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心臓外科医という仕事とは

文系卒一般企業から心臓外科医へ、プロピッカー奈良原裕の”諦めない力”

2016/5/3

こんにちは。この度、プロピッカーとしてコメントさせていただくことになりました奈良原裕と申します。私は現在、心臓血管外科医としてほぼ毎日手術をする日々を過ごしています。

私をプロピッカーに選んでいただいたのは、もともとは一般企業に勤めていて、人より遅れて医師になったにもかかわらず、心臓血管外科という肉体的にも精神的にもハードな診療科を選んだ異色な経歴のためではないかと思います。

そこで、これまでの経歴や活動、今後の展望などについて書かせていただきます。

文系卒一般企業から医学部へ

私は、中央大学法学部を卒業後、石油元売りメーカーに就職し、約5年間勤務したのち退職しました。会社を辞めたのは、自分のやっていることで直接相手に喜んでもらえる職に就きたいと思うようになったからです。そして、医師や看護師、介護士など医療関係の仕事を模索していました。

当時、医学部への学士編入学は狭き門でしたので、一般入試での医学部を目指しました。退職して初めて受けた予備校模試での偏差値は30台でした。そこで約1年間の浪人期間を経て、高知大学医学部に入学しました。現役ストレートの同級生と比べて10年遅れての再出発でした。

医学部時代は空手道部に所属。体力、気力とも年下に負ける気はしなかったのですが、それでも専門診療科を決める段階で、年齢的な理由で心臓外科医への道を一度あきらめました。

心臓外科医の道へ

心臓血管外科は唯一、心臓を止めるハイリスク手術を行う診療科です。それゆえ、執刀医になれるのはごく一部の人のみで、執刀医になれないまま心臓外科医人生を終える人もたくさんいます。

このあたりが、他の診療科と違う部分です。研修医が終わってから、専門診療科を考える際に、心臓血管外科が選ばれにくい理由の一つだと思います。私も研修医を終えたのち、初めは一般外科・救急の道を選びました。

それでも心臓外科医への思いが抑えきれず、1年後に心臓血管外科へ転科しました。当時38歳。この年齢から心臓外科医を目指す人はあまりいないかもしれません。心臓血管外科学会としても30歳を超えてからのスタートはあまり歓迎されていないようです(笑)。

現在所属している菊名記念病院は、心臓外科医がつくった病院です。入職当時の部長(現副院長)と医長(現心臓血管外科部長)と面接を重ね、考え方や人柄に触れ、自分の人生を預けてもいいと思いました。

心臓外科医は、人生の多くの時間を心臓外科医であることに捧げます。どこで修行するかを決める際には、それぐらいの覚悟が必要だと思います。

上司と歩んできた道

1.尾頭厚先生

入職時から現在まで、ずっと指導していただいているのが、心臓血管外科部長の尾頭厚先生です。一時期は、2人で年間350例以上の手術をするなど多忙を極めていました。

そのような状況でしたが、Facebookページをつくって自分たちの活動を記事としてアップロードすることにしました。すると、思わぬ評価をいただくようになったのです。そして、気がつくとたくさんの方々からいいね!をいただき医療分野では有数のページとなりました。

なぜ情報を発信するようになったのか。

私には、ずっと考えていることがあります。心臓手術は、命というこれ以上かけがえのないものを、他人である心臓外科医に預けることになります。しかし、患者さんはどれだけ主体的にその相手を選べているのだろうかと。

通常は、最初の主治医に紹介された心臓外科医をそのまま信頼しているケースがほとんどだと思います。もし、自分が患者の立場となったならば次の3つを基準に選ぶと思います。①手術成績が良好であり、②執刀医の人となりが信頼するに足り、③すでに手術を終えた患者さんから信頼の声が聞こえる。だからこそ、心臓外科医チームのありのままを知ってもらい、納得して手術を受けてもらいたいと考え、情報発信をするようになったんです。

最近では、外来で初めてお会いする患者さんから、「先生のことはインターネットでよく知っています。」と言われることも多くなってきました。

多くの方から共感をいただいた記事。Facebookページでは、何気ない日常から患者さん、一緒に働くスタッフへの思いなどをつづっています。

多くの方から共感をいただいた記事。Facebookページでは、何気ない日常から患者さん、一緒に働くスタッフへの思いなどをつづっています。

2.心臓外科医の技術コンテストで優勝

Challengers’ Live Demonstrations。これは、日本各地から多くの若手心臓外科医が参加し冠動脈バイパス手術の技術を競い合うコンテストです。

