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会社の利益と自分の理想のはざま

野村證券勤務者。私は営業に向いていないのか

2016/03/16
NewsPicksには、さまざまな分野で活躍する有力ピッカーがいます。そんなスターピッカーに「ビジネスや人生の相談をしたい」という要望に応えて、相談コーナーを設けています。人生の悩みにお金の心配や不安はつきもの。長年ファンドマネージャーとして活躍したエコノミストの山崎元氏が、皆さんから寄せられた相談に、ユーモアを交えながらも深刻にお答えします。

【山崎先生への質問】

野村證券勤務の者です。どうにも自分の中で折り合いがつかないことがあるので、ご質問させていただきます。結論から申し上げると、私は証券営業に人間的に向いていないのではないか、山崎様にご意見を伺いたく存じます。

富裕層中間層問わず、運用や投資は必要かつ意味のあることだと信じております。保守的と言われる日本においても運用文化が根づいて欲しいと思い、微力ながらもそれに貢献しようと野村證券に入社いたしました。

ただ、運用も投資もしなかったからといって、特に弊害があるわけではないことも同時にわかっております。リスクを取りに行けば元本割れの可能性も当然あります(日本人が最も嫌うことの1つだと考えておりますが)。

証券会社側からすれば、一番重要なのはやはり「コミッション」であり、お客様が運用を行う目的は二の次であるのが実態かと感じております。無意味な回転や投信短売は控えるような動きになりつつありますが、人格としての数字を守るためか、依然として残っております。

成績など気にせず自分の考えに沿った営業だけすればいいと思う方は少なくないかと思いますが、それで数字が伴わなければ、山崎様もご存知の通り「詰め」が待っているだけです。会社の利益と自分の理想のあいだに挟まれております。周りの社員には気にもとめずひたすら提案しまくるマシーンもおりますが、私はそうはなりたくありません。

マーケットや経済に触れられる環境そのものは楽しいと思うのですが、私は営業向きではないのでしょうか。なんともネガティブで、他人に判断を任せるような情けない質問ではありますが、金融の世界を長く渡り歩いてこられた山崎様のご意見をお聞かせください。

(野村證券、男性、20代)

君は大変立派です

本欄では基本的に、質問を下さった相手を「相談者」、それに答える自分自身を「回答者」と呼ぶ距離感で回答文を書いてきました。

しかし、相談者は野村證券にお勤めであり、一方、回答者はかつて野村本体ではないものの(今でも明白に「證券」こそが、本体です)、野村グループに籍を置いたことがあり(投信でファンドマネジャーをやっていました)、今回は相談者を「君」、自分を「私」と書く、少々馴れ馴れしい文章で回答したいと思います。ビールでも飲みながら、「自称先輩」の話を聞いているような気分で回答を読んで頂けたらと思います。

遠い後輩で年下であるとしても、相談者に対して失礼であるかも知れませんが、ご寛恕下さい。

さて、君は大変立派です。

まずは数字を、端的にいって顧客から収益を上げることのみを強く求められている現職場にあって、収益追求の行動を会社のせいにして自分を正当化するのではなく、「お客様が運用を行う目的は二の次」であることに心を痛めておられる。正義感除去処理済みの手数料稼ぎロボットには、なりきっていない。

短期的には、鈍さを武器に疑問を封印してひたすらコミッションを稼ぐことが社内で高い人事評価とボーナスを得るための道でしょう。しかし、君が考えていることは将来決して無駄にはならないはずだし、大袈裟かもしれないけれども、将来君が野村を救うかもしれない。

まず1つ考えてみて欲しい。

仮に、君が今の仕事を放棄して辞めたとすると何が起こるだろうか。おそらくは、数字以外の人格がない手数料稼ぎロボットがやって来て(会社的には高性能のロボットなのでしょうが)、君が担当しているお客様の預かり資産をボロボロにするのではないでしょうか。

今は、君が「お客様」と呼んで大切にしたいと思っている人達を、君の力の及ぶ範囲で大切にするべきです。まずは、他のセールスマンよりは自分の方が顧客にとってマシなセールスマンであることを前提条件として、つねに自問しつつ、今の場所に踏ん張ってみるのが正しいと思います。

手数料による「利潤」の二面性

さて、君の先輩は少々理屈っぽいので、原則を確認する議論に少々付き合って下さい。野村の人は案外青臭い議論が嫌いでないので、君もきっと話を聞いてくれる人ではないかと期待します。

まず、君が気にするコミッション、私がしばしば問題にする手数料は、商品の売り手にとって「利潤」(より細かくは「粗利」)ですが、この利潤には二面性があります。

一つには、運用を目的とする商品にとって、売り手側(運用会社と販売会社)が取る利潤は、顧客側の運用パフォーマンスにとって「確実なマイナス利回り」そのものであって、大きければ大きいほど、本来の目的である運用利回りを損ないます。この点に関して、運用商品の売り手と投資家とのあいだでは、利害が正反対に対立していることを、ごまかさずに認識しておいて下さい。

