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プロピッカーが語る、私の『HARD THINGS』

【高宮慎一】HARD THINGSへの対処と、5つの“気の持ちよう”

2016/5/2
2016年4月28日、2015年度を代表するビジネス書を選出し、表彰する「ビジネス書大賞2016」の結果が発表され、大賞には『HARD THINGS』(著:ベン・ホロウィッツ、出版:日経BP社)が選ばれた。関連企画「私の『HARD THINGS』」では、ビジネスの修羅場を多く潜り抜けてきたプロピッカーによる、『HARD THINGS』の書評を掲載します。
【予告編】ビジネス書大賞発表。今年の大賞は『HARD THINGS』に決定
2000年に東京大学経済学部を卒業。同年アーサー・D・リトルに入社し、プロジェクト・リーダーとしてITサービス企業に対する事業戦略、新規事業戦略、イノベーション戦略立案などを主導。2008年にハーバード経営大学院を卒業(2年次優秀賞)。その後、グロービス・キャピタル・パートナーズに参画し、インターネット領域の投資を担当。担当投資先として、アイスタイル、オークファン、カヤック、nanapi、Viibar、ピクスタ、メルカリなど有名・有望ベンチャーが多数ある

2000年に東京大学経済学部を卒業。同年アーサー・D・リトルに入社し、プロジェクト・リーダーとしてITサービス企業に対する事業戦略、新規事業戦略、イノベーション戦略立案などを主導。2008年にハーバード経営大学院を卒業(2年次優秀賞)。その後、グロービス・キャピタル・パートナーズに参画し、インターネット領域の投資を担当。担当投資先として、アイスタイル、オークファン、カヤック、nanapi、Viibar、ピクスタ、メルカリなど有名・有望ベンチャーが多数ある

あの感覚が蘇る

『HARD THINGS』を読んで、Ben HorowitzのHard Things(=危機的困難)に直面した際の、焼けつくような、それでいて冷や汗をかいてしまうような焦燥感には、痛いほど共感してしまった。

コンサル時代に炎上プロジェクトのリーダーとしてクライアントの要求と社内的プレッシャーの板挟みの中、微熱が下がらない中で働き続けたこと、ハーバードMBA時代、1学期の成績が退学が危ぶまれるようなものとなってしまったこと…いまだに思いだすだけでも、あの焦燥感がフラッシュバックする。

また、ベンチャーキャピタル(VC)としては、投資家のお金を預かり、ベンチャー1社あたり数億円、場合によっては十億円以上、人さまのお金を投資してきた。対象はベンチャーなので、さまざまなHard Thingsに直面し、場合によっては倒産してしまうことだってある。

そして、投資先のベンチャーでは、社外役員として同じ船に乗った仲間としてやっているので、ベンチャーという小舟に次々と襲いかかるHard Thingsの直撃をくらってきている。

さらに、経営の舵取りをしているのは船長である起業家なので、嵐の中で自分以外の人に、最終判断が委ねられているのだ。

その経験から得た、自分なりのHard Thingsの乗りこえ方、やりすごし方を共有できればと思う。Hard Thingsに直面すると、最悪の結末を考えただけで、頭は空回りし、精神的にも追いつめられ、何がなんだかわかなくなり、パニック状態になってしまう。それだけで疲弊してしまう。

そんな時に、まずは重要なのが、正しく状況を把握することだ。自分は何を恐れ、何が困難なのか。何はどうにかなって、何はどうしようもないのか。これが明確になると、一段冷静になれる。

単純だが、それらを書き出してみるのも有効だ。恐れや焦燥など、自らの感情的起伏からくる精神的疲労が軽減でき、実務的な対策に集中することができるようになる。

Hard Thingsの“Hardさ”

では、実際Hard Thingsの“Hardさ”(=困難)は具体的にはどんなもので、限られた資源や時間を集中すべき対応可能なものはどこだろうか。その“Hardさ”を分解してみた。

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ダメージの大きさ

まず、Hard Thingsに直面したら、このまま恐れている事態が実現してしまったら、自社にとってどれだけダメージがあるか推し量ってみよう。一発で会社が吹っ飛んでしまうのか、それとも自分個人にとって感情論的に痛いだけなのか。

たとえば、取締役で創業メンバーの一人が辞めたいと言ってくるのは “ベンチャーあるある”だ。創業時以来同じ釜の飯を食い、健やかなるときも、病めるときも一緒に乗り越えてきたわけで、起業家としては精神的ダメージは甚大だ。

ただ、悲しいけれど冷徹に考えて、その辞意を表明した取締役は、現状機能していたのか? また、今後さらに事業を成長させていくにあたり、必要な戦力なのか?

