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あしなが育英会会長・玉井義臣氏(後編)

【玉井義臣】60歳から再出発。英語なしでもグローバルになれる

2016/3/25
今、日本と世界は大きな転換期にある。そんな時代において、世界レベルで飛躍する、新時代の日本人が生まれ始めている。本連載ではビジネス、アート、クリエイティブなど、あらゆる分野で新時代のロールモデルとなり得る「グローバルで響いてる人の頭の中」をフィーチャー。経営ストラテジストの坂之上洋子氏との対談を通じて、各人物の魅力に迫る。3人目の登場者、あしなが育英会会長の玉井義臣氏と対談(全3回)。
前編:9万5000人の遺児を進学・卒業させた男の人生
中編:街頭募金活動が生まれたきっかけ。そして暗転

「玉井を潰せ」

坂之上:そもそもどうして週刊誌に叩かれることになったんだと思われます? 玉井さんが人気になりすぎた?

玉井:いや、実は私たちの運動が軌道に乗って、保険会社が交通事故の給付金を増額するようになったのです。3000万円ぐらい出るようになりました。

坂之上:50万が3000万円。

玉井:さらに車両の安全性や救急医療の質も向上して、飲酒運転など交通事故の原因となるような行為が厳しく取り締まられるようになり、交通事故の件数そのものも激減しました。

坂之上:問題が解決に向かったんですね。

玉井:そう。そこでね。交通事故の遺児だけでなく、災害やがんなどの病気で親を失った子も、交通遺児育英会で面倒を見ようと私が提案したんです。

坂之上:はい。

玉井:でもそういう子どもたちにまで範囲を広げたら、当然おカネは足りなくなるでしょう? そんなことして欲しくないと思う人も多くいたんですよ。

坂之上:なぜ?

玉井:寄付が多く集まっている。交通遺児の保険はおりるようになって、そんなに困らなくなってきている。そのうえ交通事故は減少してきている。おカネがあって、23年前は、よい天下り先になりつつあったわけです。

坂之上:あぁ。それなのに災害やがんなどの病気で親を失った子も救うと言いだした玉井さんが邪魔になったという?

玉井:そう。でも、交通遺児は減ってきたんだから、ほかの困っている子どもに回す、は、正論でしょう?

実は中曽根、竹下元総理はわたしの案に賛成だったんです。でも、ある大物政治家が「玉井を潰せ」と言いだしたんです。それで一晩で私は悪者に。

坂之上:ドラマみたい。

玉井:それから大喧嘩だよ。

坂之上:平気だったのですか?

玉井:カッコよく平気だったよと言いたいけど、新聞社系の週刊誌で叩かれると、一般の人々はそれを本当だと思ってしまうでしょう? それはやはりつらかったですね。

坂之上:それがきっかけで、交通遺児育英会を辞任。周りでもそのうわさを信じて離れていく人がいたわけですね。

玉井:はい。その頃、妻もがんで亡くなりました。

坂之上:同じ時期に? 玉井さんおいくつくらいのときですか

玉井:58歳です。

坂之上:それはおつらかったでしょうね。だけど、玉井さんそのマイナス悪評の中、58歳で、今のあしなが育英会をゼロから立ち上げたってことですか?

玉井:そういうことになりますね。

坂之上:私はてっきり玉井さんはずっと若いときからあしなが育英会をされていたんだとばかり思っていました。

玉井:人生いろいろあるよね。

玉井義臣(たまい・よしおみ) 1935年生まれ、大阪府出身。滋賀大学卒業後、証券会社勤務などを経て、経済評論家として活躍。64年、母親の交通事故死を機に交通評論家に。交通事故に伴う諸問題の解決に尽力した後、69年に設立した 「交通遺児育英会」 で専務理事に就任(94年退任)。93年に災害遺児と病気遺児を支援する 「あしなが育英会」 を立ち上げ、98年から会長を務めている。