かつて、毎月分配型投信が流行った時に、これが商品として投資家にとって合理的でないと批判された投信会社の社長が「投資家が喜んで買ってくれているのだから、この商品は正しいニーズに応えているのだ」と言い張った(開き直った?)ことがありますが、こうした自己正当化の段階に停滞する人間は、ある種の環境適応力を持っているのかもしれませんが、金融マンとしてクズです。この業界に、いなくてもいい。

他方で、仮にまったく手数料のない世界を想像してみて下さい。

例えば、投資信託には販売手数料がなく、運用管理手数料(信託報酬)もないとしましょう。そのような世界では、投資信託を供給する主体が存在しないに違いありません。すると、個人投資家は小口で分散投資が可能な運用手段を失ってしまうことになります。

つまり、運用商品にあって「手数料」は、それが存在しなければ商品が開発もされないし、販売もされないが、一方でそれが大きいほど、顧客の運用目的を直接損なう要因になる、という厄介な二面性を持っているのです。

どのような商品・サービスにあっても、利潤のこの性質は同じですが、運用商品の場合、「お金を投じて、お金を増やす」という手段と目的の関係が明確な分、その性質が見えやすくなっています。

この認識の次に大切なのは、「手数料」を単純に敵視するのでも正当化するのでもなく、「程度の問題」として位置づけることです。

私は、顧客が(1)必要な情報を知ったうえで、(2)自ら納得できる手数料を支払うのであれば、こうした顧客から手数料を取ること自体は罪悪ではないと考えています。

同時に、商品・サービスの供給者として、同じ価値の商品・サービスに対して、より高い対価(≒手数料)を取ろうとすることは恥ずべきことであり、いやしくもマーケットに携わる仕事をする以上、この競争に対しては真摯であるべきだと考えます。

君が社長になって、やって欲しいこと

さて私には、証券会社だけでなく、すべての金融機関に真剣に取り組んで欲しいと思っているテーマがあります。それは、顧客の預かり資産残高から、年間どの程度の水準の手数料を取ることが妥当であり、かつ適当なのかを理詰めで求めて、経営戦略として意識することです。

証券会社も、銀行も、生命保険会社も、経営者がこの点について結論を持って経営しているようには思えません。おそらくは、経営上、最も重要な数字なのに、です。

経営者は、営業の現場が可能だと思う目一杯を、大過なく(コンプライアンスの問題を起こさずに)稼いでくれたらそれでいいと思っているのでしょう。顧客から手数料を取りすぎると短期的には自社の収益となるものの、長期的には顧客が離れたり、顧客の資産が傷んだりして自社の不利益にもなりかねない訳ですが、それではいくら程度まで稼ぐのがいいかを自分から提示することをしません。それは、言わない方が経営者自身にとって好都合だからでしょう。

「当社にとって、ウチの顧客の預かりから、年間何ベイシス手数料を取ることが最適なのでしょうか?」と質問した時に、答えを持っていない金融機関経営者は、この問いに答えられないという一点をもって、無能ないし不真面目だと私は判断します。君も、心から軽蔑していいと思います。

できることなら、君は現在の問題意識をもったまま偉くなって、野村の社長になってはくれまいか。その頃に野村證券が存在していたらの話ですが(金融は危ないビジネスなので、会社はいつ吹っ飛ぶかわからない)、君なら、正解と言わぬまでも、責任ある仮説を持って証券会社を経営してくれるのではないかと期待します。

可能性は大きくないかもしれないけれども、君にぜひ、この夢を託したい。

「最後の証券マン」を目指せ

私は、ある時に手数料の現実に気がついてしまったので、大学の授業でも、銀行・証券・保険などのビジネスモデルを批判的に説明しています。

すると、時々学生が質問にやってきます。例えば、

「私は生命保険会社から内定を貰ったのですが、先生の話を聞くと、生命保険会社は世の中にあって悪いことをしているように思えます。生命保険会社に行っていいものでしょうか?」といった具合です。

これに対する私の答えは、

「確かに、現在の日本の生命保険会社には、おおいに問題があります。はっきり言って、ろくなものではない。しかし、『保険』というもの自体が悪いわけではありません。君は、他の生保マンよりも『より悪くない』生保マンとなって、その相対的な良さを武器に、悪い生保マンを駆逐して、最後に生き残って下さい。君が目指すべきは、いわば『最後の生保マン』です」というものです。

君には「最後の証券マン」を目指して欲しい。

もちろん、微力ながら、私自身も同様の意味で「最後の証券マン」となることを目指しています。顧客にとって、投資家にとって、どのような商品や投資法が良くて、ダメな商品・投資法はどうしてダメなのかを容赦なく方々に発信しているのは、私なりの戦い方です。

君には、証券営業の現場で、ぜひこの戦いに参加して欲しい。「証券業」というゲームの質を少しでも高めるために、共に戦いましょう。

つい話が長くなってしまいましたが、自称先輩が言いたいことは、これだけです。

なお、最後に付け加えますが、人がするべきことは証券業だけではないので、君が転職することはまったく問題ありません。それを指さして、「逃げた」などと他人の人生を評するのは、身の程知らずのバカがすることなので、何ら気にする必要はありません。

山崎氏に相談をしたい方はこちらまでご連絡ください。

*本連載は毎週水曜日に掲載予定です。