もし、Yesなら実務的にも被害は甚大だ。しかし、もしNoで、過去には大きく貢献してくれていたが、事業の成長に個人の成長がついてこられず、現状以降はあまり機能しないのであれば、実務上の被害は小さい。

Noを認めること自体が悲しいことだ。ここで重要なのは、事業にとって一番貴重な資源は経営者の時間とマインドシェアであることだ。冷静に考えて、その貴重な資源を余り使わず、執着せず流れに任せて処理するのも一つの手だ。

時間の切迫度

時間的な猶予がないと、状況を打開する難しさはあがり、精神的な疲労もより大きくなってしまう。ただ、冷静に考えると、Hard Thingsが顕在化した時点では、残された時間はすでに決まってしまっている。

多少延ばせたとしても、余り足掻きようがない。できることは、持ち時間の中でベストを尽くすことだけ。時間が迫っていることそのものから精神的に追い詰められ、打ち手を打つスピードが落ちるくらいなら、「できることしかできない」と開き直り、粛々と打つべき手を打つことに集中したほうが良い。

ただ本質的には、時間が切迫する困難さに対しては、事前にコンティンジェンシー (リスクが顕在化する前の危機対策)を打っておくことでしか、対応できない。たとえば、コンシューマ向けのネットサービスでは、モノを出してみるまでヒットするかどうかはわからない。

ベンチャーが犯しがちな過ちは、ヒットする前提で、事業計画、ひいては資金繰りを計画すること。いざモノを出してみて、ヒットしなかった、来月には資金がつきる、でも資金調達には数カ月、長いと半年かかってしまう。この時点で詰みだ。

あらかじめヒットしなかった時のことを想定して、モノを出す前に手元資金を厚くしておいたり、投資家に接触しておき調達までの時間を短縮したりと、事前に手を打っておくことが重要となる。

ステークホルダー間の利害関係の複雑さ

ベンチャーに関わるステークホルダーは想像以上に多い。

通常の事業上のステークホルダー、顧客、従業員、サプライヤー、株主、社会などに加え、起業家個人の人間関係である、家族や起業家仲間、エンジニアなどの人材コミュニティなども重要なステークホルダーとなってくる。

個人的に感じるのは、ステークホルダーが絡んできた時、すなわち人間関係が絡んできた時、Hard Thingsの中でもかなりつらい状況になる。

特に、お互いに立場の違いこそあれ、プロフェッショナルとして責務を全うしていて「自分も相手の立場だったらそうするよなぁ」と納得できてしまう時が、Hard Thingsの中でも最も苦しい状況だと感じる。

“ベンチャーあるある”中のあるあるなのが、M&Aの際に発生するHard Thingsだ。VCとしても、支援先の資金が尽きそうな時と並びつらいことは、M&Aの際に起業家と投資家で意見の対立が発生してしまうことだ。

だからこそ、散々Exit(そもそも“Exit”という言葉は投資家目線の言葉なので、余り好きではないのだが)については、意識合わせを行う。

投資前から始まり、投資後も折に触れ、中長期的な事業展開のシナリオを複数想定し、「こうなったら、こうしよう」と目線を合わせる。それでも、いざとなると意見の相違は発生してしまうこともある。どう見てもイケてるシナリオやダメダメなシナリオの時は、「だよね。」で終わる。やはり中間の“そこそこ”のシナリオの時に問題となることある。。

“そこそこ”でのM&Aの時、起業家としては、自分の株主の立場としてリターンよりも、どの買い手と一緒になると今後も最も事業を伸ばせるかが重要なることがある。

VCとしては、起業家の想いに掛け、良い時も悪い時も同じ釜の飯を食い乗り越えてきたわけなので、起業家の意思はなるべく尊重したい。一方で、ファンドに投資してくれている投資家のお金を預かる身としては、リターンを最大化する責任がある。

起業家が、事業を一番伸ばしてくれると感じる買い手と最大の買収金額=リターンを提示してくれる買い手とが一致すればいいが、時には違うことがある。VCも、必ずしも杓子定規に1円でも高いほうに持分を売らないとダメという訳ではない。

今後も何回も起業するであろう起業家やベンチャーと連携を推進していくであろう買い手との関係性からくる“長期的リターン”を勘案して、“多少”であれば価格が安い方に合意できるかもしれない。

でも、“多少”とはどれくらいだったら、また“長期的リターン”とはどのように説明したら、投資家への責任を果たせるのか?

