ベーシックインカムの社会正義と5つのメリット

2016/3/15
2015年12月にフィンランドが月額約11万円のベーシックインカム(以下BI)導入を検討したり、本年2月にはスイスが月額約30万円のBI導入に関する国民投票を行うと発表したりと、最近国際的にもBIに対して注目が集まっている。BIは国民の生活を保障し、公平かつ公正な社会の基礎的インフラとなるといわれている一方、根強い批判、反対論も存在する。BIは本当に導入する価値のある制度なのだろうか。かねてからBIの導入を提言している経営コンサルタント・波頭亮氏による寄稿を掲載する。

国際的にも注目

2015年12月にフィンランドが月額約11万円のBI導入を検討したり、本年2月にはスイスが月額約30万円のBI導入に関する国民投票を行うと発表したりと、最近国際的にもBIに対して注目が集まっている。
BIは成熟社会において、階級格差の固定化を防ぎ、国民全員の生活を保障することによって、公平かつ公正な社会を築くための基礎的インフラだといわれている。
ここでは、そもそもBIとはどのような制度なのか、BIのメリットはどのようなものか、そしてBIを導入するに当たってはどのような問題点が考えられるのかについて、わかり易く簡潔にまとめてみよう。

そもそもBIとは

BIとは、「すべての国民に対して、(働かなくとも生活できる程度の)一定のおカネを無条件で給付する制度」である。
ポイントは、
(1)年齢、性別、年収といったさまざまな属性や境遇に関係なく、「全員一律」であること
(2)働いていようが、働いてなかろうが、「無条件」であること
(3)給付されたおカネは食料品に使おうが、パチンコに使おうが、貯金しようが、自由にすることのできる「現金給付」であること
の3点である。
この3つの特長からわかるように、BIは現行の社会保障制度とは仕組みも背景にある考え方も根本的に異なっている。現行の社会保障制度は、生活保障にしても、失業保険にしても、高齢者への年金にしても、ニーズ対応型である。それぞれの個別の事情によって生活が困難な人に対して、それぞれの必要性に応じて適当な現物給付と金額を選択的に配布するものである。
では、現行のさまざまな社会保障制度があるにもかかわらず、なぜBIという制度が提唱され、注目を集めているのか。
そこにはこの制度のバックボーンとなる思想的、理念的な理由と、公平で公正な社会の基礎を成す社会インフラとしての制度的合理性、有効性の観念からの理由が存在する。
波頭 亮(はとう・りょう)
XEED経営コンサルタント
1957年生まれ。東京大学経済学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。1988年独立、経営コンサルティング会社XEEDを設立。幅広い分野における戦略系コンサルティングの第一人者として活躍を続ける一方、明快で斬新なビジョンを提起するソシオエコノミストとしても注目されている。

BIの理念的根拠

まず思想的、理念的な面から説明しよう。
一言で言うと、BIは民主主義社会における社会正義に基づいている。では民主主義社会の正義とは何か。それを示してくれるのがジョン・ロールズの「正義の原理」である。
民主主義社会の「正義の原理」とは、
(1)個人の自由が全員平等に尊重されていること
(2)機会の平等が全員平等に与えられていること
(3)現実的に機会の平等が確保されるために、生得的な理由による所得や生活水準の格差がなるべく小さいこと。
そしてこの3つの条件は、(1)、(2)、(3)の順に優先される。
というものである。
ちなみに(1)の自由と(2)の機会の平等とをうたった自由民主主義社会にあっても、生まれた家の所得格差や資産格差によって実質的には機会の平等が実現していないのが現実である。
どのような家に生まれ育ったかで学歴格差や能力格差が生じ、貧しい人たちの職業選択の自由やライフスタイルの自由が現実的には大きく制約されてしまう。しかもこうした格差は、親の世代から子の世代へ、さらには孫の世代へと再生産され、階級格差の固定化を生じせしめ、ひいては社会の活用をそいでしまうことになる。
こうした現象が20世紀終盤から今世紀の初頭にかけて、日本を含めた先進資本主義国家共通の社会の様相として現出してきた。
先に挙げたロールズの民主主義社会の「正義の原理」に関する研究や、最近世界中で話題になったトマ・ピケティの『21世紀の資本』も、こうした現象に対する問題意識が起点となっているのだ。
そして、こうした問題に対処しようとする切り札的な処方箋がBIである。
こうした大きな実質的不平等が現実に存在するとはいえ、本人の努力や資質と関係なく完全平等の仕組みを指向してしまうと、かつての共産主義=コミュニズム的社会制度となってしまう。
これはこれで社会の活力をそいでしまうだけでなく、民主主義的正義のうち最も重視すべき個人の自由を阻害してしまうことにもなる。そこでこうした課題を勘案し、個人の自由を最大限に尊重し、しかも機会の平等を可能な限り確保するために、すべての個人に最低限の生活を保障することが有効かつ必要であることを示したのが、ロールズの民主主義社会の「正義の原理」なのである。
こうした考えに基づいて、働かない自由、生きるために意にそぐわない仕事を強制されない自由までもを基本的人権として認め、その自由を享受しかつさまざまな機会を担保するために、すべての個人に平等一律に“生活原資”を給付するというのが、BIが提唱される理念的背景である。
以上、BIの理念について少々面倒な説明をしてきたが、要は、民主主義社会の正義とは、個人の自由を最大限に尊重しつつ機会の平等を阻害する生得的個人格差を可能な限り小さなものにすることである。
この「正義」に最もかなった再分配の制度が、社会を構成する全員に、生活を保障し得るだけの金銭給付を無条件で行うBIなのである。

