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プロピッカーが選ぶ今週の3冊

【武井涼子】音楽や芸術は、どうして教育に有効なのか

2016/5/18
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。水曜は「Pro Picker’s Choice」と題して、プロピッカーがピックアップした書籍を紹介する。今回は、グロービス経営大学院准教授/英語MBAプログラムマネージャーの武井涼子氏が、教育と音楽を軸に3冊を取り上げる。

私はマーケターとして、大学院という教育産業に属する組織のインターナショナルマーケティングを実践するとともに、プロの声楽家として音楽活動も行い、演奏活動だけではなく、コンサートやワークショップの企画やプロデュースも行いながら、経済と文化の中間にいることを意識している。

今年の春からは、昭和音楽大学の音楽運営領域の博士後期課程に入学したこともあり、音楽と教育という観点で3冊を選んでみた。

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今月からプロピッカーになられた津山さんの書籍。

私はNPOで世界に日本歌曲を広める活動を行っているが、初めて私たちの団体が日本歌曲の海外公演を行ったのは、2014年のニューヨークだった。その時、支援のための会を開いてくださったのが津山さん。

私が尊敬するメディア業界の皆さまが、こぞって「ジャーナリストとして尊敬する」と絶賛した津山さんは、自身もプロ級のビオラの腕を持たれる音楽家でもある。

その津山さんがアメリカの教育業界について深く切り込み、日本の教育との対比から考察をしているのが本書だ。

読んでみると、アメリカの社会には「良い大学に行って良い教育をうけることがとても大事だ」という異常なまでのこだわりが見える。金持ちは、子どもをハーバード大学などのエリート校に行かせるために、天文学的なお金を小学校に上がる前のプレスクールから出すとのこと。

この子どもたちは高所得な親に助けられ、2歳から英才教育を受け、名門の学校で中学、高校時代を過ごし、高学歴を手に入れて高所得の仕事に就く。そしてその子どもが……という「プラスの連鎖」が回っている。

だからこそ、年間の学費が800万円近いハーバード大学になんとかして子どもを入れようと思うのだろう。

しかし、その一方でその連鎖に入れないと「負の連鎖」が待っている。

ただ、ここで面白いのは、「負の連鎖は断ち切るべきである」「高等教育はとにかく大事だ」という意識も同時にアメリカの社会には根強くあることだ。

ザッカーバーグ氏は120億円を教育事業に寄付。ニューヨークのデブラシオ市長は「すべての四歳児に均等な教育機会を」と教育改革に乗り出す。ファーストレディーであるミシェル・オバマ氏も教育の質の向上に力を入れているそうだ。

筆者は日本の教育システムとアメリカのそれの比較も行っている。日本の方が安価で、高等教育の格差がそこまで広がっていないところがよいとする。

しかし、最終的に、リーダーが生まれるかどうかは学歴の高さではなく、総合的な「知性」の高い人材を育てられるかどうかにかかっており、アメリカの高等教育はそこに注力し、成功しているのではないかという。

日本は単に大卒を増やすのではなく、その質を考えていくことが大事なのだ。

具体的に日本が行うべきこととして、入試に学力試験だけではなく人物評価を入れて、入学後の学生の進路指導に生かすこと。また、大学に入った後で理系・文系を含めて勉強したいことをゆっくりと決められるシステムをつくることで「知性」を蓄積していけるとの、津山さんのご意見。本当にその通りだと思った。

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津山さんの著作を読んで、アメリカの大学で、私の興味関心領域である「音楽」はどう扱われているのであろうかと考えていたところ、この本が目にとまった。

アメリカの多くの大学では、実技も含めた音楽を大学のリベラル・アーツとして学べるという。本書は豊富な事例を紹介しながら、そもそも音楽がどのようにリベラル・アーツの学科として成立してきたのかを描いている。

そして、現在求められている音楽教育と、音楽を生かしたグローバル時代の人間像までも考察した、読み応えのある本に仕上がっている。

アメリカの音楽学科では、ダブルメジャーやダブルディグリーを目指す学生が、各大学に十数から数十人の単位でいるという。

実際、アメリカ人の友人に、UCLAの卒業生で、音楽を主に学び、大学卒業後に東京ディズニーランドでピアニストのアルバイト、その後ロースクールに入って弁護士になった人がいる。とてもバランス感覚の優れた素晴らしい人だ。