買い手からしても、買い手のステークホルダー、上場企業だと特に株主への説明責任があるので、法外な価格で買うことはできない。

そして、その価格を正当化するだけ、買収後に業績をあげることへのプレッシャーもある。起業家も、買収された後には、同様に業績の達成責任を負うことになるので、この点においては買い手と起業家の利害は一致する。

すると起業家にとってもHard Thingsとなってしまう。よちよち歩きのどベンチャーの時代からお世話になった投資家には報いたい。でも、事業を一番伸ばしてくれる買い手と一緒になりたい。そして、買収された後の過度な高業績(=高買収価格)にはコミットできない、どのあたりでバランスすべきか?

起業家、買い手、VCこれらすべて、おのおのの立場から理にかなった納得感のあることを言っている。きっとお互いに逆の立場でも同じことを考えるに違いない。

理にかなっていて、それぞれの立場で、まっとうに責務を果たそうとしているがために利害が対立してしまっている。誰も間違っていないし、誰も仁義に劣ることをしていない。ゆえに、余計につらい。

そんな時は、相手に自分の立場をしっかりと、誠実に説明する。そして、相手の立場を慮った上で、落とし所を見つけるべく自分の責任を果たせる範囲でどこまでなら譲れるかの幅を設定する。

相手の譲れる幅を超えて自分の利害を押し込んでもいけないし、交渉の中で自分の譲れる範囲を超えてズルズルと譲ってもいけない。

プロフェッショナル同士のお互いに責任を背負ったやり取りとなる。なので、相手が信頼できるプロフェッショナルだと、どんなに厳しい交渉となっても、妥結する余地があれば妥結するし、妥結しないのであれば、そもそも最初から譲れる範囲がかぶっていなかったのだと割り切ることもできる。

つまり立場の違いからくるまっとうな利害の対立に関しては、自らのプロとしての立場で責任を果たせる範囲の中で、妥結点を見つけるよう全力を尽くすしかない。

全力で責務を全うし、それでも妥結点が見つからなかったとしたら、その時はプロとしての責任は果たした、やりきったと納得して良いだろう。私自身、M&Aの際に、やるべきことをやりきり、それでもまとまるか否かギリギリだった時、最後は神頼みで神社にお参りに行ったこともある。

根源的原因の除去の難しさ

ある日突然自らの力の及ばないHard Thingsが降ってくることもある。顕在化した時点では、もはや原因を除去できない。

たとえば、ガラケーでコンテンツプロバイダー事業を展開していて、スマホの普及には時間がかかると想定していたが、一気にスマホにデバイスシフトが進んでしまい、ガラケーの事業が全滅の危機に瀕してしまった。または、事前に特許調査をしていたはずなのに、ある日突然特許侵害で訴訟沙汰になってしまったなどだ。

時間の切迫度の話と同様、本質的には事前にリスクを想定して対策を講じておくしかないが、ひとたび顕在化してしまうと根本的原因の除去は難しい。

その場合は、起こってしまったことに対してダメージを軽減するしかない。できることを粛々して、ダメージコントロールをする。それすらままならない時は、勉強代と割り切り、同じ過ちはしないよう学びとしつつ、後ろを振り返らずに一歩一歩前に進むしかない。

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最後は“気の持ちよう”

今までHard Thingsに臨むにあたっての、私なりの実務的な考え方を紹介してきた。しかし、Hard Thingsへの対処にあたっては、危機的状況のプレッシャーに押しつぶされず、冷静に粛々と最善の手を打っていく、“気の持ちよう”も重要だと思う。最後に5つの“気の持ちよう”を紹介して終わりたい。

1. 身体が疲弊すると正常な思考、判断ができなくなる。Hard Thingsの戦時中は、体を休めることも仕事。

2. Hard Thingsは、そもそも解決が難しいからこそ“Hard”。結果責任に対する過度なこだわりは捨て、最善の手を打ったという説明責任にモードチェンジする。

3. Hard Thingsの兆しを感知したら、すぐに周りに警報を発し、ちゅうちょなく助けを求める。一人で解決できるほど簡単でない。助けを請うことで失うものはない。

4. Hard Thingsを食らっているのは、自分だけではない。誰しもが、それぞれのHard Thingsを乗り越えて、それでもやってきている。自分の運命を悲観しない。

5. 過ぎない嵐はない。最善を尽くして耐えしのんでいれば、必ず嵐は過ぎる。時間がたてば嵐の傷も癒える。Hard Thingsの直撃を受けたからといって、世界の終わりではない。

そして、一度Hard Thingsを乗り越えれば、漫画のドラゴンボールで、サイヤ人が死にかけると強くなって復活するように、Hard Thingsに対する耐性があがる。

次は同じレベルのHard Thingsでは、Hardと感じなくなるし、さらにHardな困難にぶちあたっても、乗り越える力がついていることだろう。

*本稿中の事例などは、一般的な事例や複数の事例からエッセンスを抽出した事例であり、特定の企業で起きた実際の事例ではない。
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