goko_okabe_0315_bana

国際試合の舞台裏(後編)

日本はアジアサッカー界の真のリーダーになれるのか

2016/3/15

アジアは広大な大地と莫大(ばくだい)な人口とともに、火種も抱えている。

紛争地域が少なくなく、サッカーの国際試合を開催するまでにも、高いハードルがいくつも並ぶ状況だ。日本代表も2015年に行われたワールドカップ(W杯)予選では、アウェーでのアフガニスタン代表戦とシリア代表戦の2試合が、両国の政情不安のために中立地での開催に変更されている。

異なる国・地域がぶつかり合う国際試合は、どのようにして開催まで至っているのか。日本サッカー協会(JFA)時代に競技運営やW杯招致、クラブW杯の運営に携わったアジアサッカー連盟(AFC)の五香純典が、試合開催までの知られざる裏側を明かした。

前編:スポーツ界の“キラーコンテンツ”サッカー日本代表戦の舞台裏
中編:若手主体でのW杯招致活動。国際大会を日本で開催するメリット
五香純典(ごこう・すみのり) 1976年生まれ。石川県出身、マレーシア在住。イギリス留学を経て、2002年に筑波大学大学院卒業後、日韓W杯の日本組織委員会であるJAWOCで勤務。同年8月に日本サッカー協会入りし、日本代表戦やクラブW杯などの競技運営に従事し、2022年W杯の招致活動にも携わった。2013年からアジアサッカー連盟にて勤務し、W杯予選やアジアカップといった国際競技運営を担当している

五香純典(ごこう・すみのり)
1976年生まれ。石川県出身、マレーシア在住。イギリス留学を経て、2002年に筑波大学大学院卒業後、日韓W杯の日本組織委員会であるJAWOCで勤務。同年8月に日本サッカー協会入りし、日本代表戦やクラブW杯などの競技運営に従事し、2022年W杯の招致活動にも携わった。2013年からアジアサッカー連盟にて勤務し、W杯予選やアジアカップといった国際競技運営を担当している

危機感に駆られてAFC入り

岡部:五香さんは、2年半にわたってAFCに在籍されています。JFAからAFCに進まれた経緯を教えてください。

五香:理由としては、2022年W杯の招致活動やクラブW杯の運営を通じ、実務上の人脈づくりが大事だと実感したことが大きかったです。当時はすでに30代後半でしたが、海外で人脈をつくり始めなければ手遅れになるという危機感を持っていました。

岡部:危機感というのは個人でしょうか。それともJFAも含めてでしょうか。

五香:両方ですね。JFAにとっても、10年、20年と年齢を重ねてある程度のポジションに就いた人材が、そのときになって初めて世界と向き合うのでは、遅すぎると思っていました。そうならないためにも、少なくともスタッフ数人が30代前半の頃から、世界に出ていく必要性を感じていました。そうすれば、将来的に重要な役職に就いたとき、世界中に知り合いがいるような状況からスタートできます。

世界から置いていかれないためにも、海外で働く希望を主張し続けていて、恵まれたチャンスがAFCでした。ですから、初めからAFCでの勤務を希望していたというよりも、海外での経験と人脈を築く必要性を考えていたということです。

岡部:そのためにも、3カ月くらいの短期間の研修ではなく、実際に組織の一員として働かなければいけなかったのですね。

五香:そうです。ただ学ぶだけではなく、アジア人や日本人がしっかりと仕事上でバリューを出して、価値を上げていくことを自らやらなければならないと思っていました。

AFCにおける競技運営の業務

岡部:部署の希望などはありましたか。

五香:もともとがAFCから人材を推薦してほしいという依頼がJFAにあっての話で、ちょうど需要があった競技運営の部署に配属になりました。

僕もJFAでは競技運営に深く関わってきたこともありますし、サッカーの根幹といえる部署ですから、一番のメインストリームで人脈をつくることができる意味でも、非常に良かったと思います。

岡部:AFCの競技運営は、JFA時代の業務とは違ったりしますか。

五香:JFAでやっていた業務は当然あります。ただ、アジアは地域によっては8時間の時差があったり、宗教や文化も非常に多様性があるので、チャレンジすることは多いですね。まず、試合のカレンダーを組むことが大変ですから。

岡部:代表チームのアジアカップの予選や、クラブチームのAFCチャンピオンズリーグなどの試合を、どこに設定していくかを決めていくわけですね。

五香:初めに国際サッカー連盟(FIFA)のカレンダーがあり、それと照らし合わせ、A代表やU-23、U-19、U-16、女子、フットサル、ビーチサッカーといった、すべてのカテゴリの試合をうまくちりばめていかなければいけません。

