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クラウド×VRが拓く未来【後編】

テクノロジーによる「もうひとつの現実」は社会をどう変える

2016/4/11
今年3月に都内某所で実施された『ソードアート・オンライン ザ・ビギニング Sponsored by IBM』は、現在の最新テクノロジーを駆使してSAOの世界観を“現実化”し、VR体験してもらうというイベント。参加してもらったプロピッカー・牧野泰才氏と、日本IBMのクラウド・マイスターである安田智有氏を迎え、先端テクノロジーが提示する「少し先の未来」について聞いた。

「SAO」とコラボする意味

──今回のイベントは応募者数が10万人に迫り、海外からも注目を集めましたが、そもそもIBMがなぜ「ソードアート・オンライン(SAO)」とコラボし、VRMMO(仮想現実大規模多人数オンライン)ゲームの開発までしたんでしょうか。

安田:一番の目的は、IBMはテクノロジーで未来を拓く、変革する企業であるというメッセージを伝えることです。そこでVRMMOという、わかりやすい形で未来を想像できるエンターテインメント作品とのコラボレーションをさせていただきました。

「SAO」は、現時点における最先端のテクノロジーの発展形が劇中の重要な要素として登場する作品ですから、技術の進化が人々のビジネスや生活をどう変えるのか、未来のコンピューティング像を示す格好のパートナーと考えました。

「SAO」の原作小説は、シリーズ累計部数が全世界で約1670万部を超えるメガヒットコンテンツだ。

「SAO」の原作小説は、シリーズ累計部数が全世界で約1670万部を超えるメガヒットコンテンツだ。

SoftLayerだから実現したリアリティ

牧野:今回の「ザ・ビギニング」を体験して、VRとしての完成度の高さに驚きました。世界観のつくりこみもそうですが、特に映像や動作の遅れがなかったことに感心しましたね。現実で自分の手を動かしているのと、“向こう”で自分の手が動くのが完全に一致していた。歩きながら首を振って街中をぐるりと見渡したときも遅延が少なく、まるで違和感がなかった。

僕の専門は、人間の触覚を擬似的に再現する「ハプティクス」ですが、触覚って、五感のなかでも極めてリアルタイム性が高い感覚なんですよ。

たとえば、人間が手を伸ばして何かに触ろうとしたとき、対象が指に触れているか、いないか、視覚ではわかりづらくても、触覚的にわからないということは普通あり得ない。触覚を用いるVRにとって、この触れているかいないかのタイミングの違いはとてもシビアです。少しでもズレがあると、とたんに現実感がなくなってしまうので。

牧野泰才(まきの・やすとし) 東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了。学術振興会特別研究員、慶應義塾大学特任講師などを経て、2013年より東京大学大学院講師。タッチパネルに代表されるような、皮膚に備わっている触覚に働きかけて人間を支援する技術の研究「ハプティクス」が専門。

牧野泰才(まきの・やすとし)
東京大学大学院情報理工学系研究科博士課程修了。学術振興会特別研究員、慶應義塾大学特任講師などを経て、2013年より東京大学大学院講師。タッチパネルに代表されるような、皮膚に備わっている触覚に働きかけて人間を支援する技術の研究「ハプティクス」が専門。

──「ザ・ビギニング」のVRシステムは、IBMのクラウド「SoftLayer」上で動いています。これほど大掛かりなVRMMOでもクラウド上で動くんですね。

安田:SoftLayerは、クラウドでありながら高性能サーバーを丸ごと1台、独占的に使うことができる「ベアメタル(物理専有型)」という特徴があります。他のクラウドサービスよりも大規模な処理をするインフラに適しているんです。

これまでゲーム開発は、開発の過程でサーバーをチューニングする必要がありました。その精度によって映像や動作のスムーズさが変わるのですが、SoftLayerでは、これまで手元に置いて利用していた物理サーバーと同様のチューニングがクラウド上で実現できます。

「ザ・ビギニング」の開発者も、これまでのクラウドでは処理能力に妥協が必要だったのに対して、納得できるつくりこみができたと言っていました。今回は最小のサーバー構成で、4人グループでの同時プレーを体験していただきましたが、現状でも最大200人まで同時プレーが可能です。「SAO」の原作では10000人のプレーヤーが参加していますが、SoftLayerではサーバーを柔軟に拡張できるので、比較的容易に対応できます。

牧野:ハプティクスのデモを構築する場合、コンピュータ側にかなりの性能が必要になります。いまは海外でデモ展示をするような場合には、設備一式を持ち運ぶようなことをしていますが、今回のレベルなら自分の研究でもクラウドを利用できるかもしれません。

 安田智有(やすだ・ともあり) 日本IBM クラウド事業統括 クラウド・マイスター。IBMのクラウド 「SoftLayer」を活用したシステムの設計を主に手がけるエンジニアであり、日本IBMクラウド・マイスターのひとり。SoftLayerの技術書「柔らか層本」編者。

安田智有(やすだ・ともあり)
日本IBM クラウド事業統括 クラウド・マイスター。IBMのクラウド 「SoftLayer」を活用したシステムの設計を主に手がけるエンジニアであり、日本IBMクラウド・マイスターのひとり。SoftLayerの技術書「柔らか層本」編者。

SoftLayerだから実現した「ザ・ビギニング」

──そうやってコンピューティングに場所的・物理的な制約がなくなっていくと、VRなどの先端テクノロジーの進化にどんな影響を与えるでしょうか?

