WSJのコンテンツ戦略(2)
WSJの思想は「右派」なのか
2016/4/26
世界トップの経済メディアとして知られるウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)。WSJ東京支局長のピーター・ランダース氏と、WSJ日本版編集長の西山誠慈氏にWSJのコンテンツ戦略を聞いた(全4回)。
会社か個人か
──前回、米国の新聞は、日本の新聞に比べて記者個人の顔が見えやすいという話になりましたが、会社の方針と個のジャーナリストはどのような関係になっているのですか。
以前、『フィナンシャル・タイムズ』(以下FT)の記者と話したとき、会社の方針と記者の書く記事はまったく関係がないと言っていました。たとえば社説に「アベノミクス反対」と書いてあったとしても、記者個人はアベノミクスについて、自由に書いていいと。
一方、英国の『エコノミスト』などは記者の署名もなく、会社としての方針をきちっと出して、個の色を出しません。『ウォール・ストリート・ジャーナル』(以下、WSJ)はFT寄りですか、エコノミスト寄りですか?
西山:簡単に言うと、WSJはFTと同じです。社説を書くのはエディトリアル・ボード、日本でいう論説で、いわゆる編集部とは別の組織ですから。
ランダース:別組織であるということ自体、もしかしたら日本の新聞と違うかもしれません。WSJの場合は本当に伝統として、別々に切り離されています。
西山:極端な話、アベノミクスに関する社説が出るときも、事前にわれわれ東京支局の人間に対して、「来週こういう社説を書くから、アベノミクスの事実関係について聞きたい」というような問い合わせなどは全然ありません。
そしてその内容がアベノミクスを支持するものであっても、批判するものであっても、われわれとはまったく関係ない。われわれも批判的な社説が出たからといって、それを受けて批判的な論調で書こうということはありません。
ランダース:ないですね。
西山:絶対にないと言っていいですね。
ランダース:そもそも本社の論説委員とコミュニケーションがない(笑)。
先日、たまたま本社の論説委員が東京に来て、このオフィスにも寄ったのですが、その人と私はそれが初対面だったんです。
もう15年以上同じ新聞社に勤めていて、しかもニューヨークではオフィスも一緒だったのに、私はその人の書いたコラムは毎週読んでいるけれど、会ったことは一度もありませんでした。
たまたまどちらも東京にいたから、ちょっと雑談はしましたけど、そういうことでもなければもう全然会わない。
ただWSJ がFTとちょっと違うのは、記者個人の意見はあまり記事に反映させないのが会社の方針だということです。
基本的にはFTと同じですが、FTはもう少し記者個人の考え方が出ています。
たとえば「私は日本はこうすべきだと思います」「何とか社がこういう商品を発表しましたが、これは成功すると思いません」といった記者の主観が入った記事はWSJにはありません。
もちろん記者が見たことを記事に反映しますが、「私はこう思う」ということを書かないようにしています。必ず中正であることを目指しているのです。
論争があるときや意見が分かれている場合は、その当事者の誰が読んでも、自分の意見がちゃんと反映されているのだと感じられるような記事を目指しています。
コラムは主観も入る
──複数の視点が入るように工夫するということですね。
ランダース:そうです。私はワシントンにいたとき、こんなふうに指導されました。
たとえば選挙のとき、ある人へインタビューする。その人は「あの人が言っていることは間違いだ」とか、「あんなことを政治に反映したら、国がダメになるんだ」とか、いろんなことを言う。
その意見を取り上げて紹介するなら、必ずその主張と逆の意見も紹介するようにと。
たとえば「中国製品に対して40%の関税を設けるべきだ」という意見がある。それに対して「こんなことをするとアメリカ経済は破綻してしまう」という意見があるなら、関税を提案している人の意見も載せるというように、必ず反論を紹介する。
ある意見を中心に紹介したとしても、その逆の意見も必ず入れないといけないのです。
──ディベートというか、裁判というか、いろんな視点を入れて戦わせる感じになるということですか。