冠動脈バイパス手術は、狭心症や心筋梗塞に対して行われる手術。心臓表面にある数ミリの血管に別の血管をつなぎ、冠動脈血流を増やす目的で行われます。この手術には血管縫合の技術が凝縮されており、技術的完成度を評価するのに適していると言われています。

本コンテストは学会プログラムの一つとなっており、東京と大阪で予選が行われ予選を勝ち抜いた数名が本戦に出場することができます。本戦では競技会場と学会会場とがライブ中継されており、学会に参加している多くの心臓外科医たちが見る中で手術手技を披露し評価されます。

手術は競うものでなければ技術だけで良い結果を生めるものではありませんが、テレビなどでも有名な医師や大学教授陣らに評価されるなかで冷静に手術手技を行えることは、現実の手術においても重要な要素の一つだと思います。そして、大会はそれを見る学会参加医師にとって教育の場にもなっています。

この2014年度大会で、私は運良く優勝することができました。

石油元売りメーカーを退職するときも、一般外科・救急を専門と決めるときも、ましてや心臓血管外科へ転科しようとしたときも、すべての岐路で周囲からは反対されました。

Challengers’ Live Demonstrationsでの優勝は、38歳から心臓外科医を目指した異色な経歴だけではなく、自分を育ててくれた尾頭先生の指導、そしていち民間病院でやってきた医療が間違っていなかったと思えるうれしい瞬間でした。

現在、主任外科医として数多くの手術を執刀しています。医療に完成形はなく、安全で質の高い医療の提供を追い求め続けたいと思います。

現在、主任外科医として数多くの手術を執刀しています。医療に完成形はなく、安全で質の高い医療の提供を追い求め続けたいと思います。

3.アフタースクールプログラム

縁あって「放課後NPOアフタースクール」の市民先生として、全国各地にある学童保育団体に出向き、子どもたちに命のことを考えてもらうプログラムを行っています。生きているということを考え、命をつなぐ仕事のことを知り、そして子どもたちの興味の一つに医療というものが加わったらいいなという思いから活動しています。

毎日のように、実際に手術を行っている現役の心臓外科医自らが行うからこそ、伝えられるものや感じてもらえるものがあると考えています。自分たちの持つ知識と経験を病気で苦しむ患者さんを救うだけでなく、未来を担う子どもたちに少しでも役立てられるならこんなにうれしいことはありません。

プログラムでは、実際に手術している様子をビデオで見てもらったり、手術をする格好になって縫合練習をしたりします。もちろん使用している手術器材はすべて本物です。

プログラムでは、実際に手術している様子をビデオで見てもらったり、手術をする格好になって縫合練習をしたりします。もちろん使用している手術器材はすべて本物です。

これから

心臓血管外科という診療科は、生命を維持するための手段を最も多く持っています。極論を言えば、呼吸が止まっても人工呼吸器で息をさせ、心臓が止まっても体外循環装置で血液循環を維持し、ペースメーカーで心電図波形を出させ、IABPという機械で脈圧(血圧の上下)もつくることができます。

つまり、人はそう簡単に死ねなくなりました(笑)。

もちろん、これ以外にも医療全般の進歩たるや、自分の専門分野ですらついていくのが容易ではない時代になってきています。ましてや、医療従事者でない一般の方との医療情報格差は広がる一方です。

これを埋める言葉は、医療情報をかみ砕いて伝えるということだけではないと思っています。誤解を恐れずに言うならば、患者さんや家族の死生観に踏み込んで、寄り添い共感し合う医療が求められる一面もあると思っています。

手術室の中だけでなく、手術室の外でも命と真摯に向き合い対話できる心臓外科医を目指して今後も活動の幅を広げていきたいと思っています。

プロピッカー就任にあたって

やはり、医療、ヘルスケア分野でのコメントが多くなると思います。医師という職業は、極めてドメスティックで、外部と遮断されているかのような閉ざされた環境の中で日々を過ごしており、ともすると視点は単一になり視野は狭くなりがちです。

NewsPicksの記事とピッカーのみなさまのコメントは、記事内容の理解が深まるのはもちろんのこと、自分とは別の視点も知ることができて、とても有意義だと感じています。

医療分野のプロピッカーとして、閉ざされた医療現場の内側を見える形にして、コメントを閲覧していただくみなさまにとって、別の視点を提供できたらうれしく思います。どうぞよろしくお願い致します。
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(写真提供・奈良原裕)