牧野:ひとつの事例でいうと、いまわれわれがやっている研究にHaptoclone (視触覚クローン)というものがあります。簡単にいうと「離れた場所にいる2人がお互いの立体映像を見て、触れ合うことができる技術」です。現時点では特殊な鏡を使った立体映像と、超音波を使って空中で触覚を再現する装置を組み合わせることで実現しています(※詳しくは下記動画を参照)
 

触覚に関しては、すでに超音波の装置さえあれば、データ通信で遠くに伝えることができます。同じように3次元映像をリアルタイムで遠くに伝える仕組みができれば、映像に応じて擬似的に触覚を伝えることも可能になる。いずれは現実と同様の触覚を、世界中のあらゆる場所に届けられるようになるかもしれません。

安田:東京で何かに触ったら、それがブラジルにいる人に伝わるような仕組みができたら、いろいろな用途が考えられますね。

牧野:その通りです。触覚はエモーショナルな部分があるので、離れたところにいる人同士でも、触ることでお互いに安心できたりする。単身赴任中のお父さんが、離れて暮らす子どもの頭をなでられるとか、遠距離恋愛の恋人同士がキスをするということもできたら面白いと思うんですよ。

安田:人間の感情に影響するテクノロジーは、これから間違いなく発展する領域ですね。IBMでも研究を進めていて、たとえばIBM Watson(自然言語をはじめとする膨大なデータを学習し意思決定や課題解決を支援する、コグニティブ・システムのプラットフォーム)には「Tone Analyzer」(トーン・アナライザー)という機能があります。人間の声や文章を分析して、その人が怒っているか、悲しいのか、うれしいのかといった感情を読み取る技術です。

牧野:その触覚版もつくれそうですね。人の動きには感情が出るので、イライラしていたり、焦っていたりするとキーボードのたたき方も変わったりすると思います。ちょっとした動作から感情を推測して、その人の気分に応じたサービスを提供するシステムも考えられそうです。

「ザ・ビギニング」のプレー画面のイメージ。手の表現が実にリアルに感じられる。

「ザ・ビギニング」のプレー画面のイメージ。手の表現が実にリアルに感じられる。

テクノロジーが生み出す「もうひとつの現実」

──VRが普通の人々の生活にまで入り込むと、今までとはまったく違った使われ方や、サービスが登場しそうですね。

安田:今はまだテクノロジーが制約になっていて、人間のイマジネーションの方が勝っている状態ですね。「SAO」は7年前に書かれた小説ですが、そのときに描かれた世界観の輪郭が、ようやく現在の先端テクノロジーで見えてきたところです。

同作の時代設定は2022年ですが、現実に2022年を迎えたときに、どのレベルまで実現できているのか。また、そのテクノロジーを私たちはどのように使っているのか、想像するのはまだ難しい。誰もがVRMMOやコグニティブ・コンピューティング(認知コンピューティング)を体験できるようになれば、今は思いつかない使い方や価値が創造されるはずです。
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牧野:僕はVRMMOによって人間の働き方が変わったら、社会を大きく変えるインパクトになると思っています。人間同士が直接、対面することの価値は皆がわかっていますが、現在でもビデオチャットで会話ができる環境は整っている。ただ、両者の情報量の差は、まだまだすごく大きいですよね。だからこうして直接お会いして、対談という形になるわけです。

でも、SAOレベルのVRが普及して、自分のアバターで仮想世界の会議に参加できるようになったら、人の暮らしは激変するはずです。都会に住む意味が薄まって、田舎に住む人が増えるかもしれない。僕は満員電車が嫌いなので、とてもありがたいです。それで家に引きこもる人も増えるかもしれませんが(笑)、物理的な縛りから自由になれる。

安田:SAOの世界観は、テクノロジーが生み出す「もうひとつの現実」のなかで恋人や家族ができたりして、現実よりもそちらの方が人生のウェートとして大きくなる未来も暗示してますよね。不安もありますが、それが人間の可能性を広げることでもあると思います。

(聞き手:呉 琢磨、構成:青山祐輔、撮影:下屋敷和文)