【竹内健】変わり続けることが、激動の時代を生き抜く術

2016/3/27
異才の思考」第6弾に登場するのは、東芝でフラッシュメモリの開発に携わり、同社の主力事業として成長する技術を生み出した竹内健氏だ。同社退職後は、スタンフォード大でMBAを取得し、大学の研究者に転身。現在も半導体分野で世界と渡り合う研究を続けている。
近著『10年後、生き残る理系の条件』や自身のSNSでは、東芝をはじめとする日本企業や、技術者が抱えている課題について分析している竹内氏に、業界とエンジニアを取り巻く変化、そして不確実性の高い時代を生き抜くために必要なことを聞いた。
マーケティング的視点が不可欠に
──初めに、『10年後、生き残る理系の条件』を出版した経緯から伺えればと思います。
竹内 数年前から企画として進めていたのですが、なかなか執筆は進んでいませんでした。その中で、私がかつてエンジニアとして働いていた東芝の「不適切会計問題」が起きたことが、再び書き始める大きな理由となりました。
この不祥事を外から眺めることで、エンジニアがどのように生き残っていくのか、また企業がどうあるべきかについて、まとめようという思いが強くなったんです。
──本書で、エンジニアは技術だけでなく、マーケティング的な視点が不可欠であるとしています。
初めに考えなければいけないのは、産業を取り巻く技術の進化と競争が非常に激しくなっていることです。
私が東芝に入社した1993年に主力産業だったのはDRAM(半導体のメモリの一種)で、世界トップのシェアを持っていました。フラッシュメモリ事業はまだ始まったばかりの時期です。
ただ、そんなDRAM事業も、海外との競争に敗れると一気に衰退して、10年も経たずに撤退することになりました。これは、私自身も想像がつかないことでした。
現在も、半導体メーカーの間では熾烈な競争が繰り広げられていて、業界のランキングは数年で変化しています。それは、スマホゲームでmixi、GREE、DeNA、ガンホーなどの順位が入れ替わるのと同じような状況です。
その中で、商品とそれをつくる技術やエンジニアがコモディティ化する速度は年々速くなっています。
たとえば、パソコンやスマホは、OSやCPUなどのコアに関しては、インテルやクアルコム、マイクロソフトなどの企業によって寡占化される一方で、こうした部品を組み立てる産業に関しては「組み立てるだけ」にすぎなくなってきています。
そして、製品開発をはじめとするビジネス環境も急速に変化しています。
20年前であれば、基礎研究をしてから実際に製品化されるまでの時間も長かった。基礎的な研究をした後に試作品を何度かつくり、それをもとに量産するというかたちで、技術者とビジネスをする側で役割が明確に分かれていました。そのとき、技術者は、技術のことだけを考えていてもさほど問題にはなりませんでした。
ところが、開発スピードが上がると、垂直立ち上げともいわれるように、研究と製品の間のステップが中抜きされるようになりました。
その結果、研究段階から関わっているエンジニアの技術判断が製品の方向性を大きく左右するようになったんです。
すると、好む好まざるにかかわらず、実質的に顧客に対するマーケティング的な視点が不可欠になります。その技術が製品として市場に出回る間、影響を与え続けることになるからです。
技術者は技術だけを考えていればいい時代は終わった。それが本質的な違いだと思います。
夢を語って人々を巻き込む
──東芝でフラッシュメモリの開発を進め、事業化に結び付けた際も、すでにそうした視点を持って取り組んでいたのでしょうか。
そうですね。新しい技術ができることと、それが量産されて普及することは全然違う話です。世の中で使われるまでを考えるのが本質です。
フラッシュメモリが実用化の段階にきた当時は、ハードディスクやフロッピーディスクよりもずっと高価でした。たとえ、いくら「量産化されたら、もっと安くなります」と言っても、最初はどうしても高価なまま。
そこで、私の所属していたチームの先輩方は潜在的にニーズがありそうな企業に、どんな応用製品があるか問い続けました。
優れた技術を開発すれば誰かが使ってくれるだろうけど、受け身のまま待っていては市場は開けません。そのためにも、「フラッシュメモリが普及したらこんなことができます!」と訴えていたのです。「高いけれど使ってくれるお客さん」を探さなければいけませんから。
最初は、本当に夢のようなことを話していたのですが、そうやって多くの人を巻き込んでいくことで、いつしかお互いに引けない状況をつくっていくわけです。フラッシュメモリの技術がすごいと発信しないと、使い道を考える人も生まれません。それは、どんな技術であっても同じことです。