BIの5つのメリット

次に、BIの制度としての合理性、有効性について説明しよう。
BIの制度としての合理性、有効性は、次の5点である。
(1)シンプル
BIは全員一律、無条件給付なので、制度がシンプルでわかり易い。現行の多くの社会保障制度、社会福祉制度は規定や分類が複雑で、受給者である国民がその全体を正しく理解するのが困難である。自分がどの給付を受けることができるのか、ある給付を受けるために求められる条件は何なのかについて、さまざまな制度、項目ごとに正しく理解、記憶することなど、とても不可能である。その点BIは極めてシンプルで、誰にもわかり易い。
(2)運用コストが小さい
第二に、BIはシンプルであるが故に、制度の運用にかかるコストが小さい。全員一律、無条件であるため、資格認定の手続きも、給付金額の算定も不要である。社会全体で見ると、この運用コストが小さいというメリットは莫大(ばくだい)な金額に相当するであろう(数千億円規模に上るという算定もある)。
(3)恣意性と裁量が入らない
第三に、BIは全員一律・無条件であるため、恣意性や裁量の余地がない。現行のさまざまな社会保障制度や手当ての給付を受けるためには、行政の窓口で審査に通らなければならない。その際、条件やルールは規定されていても、現実にはどうしても窓口担当官の判断が介在してしまう。
たとえば、生活保護の給付を受けるためには所得や資産の少なさを証明するだけでなく、働く意志があることや働けない事情、さらには親族・縁者との人間関係まで窓口担当官に承認されなければならない。こうした個人的事情を確認する際には、担当官の恣意性や裁量がどうしても介在してしまうものである。
恣意性や裁量は、規定やルールだけでは達成できない最適化運用の手段になることもあるが、一方で悪名高い“水際作戦”の道具に使われてしまうこともある。こうした恣意性や裁量を排除できる点は公平性、公正性の観点から大きなメリットである。
(4)働くインセンティブが守られる
第四のメリットは、働くことに対するインセンティブを損なわないことである。現行の生活保護制度では、生活保護手当を受けている人が働くことによって損をするケースが発生する。
頑張って働くと所得が増えて給付条件の水準を超えてしまい、生活保護を打ち切られて総所得がダウンしてしまうようなケースである。
これでは、頑張ってより多くを稼ごうという気になれない。「一度生活保護を受けてしまうとなかなか抜け出せない」といわれるのはこのためである。BIであれば、自ら働いて稼げば、確実にその分が上乗せになるので、働くことに対するインセンティブは損なわれないのである。
(5)個人の尊厳を傷つけない
BIの第五のメリットは、給付を受ける者の心情的な側面に関するものである。現行の生活保護を受けようとする場合、大半の申請者は精神的負い目を感じるものである。窓口の審査では、個人的事情に関するさまざまな質問や詮索をされて、心が傷つくことも少なくないと聞く。
BIであれば、国民全員が一律に給付を受ける権利を有しているので、堂々とBIを受けることができる。また、窓口でのやり取りすらもなくなる。このようにBIは個人の尊厳の尊重という面でもメリットは大きい。
以上の5点が、BIの持つ制度としての合理性、有効性である。先に挙げた思想的、理念的な社会正義の観点もさることながら、こうした制度としての現実的メリットが大きいため、BIは多くの賛同を得ているのである。
(写真:竹井俊晴)