もちろん、Jリーグをはじめとする各国リーグの日程や、ラマダンのような習慣も考慮しながらの作成ですから、日本ではできない経験でもあります。

すべての国が満足するカレンダーは存在しません。それぞれが少しずつ妥協しながら、最適化させるためのプロセスが重要です。それぞれの立場を尊重すると同時に、決めるところを決めていくリーダーシップが求められます。どのような主張がどのような論理であれば受け入れられるか。日本の感覚からすると非常に気を遣うポイントも実はそうではなかったたり、その逆も存在したりする中で、バランスポイントを見極めるには経験が必要です。

自爆テロの頻発地を視察したとき

岡部:昨年のW杯予選ではシリアの政情不安のため、日本とシリアの試合が中立地のオマーンで開催されました。そういう場合には、中立地にかけあって試合開催の調整をすることもあるのでしょうか。

五香:まさに、そういう仕事もあります。意外性に富んでいるというべきか、「エッ」と驚くことも毎日のように起こります。これまでも、「爆発があったから、視察に行って欲しい」というような話もありました。

岡部:「爆発があったから視察を」とは、どういうことでしょうか。

五香:怖い思いをしたことは何度かありますが、一番はパキスタンを視察したときですね。彼らが、自爆テロが頻繁に起こっている地域で、試合開催を望んできたのです。

僕もさまざまな報道などを調べて、「1~2週間に1度爆発が起こっているにもかかわらず、どのように試合の安全を保障するのか」という話から始めました。そうすると、相手は「国のセキュリティで開催します。視察に1回来てください」と。

岡部:それでパキスタンを訪れたわけですか。

五香:そうです。ところが、僕が視察に行っていた間に、自爆テロが起こってしまいました。泊まっているホテルから数十キロ離れたところでしたが、当時のパキスタンのチーフセキュリティオフィサーが犠牲になってしまったのです。

結局、「国のチーフセキュリティオフィサーが亡くなってしまう中で、どのように試合を開催するのか」ということになり、試合自体は別の都市で開催されることになりましたね。国家間の外交的な取り決めや、実際の現地の状況、提供される保障とその信頼性。それらすべてを吟味した上でこうした決定がなされます。

安全な試合開催が国際貢献になる

岡部:想像できないような話です。視察した際には、五香さんにも警備はついていたのでしょうか。

五香:車移動のときは、ピストル銃を持ったセキュリティの方が助手席に座り、警備の車も1、2台ついていました。日本の感覚だと厳重な警備だったかもしれませんが、今振り返るとあれでは足りなかったかもしれません。

パキスタン以外でも、レバノンでは大使館爆破に遭遇しましたし、ヨルダンやパレスチナを視察することも少なくありません。ただ、外務省から退避勧告が出ている場合や、日本人というだけで危険な場面に遭遇する可能性があるので、他国籍のスタッフが現地を訪れることもあります。

岡部:ご家族は心配でしょうがないと思います。

五香:日本とは異なり、いかに試合を開催できるかが最初の問題になりますからね。試合ができたら大喝采という状況なので、それらの国々で安全に試合を開催すること自体が、国際貢献活動の一つといえます。

岡部:日本とシリアの試合も、開催されただけでも素晴らしかったといえます。ちなみに、オマーンでのシリア戦には行かれたのでしょうか。

五香:オマーンには行きませんでした。審判同様に、運営側の国籍も中立でなければいけないので、基本的に日本の試合は多国籍のスタッフが割り当てられます。スタッフの国籍は日本、韓国、マレーシア、ウズベキスタンなどさまざまですから、開催地域と対戦カードによって、誰が担当するかが決定します。

岡部恭英(おかべ・やすひで) 1972年生まれ。スイス在住。サッカー世界最高峰CLに関わる初のアジア人。UEFAマーケティング代理店、TEAM マーケティングのTV放映権&スポンサーシップ営業 アジア&中東・北アフリカ地区統括責任者。ケンブリッジ大学MBA。慶應義塾大学体育会ソッカー部出身。夢は「日本が2度目のW杯を開催して初優勝すること」。昨年10月からNewsPicksのプロピッカーとして日々コメントを寄せている

岡部恭英(おかべ・やすひで)
1972年生まれ。スイス在住。サッカー世界最高峰CLに関わる初のアジア人。UEFAマーケティング代理店、TEAM マーケティングのTV放映権&スポンサーシップ営業 アジア&中東・北アフリカ地区統括責任者。ケンブリッジ大学MBA。慶應義塾大学体育会ソッカー部出身。夢は「日本が2度目のW杯を開催して初優勝すること」。昨年10月からNewsPicksのプロピッカーとして日々コメントを寄せている

