして私たちは国際機関に対して、国際的な法律をつくる必要があると強く要求しました。その結果、1年未満で子どもの奴隷、子どもの人身売買、そして有害な労働環境における児童労働の禁止を定める新しい法律ができたのです。

これまで児童労働に従事させられていた子どもは2億6千万人ほどいましたが、この13~14年で、1億6千8百万人にまで減りました。

およそ15年間で、約1億人の子どもを救ったことになります。ですからこれからの20年、20年といわずもっと短い期間で、さらに多くの子どもを救えると私は確信しています。

(構成:長山清子、撮影:是枝右恭)

※続きは明日掲載します。