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プロピッカーが選ぶ今週の3冊

【落合陽一】既存のパラダイムありきの思考を超えるために

2016/3/30
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。水曜は「Pro Picker’s Choice」と題して、プロピッカーがピックアップした書籍を紹介する。今回は、筑波大学助教でデジタルネイチャー研究室主宰の落合陽一氏が、コンピュータ文化を生き抜くための必読本を紹介する。マスメディア型ではない世界に必要な思考法とは? ぜひ、以前掲載の落合氏による寄稿とあわせてお読みいただきたい。

21世紀がやってきて16年と3カ月。そろそろ21世紀の6分の1が過ぎ去りつつある。

われわれは今、旧世紀のマスメディア文化──統一イメージがシェアされる文化を超えて、個別の認識が閉じていく世界、いうなれば個々人のコンテクストの島宇宙への階段を上りつつある。

前著『魔法の世紀』でそんな時代性とコンピュータテクノロジーの生み出す文化性について考察した。それを踏まえて、前回の記事を書かせていただいたのだが、非常に多数の反応をいただき大変感謝している。

今回の記事では幸運にも書評を書かせていただくことになった。疾(はや)い時代をつかむために意味のある本を選ぶことは難しい。

2016年だけでも二足歩行ロボット「Atlas(アトラス)」は雪原を歩行し、イ・セドルは人工知能(AI)アルファ碁に敗れ、米国科学振興協会(AAAS)年次総会の基調講演は遺伝子コーディング技術「Crispr-Cas9」のダウドナ博士が務め、市販品のVR(仮想現実)キットは市場に出荷され、新たな現実のプラットフォームをつくろうとしている。ありうる世界がいくつも描ける時代だ。

そこで、日々パラダイムが更新され続けるコンピュータ文化の中で生きねばならないわれわれのための副読本を考えた。現在の世界の変化を、文化的な側面やパラダイム思考を超えて捉えるための図書について、最近発刊された3冊の本を挙げようと思う。

限界費用ゼロ社会』『スペキュラティヴ・デザイン』『シンギュラリティ』の3冊だ。僕自身大学で教べんを執り、研究室を運営する立場なので、学生さんにも最近オススメをしている本である。
 【Ochiai】.001

協働型コモンズ(一部ではシェアリングエコノミーと呼ばれているもの)によって、人がホモ・エンパチクス(共感人)になっていくというビジョンを語った一冊。

IoT(Internet of Things)とエネルギー革命のもたらす限界費用ゼロ社会の到来により、資本主義体制から協働型コモンズへと世界が移行していくさまを描いている。

古典的経済学の観点からスタートし、人工知能、エネルギー、メイカームーブメント、生態学などのいくつもの見地を俯瞰しながら語った力作である。

特に古典に対する造詣が深くない学生さんや若い読者にとっては、ジョン・ロックやマックス・ウェーバーなどの古典を現代に対して位置付けるためのよい副読本となるだろう。

文章の途中に出てくるトマス・モアの『ユートピア』からの引用を見ながら、ふと思う。

「いつもあれほど従順でおとなしく、あれほど小食だったあなたの羊たちが、今では聞くところによると、大変な大食いの乱暴者になり、人をも喰らい、丸呑みにするという。やつらは野も家も町も、そっくり平らげ、破壊し、食い尽くす」

マルクスが取り上げたことでも有名なフレーズだが、皆今、この羊のことを人工知能に置き換えて考えているのではないだろうか。

著書の中に出てくるホモ・エンパチクスのビジョンは、最終的に皆が自由に共感しながら人間らしく生きていくためにテクノロジーを用いるという、カリフォルニアイデオロギーの最終到達点にも見える。グーグルのプロジェクト動画と見比べながら本書を読むと非常に興味深い。

冒頭の資本主義論で挫折しそうな人は5章から読むと具体的なデータなどがあり読みやすいはずだ(学生さんはトレーニングだと思って引用文献を参照しながら冒頭から読んだほうがいいと思う)。
 【Ochiai】.002