日本の感覚が通じないという経験

岡部:アジア人の同僚たちと働くのはいかがですか。

五香:初めに価値観の違いを知りましたね。日本での感覚が通じないことがよくありました。

岡部:具体的には、どういう場面で感じましたか。

五香:たとえば、「水が10個欲しい」とメールしたときに、「それでは相手に伝わらない」と言われたことがありました。相手の受け取り方が「10ケース」となるのか、それとも「ボトル10本」になるのか、そこに保証はないという発想になるわけです。

物事の見方や見えている絵が違う場合もありますから、電話でわかるまで話したあとにメールを送るというパターンも、少なくありませんね。「朝に車を手配してくれ」と頼んだら、車はあるけれど運転手がいないこともありました。

岡部:なるほど。相手からすれば、確かに車は手配しているということですね。感覚が違うとなると、派閥もあったりしますか。

五香:思ったよりも少ないですね。みんながそういう感覚の違いを非常に繊細に感じるだけに、逆に中立感を出せなければ評価もされません。国籍ごとの強みはあっても、中立でいなければならないこともあって、派閥が生まれていないのだと思います。

それらもあって、多国籍のチームがまとまった瞬間の喜びは大きいです。自分が受け入れられたというか、まったく価値観の違うスタッフが集まっているにもかかわらず、チームをコントロールできたり、協力してもらえたりする。その瞬間は、大きな達成感が得られますね。サッカーを通じて多くのことを学ばせてもらっています。

アジアから見た日本の強みと弱み

岡部:五香さんには今後、AFCでの経験を日本サッカー界にぜひ還元してもらいたいです。

五香:それは必須だと思っていますし、同じ感覚をもったメンバーを増やしていく必要があります。一方で、今は競技運営のエキスパートみたいになっていますが、競技運営の一番良いところを日本に持ち帰ればいいかといえば、それでは意味がないと考えています。

というのも、日本はクラブW杯も開催して、世界トップの競技運営を知っているわけですから、今さら新たに言うことはありません。それよりも、アジアという地域で日本がどのような立ち位置でいられるか、日本の強みと弱みを共有するほうが意味はあると感じますね。

岡部:日本の強みと弱みは、どういう部分になりますか。

五香:たとえばホスピタリティの基準に関しては、日本は他国よりも上ではないでしょうか。「おもてなし」の精神や、相手の一歩先を予想してケアするような、何かに足していくことは得意といえますよね。

一方で、何かをシンプルにまとめるような、削ぎ落としていく作業は非常に苦手だと思います。細かい注意書きやルールなどをどんどん足してしまう傾向にありますが、世界と逆行しているといえます。

アジアにて真のリーダーになるために

岡部:本当に優れたものはシンプルですよね。アップルの商品は、余計なものを削ぎ落していますが、使い方は誰もがわかるわけですから。

五香:実際に爆発が頻繁に起こっているような地域では、マーケティングなんてままならないわけです。アジアは、ピッチがあって選手と審判の人数がそろっていれば試合はできるという考えで、そこを何よりも最優先にしています。ですから、プライオリティの整理と見切りをつける決断力が求められます。

日本はある意味で恵まれていて、必要なことを足し過ぎてしまい10個も20個もある状態。それらが一つも欠けてはいけないように見えますから、どうしても柔軟性を失ってしまいがちです。いったん綻びが生じると右往左往してしまうことがままあります。

ところが、AFCのスタンダードだと「あえて細かく決めすぎない」という判断があります。どんなに用意周到に準備をしても実際には排除しきれない不確定要素が存在することを認識し、柔軟性をあえて確保するというやり方です。創造する力が求められます。アジアの他国がゼロから1をつくるのと同じ感覚を持つことが、これからは重要になっていくと思います。

岡部:そういう感覚を持つことで、日本はスポーツポリティクスの世界でも、アジアのリーダーになっていけるのでしょうか。

五香:日本はすでにアジアサッカーを代表していますが、真のリーダーであるためには自分たちのやり方を声高に主張するのではなく、より相手の目線に立って一緒に解決していく姿勢が求められると思います。

そのためには前例踏襲に固執するのではなく、お互いに納得のいく解決策を新たに作っていくことが重要です。物事の一歩先を読んだり、突き詰めていくことは日本の強みですし、他国にはできないこと。それらをもっとクリアにして、相手のリズムや言葉で伝えられるようになると、真のリーダーに近づいていけるはずです。

10年以上の仲である2人。サッカー界発展のため、今もともに海外で活躍している

10年以上の仲である2人。サッカー界発展のため、今もともに海外で活躍している

(構成:小谷紘友、写真:福田俊介)