体験しか売れない時代が来る──寺尾玄
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ラーメン二郎は、ラーメンを売っていない。体験を売っている。行列に並んでいる間、小にするか大にするか逡巡する。豚を増すか、悩む。そして、自分なりの気持ちを整理し、食券を押す。これは、自分を過信せず、でも、過小評価しないという、自分を見つめなおす体験を提供している。
そして、丼を前にし、改めて自分の小ささを痛感する。できると思ったことがそんな簡単にはできない、あきらめそうになる。どうして自分を客観的に見れないんだろうと、自分の甘さを浮き彫りにする体験だ。
しかし、そこであきらめない。一歩一歩進んでいく。遠くはみない。目の前の麺一本に集中する。そうすると、途中で、もしかしたら行けるかも?という瞬間が来る。そうすると、あとは一気にゴールまでたどり着ける。自分を信じてよかった。最後まで自分を信じ続けてよかった。そのとおりだ。僕が僕を信じ続けないで、どうするんだ。僕はできる。まだまだやれる。と自信を得られるという得難い体験ができる。
だから、二郎から出てくるジロリアンは、疲れながらも爽やかな表情なのである。二郎はラーメンを売っているのではない。体験を売っている。
注目のコメント
機能の面でもう満たされているから、とも言えますよね。それぞれの家電で得たい体験の種類は飽和している。ので、体験の質を上げる側にデザインがシフトしてきていると。
そこに対して、まだ日本の大手メーカーは体験の種類を上げようとあれこれ機能を付加して、結果的にあまり受け入れられていないという感じなのかと思います。いまや、人は体験し、周りの人にシェアするためにモノを買い、サービスを買う。人々の財布の紐が緩くなる理由の一つに間違いなく、体験とそのシェアが挙がるでしょう。
文句言いながら清澄白河でブルーボトルコーヒーに並び、並んで入ったシェイクシャックのハンバーガーを「そんなに大したことない」とこき下ろし、米国では誰も並ばないタコベルの長蛇の列に並んでタコスを食べる。そして、その写真をアップしSNSで、友達に共有する。中国でセルフィーがめちゃ流行ってたり、その波に乗ってカシオの自撮りしやすいデジカメがやたら高値で売れるのも同様の理由だろう。
こうした体験的付加価値を考えていくと、例えばバルミューダのオーブントースターが平均価格の10倍くらいの25,000円くらいする理由もわかってくる。人は感動的な品質にお金を払うんだけど、それは実際には製品品質にお金を払ってるんじゃなくて、「焼いたパンが美味しいという体験」価値にお金を払ってるんですよ、ということ。
いいものをひたすら作れば売れるはずだ、という盲目的なMade in Japan信奉ではなく、地に足の付いた顧客体験重視型製品がたとえ高くても売れる、ということね。中国からの観光客が日本製の炊飯器や紙おむつを爆買いするのも体験価値を重視してるからこそ高くてもお金を払うってことなのだろうな。この最たるものがiPhoneだったりApple製品だったりするのだよなあ。