フラッシュメモリが生まれたからこそデジタルカメラやiPodが普及しましたし、これらの応用製品を生み出す人たちがいたからこそ、フラッシュメモリ需要は急拡大し、大きな成功につながりました。
竹内 健(たけうち・けん)
中央大学理工学部電気電子情報通信工学科教授
半導体メモリ、SSD、コンピュータシステムの研究・開発で世界的に知られる。1967年東京都生まれ。1993年、東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了。同年、東芝に入社し、フラッシュメモリの研究・開発に携わる。2003年、スタンフォード大学ビジネススクール経営学修士課程修了(MBA)。2006年、東京大学大学院工学系研究科電子工学専攻博士取得(工学博士)。東芝を退職後、東京大学大学院工学系研究科准教授を経て、2012年から現職。
──エンジニアのマーケティングに対する意識はまだまだ弱いのでしょうか。
以前と比べると変わってきたでしょうが、やはり技術のことだけを考えていればいいという考え方を持つ人もまだ多いと思います。
特に大手企業のエンジニアは、専門分野だけに閉じこもっていることで、世の中の動きが見えなくなってしまいがちです。すると、自分自身が変化することが面倒になってしまい「自分の仕事じゃない」という感覚になるのだと思います。
これは終身雇用が守られていた場合であれば生き残れましたが、現実は難しい。私と同世代、40代の方々を見ても、リストラにあっている人は珍しくありません。優れた技術を持っていても、3人に1人は転職せざるを得ない状況になっていると感じます。
ただ、大手企業の中高年のエンジニアからすると、そのままでも「逃げ切れた先輩」を見ているので、自分も大丈夫だと思ってしまっているところがあります。
そう思いたい、というのが本当のところかもしれませんが、それはごく一部の運がいい人たちにすぎません。その意味で、今一番危険なのはまだ磐石と思われている産業、たとえば自動車産業のエンジニアかもしれません。
自分たちが新卒で入社して退職するまで会社にいられることを疑わない、そんなことを信じているような組織もあるわけです。幸運な時代が長く続いた、ということでしょうか。
10年後も生き残るための条件
──その中で、マーケティングの視点を持つこととあわせて「生き残る条件」はどのようなものになるでしょうか。
一つには、「文系力」を身に付けることでしょう。
私自身、エンジニアとしてスタンフォード大でMBAを取得しましたが、日本では技術のことを知っていて経営を理解できる人材がまだ不足しています。
私が留学を決意したのもその点にありました。日本では珍しがられることもありますが、海外ではいわゆる理系の学部を卒業した人間がMBAを取ることは当たり前のことです。
文系と理系を分けることは時代遅れですし、必ずしもMBAを取得する必要はありませんが、経営・経済を学ぶに越したことはありません。
そもそも、文系の方でファイナンスなど数学が必要とされるところには弱い人も多い。文系と思われがちな分野でも、理系の学部を卒業した人が活躍できる分野は多いのです。
そして、先ほどお話ししたように、今後は技術者自身が技術を対外的にアピールして、さまざまな人や企業と協力して市場を切り開くことが求められます。これは、技術者が苦手としていたところかもしれません。
実は、私がSNSで積極的に情報を発信しているのにはそうした意図もあります。まずは、私の研究を世の中に知ってもらう。
それによって、有能な人材のリクルーティングにもつながる。さらには官僚や企業の方に対するアピールにもなっています。彼らは、わかりやすい言葉で語る専門家を探しています。
──私は竹内先生をツイッターで初めて知ったのですが、研究の意義を世の中に伝える意味合いがあったんですね。
やっぱり研究は、世の中に価値を認められて、そのうえでどんな利益をもたらせるのか示さなければいけません。端的に言えば、どれだけ日本の産業が儲かるか、あるいはCO2削減などの課題に貢献できるか。
私はエンジニア・工学者として「こんな開発をしたい」という理想を持ちながらも、まずはそれが世の中に貢献できるかどうかを第一に考えます。理想を言っているだけで資金が得られるほど、社会に余裕はありません。それは日本だけでなく、海外の大学でも同様です。
──本書で書かれている「T字型人間」も印象的でした。
そうですね。こちらも文系力と同様に重要だと考えています。
T字型人間とは、T字の縦の線として深い専門性を持ちながら、横の線として幅広い知識を持つ人材のモデルです。
今の時代は1つの技術や知識にこだわるのではなく、さまざまな分野を横断する必要があります。