玉井義臣(たまい・よしおみ)
1935年生まれ、大阪府出身。滋賀大学卒業後、証券会社勤務などを経て、経済評論家として活躍。1964年、母親の交通事故死を機に交通評論家に。交通事故に伴う諸問題の解決に尽力した後、1969年に設立した「交通遺児育英会」で専務理事に就任(94年退任)。1993年に災害遺児と病気遺児を支援する「あしなが育英会」を立ち上げ、98年から会長を務めている

ゼロからの再スタート

坂之上:58歳でゼロからの再スタートですか……。がんで奥さんも亡くされて、お子さんもいらっしゃらないから、一人になり。

玉井:そう。叩かれてそれを信じる人も多い中での再スタート。

坂之上:応援してくれる人はまったくいなかったんですか?

玉井:いや、いましたよ。堀田力という元検察官。ロッキード事件で田中角栄さんを追い詰めた鬼検事。彼は力になってくれました。

坂之上:なんだか歴史を聞いているみたい。

玉井:彼は「巨悪は眠らせない」という言葉で有名になった伊藤栄樹という検事総長と2人で、交通事故加害者の厳罰化の法律を通すために、私と共同戦線を提案したの。それで、協力して交通事故加害者の懲役刑を入れさせることに成功した。

坂之上:一緒に戦われた。

玉井:そう、私がこういう目にあったときも、信じてくれて「玉井を守らなきゃならん」と言って、その後、私に向けられたいろんな妨害を一緒に戦ってくれました。戦友です。

坂之上:そういうときに裏切らない人って一生の友になりますよね。

玉井:それと、交通遺児育英会出身の子どもたちが大学生や社会人になっていまして、彼らも一生懸命、動いてくれました。

坂之上:仲間はついてきてくれた。

玉井:はい。寄付額のグラフを見たらわかりますよ。支援者はこちらを信じてついてきてくれた。

坂之上:でも、寄付があしなが育英会に動くなんて、逆にそれじゃ潰そうという勢力はなくならなかったんじゃないですか?

玉井:そうなんです。なかなか攻撃は終わらなかったですね。でも、あるときを境に攻撃がピタッと終わったんです。

坂之上:何があったんですか?

玉井:あしなが育英会は阪神大震災の後すぐに親を亡くした子どものケアサポート施設をつくったんです。レインボーハウスというのですが。それに天皇皇后両陛下が視察にいらしてくださったんですよ。向こうから打診があって。

坂之上:すごい。

玉井:それが夕方のニュースで放映された。それと同時に、私への攻撃がピタッとなくなりました。

坂之上:ピタッ、ですか。なんといえばいいか……。

玉井:そう、なんというか、やっと終わったなぁ、と思いました。

坂之上:もう一度時間を戻せるなら、あのとき、喧嘩しなかったほうが良かったと思われます?

玉井:病気や震災で親を亡くした子も交通遺児の子と同じように助けたかったのは変わらないので、どんなに自分が不利でも、やっぱり喧嘩してしまうんじゃないかな。年を重ねたので、もう少し喧嘩はうまくなっているかもしれないですがね(笑)。

坂之上:あしなが育英会が3・11で親を亡くした子どもたちに、「使途自由、返済不要」のおカネを渡すことを決定したのは、震災2日後なんですよね? それから、ボランティアでローラー部隊つくって、遺児の子どもたちを探し出して。

玉井:こういうスピードと機動力はあしなが育英会にしかできないと思っています。結局多くの賛同を得て、1人282万円を2082人に対し渡し、親を亡くした子どものケアを行う施設も、仙台、石巻、陸前高田の3カ所につくりました。

坂之上洋子(さかのうえ・ようこ) ブランド経営ストラテジスト。米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナー、EコマースベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長を経て、ウェブブランディング会社Bluebeagleを設立。その後同社を売却し、中国北京でブランド戦略コンサルティングをしたのち帰国。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー、東京大学非常勤講師、NPOのブランディングなどを行った。『ニューズウィーク』誌の「世界が認めた日本人女性100人」に選出