ランダース:そうですね。ワシントンのときは、実際に法務関係の記事の担当でしたから、特に裁判になったときは必ず両方の意見を書く必要がありました。
当然、裁判以外でも、意見が分かれているときは、必ず双方の見方を紹介します。三つの見方があれば三つの見方を紹介するようにしています。
もっともイギリス人に言わせると、「そんなのつまらないじゃないか」ということになりますが(笑)。
コラムはちょっと違います。ちょっと区別の仕方を説明しにくいですが、社説とは別にニュースセクションの中にコラムというものがありまして、その場合は署名があって、もう少し書いている人の主観的な見方が入ります。
しかしその場合でも、やはりほかの人の意見をちゃんと反映させます。「こういう意見もありますが、それが本当かどうかはちょっと疑問が残ります」というように。あまりにも一方的な意見は書かないけれども、コラムだったらもう少し個人の主観的な見方を書いてもいい。でもニュース記事では中立が原則ですね。
記者はとにかく中立
──媒体としての大きい方向性のようなものは定めているのですか。たとえば『ニューヨーク・タイムズ』はリベラルで、『エコノミスト』は自ら宣言しているように、経済は保守的で、社会問題にはリベラルというスタンスです。WSJの場合は、どちらかというと保守的と色付けされますが、それは正しいのですか。社内でも共有されている認識なのですか。
ランダース:WSJのニュース部門の編集者としては、正しくないと思います。
ニュース部門は、右でも左でもなく、中立であるというのが基本だと思います。たぶん『ニューヨーク・タイムズ』のニュース部門の記者も「中立だ」と言うと思いますし、実際中立に近い。
ニュース記事を読むと、「あ、これは右だ」「左だ」というような色は、そんなにはっきりしていないと思います。
──コラムなどで多少色が出ると。
ランダース:コラムもだいたい中道の人が多いですね。
社説は確かに右です。それはもう社説を書いている人も、「私たちは保守派です」「私たちは保守主義を信じています」と言っているので、それは間違いありません。
けれどもニュース部門のコラムを読んでも、そんなに極端に右・左ということはありません。
ワシントン支局長のジェラルド・F・サイブという人が、週に1回か2回ぐらいコラムを書いていますが、もうやりすぎと思うぐらい中立です。「この政治家では国がダメになる」とか、「この素晴らしい政治家をぜひ当選させたい」とか、「この政策をどうしても進めなければ経済はよくならない」といった主張はしない人です。
かろうじて、「こんな政策は深く検討すべきだ」とか、「これまでこの政策は両党に無視されてきたけれど、見直す時期が来ました」とか、それぐらいの意見しか言いません。
──一番主張してその程度ですね。
ランダース:コラムの人もそうですね。あまり意見は書かない。
中国のコラムの人も、もう本当に素晴らしい分析で、私も毎週読むようにしています。共産党を批判するときもありますが、「共産主義はダメだ」とか「中国共産党の一党独裁は倒すべきだ」というように、何でも反対というような感じではありません。共産党政権が実績をつくった場合は、それは素直に評価する場合もあります。
──現実主義ということですね。
ランダース:まあ、現実主義ですね。
──もしかしたら、日本の場合、一般の読者は、「ここの媒体はこういう方針だ」というイメージを持ちすぎているのかもしれません。
ランダース:そうですね。
西山:WSJも社説ははっきりカラーを出していますが、編集部に対して上層部から、「うちはこういう方向だから、こういうふうにやれ」と言われることは絶対ありませんし、言われたこともありません。それはおそらく、『ニューヨーク・タイムズ』も同じだと思います。
ですから記者は、本当にとにかく中立です。コラムに関しては、多少記者のカラーやある程度の意見は出ますけど、明らかに保守だとかリベラルだということはないです。
──個人が自立して、プロフェッショナルとして書いていくということですね。
(構成:長山清子、写真:風間仁一郎)
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