そのためにも、まずは基礎的な理論や数学などの普遍的スキル学んだうえで、自分の専門分野を掘り下げていく。この縦の線が強くなれば、ほかの専門分野を身に付けることは比較的容易になります。
そのうえで、横の線として異分野の知識をどんどん身に付けて伸ばしていけばいいと思います。「深く穴を掘ってから、横に広げる」イメージです。
日本では、バイオ系のポスドクの就職状況が悲惨だという話がありますが、小さなマーケットの中で、ポストを目指しても仕事がないのは当然です。でも、そこで学んだ専門性をほかに生かせばいいわけです。
実際、今注目を集めているフィンテックやIoT(Internet of Things)において、日本ではまだ少ないのですが、海外ではもともとの専門性を生かして別の分野に転身した方の活躍が目立ちます。アマゾンを創業したジェフ・ベゾスも、大学の専攻はコンピュータ・サイエンス、電気工学でした。
いかに自らが変わり続けられるか
──こうした職業観は、竹内さん自身が歩んできたキャリアともつながっているのでしょうか。
そうですね。そもそも、私が学生時代に所属していた研究室には、極めて優秀な先生や先輩がたくさんいました。
そこで劣等感を覚えて「狭い専門分野の中で競っては勝てない」「ほかの力を身に付けなければいけない」と考えるようになったことが、結果として今につながっているのだと思います。
私は就活のときに、フラッシュメモリの可能性を熱弁した研究所の所長に魅了されて東芝に入社を決めたのですが、入社後の社内では将来性がない分野と見なされていました。まったく話が違ったわけです。
もし、そのときにフラッシュメモリの現状を正確に理解していたら、東芝には行かなかったでしょう。でも、入社してしまったのだから後には引けない。
入社後はずっと雑用的な仕事の繰り返しでした。さらに、私を誘ってくれた研究所の所長は大学の教授に転身。初めから「いつまでも俺がいると思わないほうがいいし、会社にも頼るな」とは言っていたのですが。
入社3年後には研究所も解散となり、私もチームの先輩も違う部署に行き、バラバラになってしまいました。一瞬で、会社も上司も誰も認めてくれない状況に陥ってしまったわけです。
でも、そこで腐るのではなく、先輩たちとともに、業務の合間を縫って研究を続け、上司に隠れながら開発を進めました。同時に、海外に技術論文を発表したほか、特許の取得も進めました。会社に認められないなら社外、世界に目を向ければ活路が見出せると思ったのです。
そうやって、今のフラッシュメモリに使われている「多殖技術」(1つのメモリに複数のビットを記憶することでデータ容量を増加させる技術)を完成させました。
──そこで大きな成功を収め、技術の実用化も進んだ「絶頂期」に東芝を離れたのはなぜですか。
結果論ではありますが、一言で言えば「このままだとヤバいな」という直感です。
留学から帰ってからは東芝を変えたいという思いを強く持っていましたが、開発に携わった若手がそれに見合った評価をされることがありませんでした。先輩や同僚は次々とライバル企業に転職していき、残された私は孤独感を感じました。
今の電機メーカーの苦境の理由はいろいろあるでしょうが、年功序列の人事システムが、変化が激しい研究開発をするのには合っていません。これが、イノベーションを生まれにくくしている一つの理由ではないでしょうか。
そこで、たとえ研究資金はなくても新しいことに挑戦したほうがいいと思って大学で研究者としてのキャリアをスタートしたんです。
──東芝のエンジニア、MBA取得、研究者と、変わり続けている姿が印象的です。
後付けですが、「自分の力を生かしたい」と取り組んでいた結果が、「変わり続けること」だったのだと思います。
それが良かったのか今でもわかりませんが、そうせざるを得なかった。変わり続けるとは、勉強し続けること。今、エンジニアを取り巻く環境は大きく変化しています。1つの技術や知識で生き残れないことは、別の見方をすれば違う分野でも活躍できる大きなチャンスともいえます。
そもそも、素晴らしい技術がどうやって生まれたかを振り返ってみると、ゼロから生まれたということはほとんどありません。多くのアイデアは、誰かがトライしたけれど早すぎたり、技術同士のうまい組み合わせを見つけられなかったりしたものが多いのです。
技術と技術をいかに結び付けられるかを考えることが重要です。それは天才でなくてもできる。さらに、その技術を人や企業、社会とつなぐ“コーディネーター”的な役割を担う人材も重要になっていくと思います。
こうした流れはやがて文系的な仕事にも波及するでしょう。激しい時代の変化の中では、いかに自らが変わり続け、異なる分野や業種と協業して新たな成果を生むかは、どの分野でも共通して大切なのではないでしょうか。