【求人掲載】コンサルティングビジネスの潮流へのアンチ・テーゼ
2016/04/13
“コンサルティング”というサービスのあり方に、相変わらず解せない思い、疑問や疑念を抱いているビジネスパーソンは多いだろう。コーポレイトディレクション(CDI)は、日本の経営戦略コンサルティングファームの草分けとして、30年の歴史を刻んできたなかで、おそらく誰よりも、そのあり方を根本的に問い続けてきた。CDIが見つめ続け、そしてこだわろうとしている源流とは何なのか? CDIの考えの一端を語る。
コンサルティングファームが「マーケティング」すると、どうなるか?
まず、高額無形物販売であるコンサルティングサービスを「売りやすくする」という観点から、歴史的に何が起こってきたかを一覧してみましょう。
サービス、つまり商品をわかりやすく見せるために、ソリューションとしてパッケージ化するようになります。これをサービスの「ソリューション化」と私たちは呼びます。気づくと、そのソリューションを売り歩くようになります。医者が、だんだん薬屋さんへと、その姿を変えていくのです。
コンサルタントは所詮責任を取らないのだろう、という問責に応えるためには、フィーを成果連動にしたり、自ら関わる案件に投資したりするようになります。これをフィーの「成功報酬化」と私たちは呼びます。
同じ舟に乗る、自らコミットする、というと耳ざわりはよいですが、コミットすれば当然当事者になる、つまりコンサルティングの生命線(魂)ともいえる「第三者性」を売り渡してしまう危険と隣り合わせです。
コンサルティングという何か茫漠としたもの、その一見不透明なプロセスではなく、コンサルタントのスキルや作業をガラス張りに提供してもらえばいいという要請から、スタッフの人貸しも始まります。これをコンサルティング業の「人材派遣業化」と私たちは呼びます。
通常の人材派遣よりは単価は高いですが、ビジネスとしての本質は、人工数計算で成り立つ建設・土木工事などと何ら違いはなくなっていきます。
わかりやすい訴求・差別化のためには、業界知見や専門知識・経験などの専門領域づくりも始まります。これをコンサルタントの「専門化」と私たちは呼びます。これは、私たちコンサルタントにとって専門とは何か、という根本的問題も提起します。
弁護士や会計士のような専門職の方とは違い、コンサルタントは制度的バックボーンを持ちません。それは、職業資格の問題のみでなく、よって立つ判断の根拠としてです。一方、クライアントから意見を求められたとき、コンサルタントには「~の専門的見地からすれば・・・」という留保条件をつけることは許されません。不確実な要素の多い中で最終決断を求められるクライアントにより近い場所での、総体的判断の助言者とならなければならないのです。
コンサルタントにとっての専門性とは専門領域を持つことではなく、コンサルティングという仕事自体の専門性でしかないという、本来は忘れてはいけないことが忘れられがちです。
このようにして、コンサルティングは「コモディティ化」の道をたどってきたのです。
コンサルティングという仕事の専門性
では本来、コンサルティングの専門性とは何なのか? それを考えてみましょう。
なかなか言葉にすることが難しく、言葉にしたとたんに、隙間からこぼれて落ちてしまいそうなことですが、そういうところに本質というのはあるものです。たとえば、「わかりやすい」「具体的」「役に立つ」という、ちょっと聞けばコンサルティングの模範に思われるような3要素にも、ホントとウソがあります。
「わかりやすい」ことはよいことに違いありません。クライアントが苦吟の末にも「わかった!」という決断に達することがコンサルティングの最上の成果だとすれば、最後の最後にわかりやすくなければ、コンサルタントの仕事とは言えません。
しかしそれは、初心者や部外者にもわかる入門書的なわかりやすさとは、まったく別の種類のものです。これが取り違えられていることが、世の中どれだけ多いことでしょう。