イギリスのRCA(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)で教べんを執っていたアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーによる快著だ。英語版はだいぶ前から授業などで推薦していたが、このたび日本語版が刊行された。

問題解決ではなく討論のためのデザインをする、市場ではなく社会のためにデザインを思考する。そういったスペキュラティヴ(思索的)デザインという手法が実施例を伴って解説されている。

本文中に出てくる4つのPの図が印象的だ。

「Present(今)からPossible(起こりうる)Plausible(起こってもおかしくない)Probable(起こりそう)な未来をイメージしデザインし評することで、Preferable(望ましい)未来を考える一助にする」というアプローチは非常にインスピレーションを与えてくれる。最適化デザインとは違った考え方だ。

自らデザイン・フィクションと呼ばれる手法を実践してきたグループだけあり、バイオアートやメディアアートの具体的な実施例を含めて非常に幅広い視座を与えてくれる。

この本を読んだ後だと、近年の一見不毛に思えるSNS上の人工知能議論や人工知能本は、コンピュータと人の未来についての「スペキュラティヴ」を非デザイナーが行った結果なのではないかとも思えてくる。本文の書き出しも印象的で詩的な一節だ。ぜひご一読いただきたい。

「今日(こんにち)の夢とは何なのか? この質問に答えるのは難しい。今や夢は希望に成り下がった」

われわれは今、スペキュラティヴのための意味ある虚構世界を取り戻さなくてはならない時期に入ったのかもしれない。この世界が持ちうる夢とはなんだろうか。

 【Ochiai】.003

人工知能論ど真ん中ストレートの本である。ここに載っている思考実験、たとえばスワンプマン問題(自分が消失して、自分のコピーができたときそれは自分なのか?)や汎用人工知能に関する論述などは今の社会にいる人々ならすべて一度は目を通しておいてもよいだろう。

平易な言葉で書かれているのですぐに読める本だ。実存の危機や失業問題、ニーチェの超人思想などを拾いながら、一般的な会合で人工知能を扱ったときに、パネルディスカッションで扱われるような議題を一通り含んでいる。

この本は人工知能社会の先の具体的ビジョンを示すもの、というよりは、問題提起とそれにまつわる思考実験の結果をまとめており、それを追従するための読者への知識の提供を行っている本である。

しかしながら起こりうる多彩なシナリオをなぞることができるのでオススメだ。フェルミのパラドックス(地球外生命がなぜわれわれの文明と接触してこないのか? という矛盾)で最後が締められているところも示唆的で面白い。

本文中に出てくる下記の問い、

「保守的な人間中心主義とポストヒューマン原理主義とのあいだに妥協点はあるのだろうか」

これは、常日頃から繰り返される人工知能を一言でまとめているように思える。人間中心主義でいくのか、人間自体が進化し、その移行を促していくのか。

限界費用ゼロ社会』ではこの問いへの回答を、人間中心主義を保ったまま、経済体制を協働型コモンズに移行することで、次の社会体制に移れるように、と回答しているように思える。

スペキュラティヴ・デザイン』では、多彩なシナリオが描かれているものの、そこから何か一つのテーマをPreferableとは結論付けない考え方を持つことの重要性を述べている。

そして、『シンギュラリティ』では最終的に中庸でありつつ未来を見据えたいという立場を描いている。

かくいう私自身は、人間中心主義からの自然な脱却。トランスヒューマン、ポストヒューマン、人間中心主義、協働型コモンズと資本主義体制が、データ人類と物質人類の入り混じるかたちで存在し、わかりあうことなく争わず島宇宙のように存在する未来。インフラがインターネットで担保され、コンピュータに構成要素が調停されるデジタルネイチャーという超自然を考えている立場だ。

それも一つのスペキュラティヴにすぎないのだが、そういったビジョンを一人ひとりが別々に持ちあわせ、未来を盛んに議論しうる時代になったことはうれしい限りだ。

皆が皆、違ったパラダイムで思考しうる。そういった中、多様性を認めて、一人ひとりがオピニオンリーダーになり、自分の価値観によって自分のコミュニティを肯定し生きていく時代なのだろう。

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