坂之上 洋子(さかのうえ・ようこ)
ブランド経営ストラテジスト。米国ハーリントン大学卒業後、建築コンセプトデザイナー、EコマースベンチャーのUS-Style.comマーケティング担当副社長を経て、ウェブブランディング会社Bluebeagleを設立。その後同社を売却し、中国北京でブランド戦略コンサルティングをしたのち帰国。日本グローバルヘルス協会最高戦略責任者、観光庁ビジットジャパン・クリエイティブアドバイザー、東京大学非常勤講師、NPOのブランディングなどを行った。『ニューズウィーク』誌の「世界が認めた日本人女性100人」に選出

遺児たちの視野を広げてあげたい

坂之上:そのほかに大切にされてることは?

玉井:同じ境遇の子どもが泊まりがけで話をする場を定期的に提供しています。

坂之上:キャンプ?

玉井:そう。そこに、ずっと、世界のトップ100の大学から1年に100人ずつインターンを呼んでいます。彼らは遺児たちが英語を勉強するのを手伝ったりしています。

坂之上:玉井さん英語話せるの?

玉井:いや全然。はろ〜ぐらいだよ。

坂之上:え。

玉井:私は、日本語で通してる(笑)。

坂之上:はろ〜だけでも、これだけグローバルになれるんだって象徴ですね。

玉井:遺児たちの視野を広げてあげたいのですよ。9・11で親を亡くしたアメリカ人の子どもたちとアフガニスタンの戦闘で親を亡くした子どもたちを同時に招いたこともあります。

坂之上:うわ。そんなことは、なかなか世界中探してもできるところないですよ。

玉井:同じ死別を体験した子どもたちが、国境を超えて悲しみを共有することで、前向きになっていくんです。

坂之上:その迫力半端ないですね。

玉井:そうやって海外の遺児の子と交流を深めるうちに、日本の遺児たちが、自分たちよりももっと絶望的な貧困状況下にあるアフリカの子どもたちを助けようという気持ちになったんです。

坂之上:なぜアフリカ?

玉井:世銀によると、アフリカが一番貧しいでしょう? 親を亡くしたアフリカの子がアメリカや日本など世界の一流大学に行けるようにしたら、その子たちの中でリーダーが育ち100年ぐらい経てばアフリカの貧困を解決するようになるだろうって。

坂之上:壮大。

玉井:それを日本の団体が本気でやろうとしてるの、なんだか元気になるでしょう?

坂之上:なりますね。

玉井:若いときに親を亡くすという不幸があったとしても、誰かに支えられた経験があれば、将来ぐんと伸びます。やっぱりバイタリティが違う。

坂之上:はい。

玉井:私は81歳ですからこれが最後の仕事です。でもこれを先導している主役は若い人たちですよ。オックスフォード大学の学長もこの100年構想の支援者になってくれたんですが、連絡をして構想を学長に伝え協力依頼したのは20歳の学生ですからね。

坂之上:玉井さんは若い人に仕事を任せるの?

玉井:もちろんです。ニューヨークでトニー賞を何度も取っているジョン・ケアードという演出家がいるのですが。

坂之上:トニー賞の演出家?

玉井:3・11の震災で親を亡くした子とウガンダのエイズ遺児とアメリカの大学生のミュージカル「世界がわが家」もつくりました。それも若いインターンや職員、ボランティア、みんなの力を合わせないとできないことですよ。

坂之上:トニー賞の演出家使ってミユージカルとか半端ないですね。

玉井:親を亡くすなんて苦しみを知った子の力は方向性さえ見つければすごい力を出します。私と同じ。

坂之上:その力を促すために、一流の人たちを口説いて巻き込んでいく?

玉井:そうです。一流の人のしていることを実際に見せたり、そばで体験させてあげたいのです。亡くなった親の代わりにね。

坂之上:深いですね。あしなが育英会の活躍がどこまで広がるのか、目が離せないですね。
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(撮影:遠藤素子)