「具体的」であることも、コンサルティングが個別の企業や事業を相手にしている以上、当然のことで、抽象的総論、机上の空論では話になりません。しかし、ある芸術家が「写実の究極は抽象である」と言ったように、悩む人が「わかった!」という状態に至るのは、直面するものごとや状況をどういうもの(こと)として理解するか、という意味での抽象的認識に達することです。
私たちのコンサルティングの経験に照らしても、本当に覚悟をもった意思決定者が「他社の事例」などを求めることはありません。自社固有の、誰も突き当たったことのない問題に直面していることを、誰よりもよく知っているからです。
「事例」「具体例」を執拗に求めるのは、あまり自らの意思のない、コンサルティングのクライアントにはならないような、お勉強目的の人たちが大半です。
「役に立つ」ことも、まさにコンサルティングの目的そのものです。私たちもそれを旨としてきました。しかしまた、これほど幅の広い言葉もありません。何の役に立つのか、誰の役に立つのか、どう役に立つのか・・・。低次元の話から、高次元の話まで。
けれども、その何のため、誰のためということ自体が、ひとつひとつのコンサルティングでたいへん重いテーマなのです。それは、何が大事なことなのか、という判断そのものに通じるからです。
ある有名高校の先生が「すぐに役立つことは、すぐに役立たなくなる」と常々教えておられたと聞きますが、この言葉はそのまま私たちの訓戒ともしたいところです。ノウハウ、ハウツー本のような存在になっていくのは、あまりに虚しく、コンサルタントの本分とはかけ離れたことです。
表面的に「わかりやすい」「具体的」「役に立つ」ということと、コンサルティングの質とは、実は何も関係のないことなのです。価値は、その意味の内奥にあると言えばよいでしょうか。
コンサルティングを通じて、初めは悩みを抱えていたクライアントが「わかった!」という状態に達することが私たちの最上の成果だとすれば、そこに至る創造的なプロセスをクライアントと伴走する技や力こそが、コンサルタントの専門性ということだとCDIは考え、そして評価を得てきたものと自負しています。
残念ながらそれは、先述したような商品やサービスとして誰にでもわかりやすく目に見えるようにすることとは、なかなか相容れませんが、誰よりもその高い専門性を磨き続けることが、私たちのあり方なのです。
CDIという“場所”
私たちの組織のあり方は、独特のものになっています。
CDIは既に世に謂うコンサルティングファームではない、と考えてもらってもよいと思います。私たちと接するクライアントも、そしておそらくCDIという“場所”に一度でも足を踏み入れたことのあるすべての人たちが、そう感じていることでしょう。「他のコンサルティングファームとは、まったく違う」と。
コンサルティングファームは、事業会社とは異なり、人そのものが商品でもあります。一方、野球の球団や芸能プロダクションなどとも異なり、フロントと選手、マネジメントとタレントが分離されているわけでもありません。
CDIは創業から30年、日本のプロフェッショナルが、雇われプロフェッショナルでなく、自らのためのプロフェッショナル・ファームを自ら創ることを、挑戦課題としてきました。
それは、CDIのスタッフが「コモディティ化」された商品やサービスを背負う駒になることなく、いつも主役であり続けること、厳密な意味で「人」そのものが商品であり続けるためです。CDIでは、それを「自由」と呼んで大事にしてきました。
一方、商品・サービスを開発し、定型化・マニュアル化し、その背負い手として人員を多数採用・教育し、事業拡大するのは、CDIが考えるコンサルティングファームのあり方ではありません。
CDIという“場所”は、一人ひとりのコンサルタントがその高い専門性を磨き、また相互の刺激と協働によってチームとして高い専門性を発揮するための、よい「糠床」でありたいと考えています。だから、採用ではなく参加である、と創業以来CDIはずっとこだわり続けてきました。
人数や売上ではなく、主役たるすべてのコンサルタントの活性と結果としての専門性の高さこそが、この“場所”にとっての最大のリターンなのです。
その空気を、志ある新たな参加者にもぜひ、吸ってもらいたいと願っています。