コロンビアのMBAプログラムにも音楽実技は教科として組み込まれており、私も含め多くのクラスメートがその科目を選択していた。津山さんがおっしゃるように、大学に入った時点で何かを学ばねばならないと決めなくて済むシステムは「知性の蓄積」を呼ぶのかもしれない。

本書で紹介されているスタンフォード大学ジョナサン・バーガー教授の言葉が興味深い。

「全学部の学生にとって芸術は不可欠で不可避なものだと考えています。芸術はあいまいさを受け入れ、想像的に考え、問いかけまた挑戦することを教えてくれます。大学側がそのような機会を提供することが、芸術の未来のためにも必要です。」

筆者は、音楽はすでに十分な「知の蓄積」がなされており、これからはいかに社会に生かしていく「知の活用」を考えるべきであると言う。そのためには学際的な社会貢献活動が大事である、とも。

実際に、パレスチナの子どもとイスラエルの子どもによって奏でられたユース・オーケストラなどの活動は、バーガー教授のいう「あいまいなものを受け入れる」力を与える音楽が、社会的な問題の解決に応えた好例だと言えよう。

今通っているアートマネジメントの大学院の授業で音楽をひも解くと、中世のヨーロッパでは、鳴り響くものは音、耳に聞こえないものが音楽とされ、バランスや調和を表すものとされたと学んだ。日本では「楽」は「調和」を表す言葉であり、その調和が鳴り響いたときに「音楽」が生まれるとされたそうだ。

いずれにせよ、洋の東西を問わず、見えないところにある調和を表すものが音楽なのだ。それが崩れることは、世の中の調和が崩れ、戦争になることをも意味していた。音楽には、世界の調和を保つ力があると昔から思われていたのではないだろうか。

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さて、音楽の中でも、中世、唯一教会で奏でることを許されていたのが「声楽」である。人間の声は崇高なものとされ、その他のいわゆる楽器が奏でる音楽は、基本的にほとんどが世俗的なものとして扱われていたという。

その声楽を極めて、エンターテインメントにまで高めたのがオペラである。オペラが、ルネサンス後期に生まれた芸術であることは興味深い。

本書の著者は、カラヤン指揮の「ドン・ジョヴァンニ」などを担当したオペラの演出家だ。日本でも新国立歌劇場などで演出をしている。

本書は一貫して、オペラは音楽に忠実であることが大事なこと。そして、歌手は音楽で要求されていることをきちんと舞台上で演じることが大事であることを伝え続けている。

この内容は、ことに、巻末に付録の2としてつけられた「オペラ愛好家とオペラ嫌いのためのマスタークラス」の実況中継風なセクションに書かれており、「フィガロの結婚」を知っている人であれば、思わず引き込まれる内容が書かれている。

オペラとは、そもそも素晴らしい劇作品が、音楽の力を得ることでさらに輝きを増す上演形態である。その中で、時代ごとに異なるのは、オーケストラの奏でる音楽と歌手の歌と演技のバランスであると、ハンぺ氏は言う。

このバランスを見極めたうえで、上演を行うためには音楽を読み解く「音楽探偵」にならなくてはいけない。オペラの音楽は具体的なことを表しているので、それぞれの音楽が何を表しているのかを読み解くことでよい舞台ができる、とのこと。

ベートーベンの「運命」の最初の「ジャジャジャジャーン」は何を表しているか、聴き手は自由に想像の翼を広げることができる。

その一方で、モーツアルトの「魔笛」の最初の音楽は、大蛇に追われている王子の恐怖、蛇の疾駆や鎌首をもたげたさまを的確に描写しているわけだから、その一つひとつの音に含まれた意図を読み解かなくてはいけないというわけだ。

きっと日本でも、ハンぺ氏の言うような公演を行えば、聴衆の皆さんにオペラが受け入れられ、「不可欠で不可避」なものになっていくのであろう。日本には、日本人でしか表現できない素晴らしい日本歌曲や、「夕鶴」をはじめとした日本のオペラがある。こういった作品は、きっと私たちでないと「音楽探偵」ができないジャンルともいえる。

ぜひ世界に出せる舞台作品をつくり、世界に広めていくことで、音楽のもたらす調和を増やしていくことができたらと強く願う。