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科学的根拠を教育効果につなげるには

【中室牧子】いま教育界に必要な「エビデンスベースト」の改革

2016/3/11
データから導き出される科学的根拠を政策判断の根拠の一つとする「エビデンスベースト」の考え方。さまざまな課題を抱える教育界においても、「その教育に効果があるのか」という問いに答える効果検証が求められつつある。慶応大学SFCの中室牧子准教授に、教育分野におけるエビデンスベーストの重要性を聞いた。

教育に「科学的根拠」を導入することの必要性

──中室先生は、教育における「エビデンスベースト」の重要性をかねてから訴えられていますが、それはなぜ必要なのでしょうか?

中室:エビデンスとは「科学的根拠」という意味で、エビデンスベースト・ポリシーとは「科学的根拠に基づく政策」を指します。これは1990年代初めに提案された「根拠に基づく医療」(EBM: Evidence-based Medicine)に端を発しているといわれます。

従来、病気の診断や治療法の選択は、専門家である医師の経験や知識をもとに決められていました。医師によって診断や治療の方法がバラバラだったり、医師が過去にたまたまうまくいっていた方法がずっと採用されていたりする結果、医療過誤が生じるという問題があったのです。

しかし、「根拠に基づく医療」が台頭し、医師個人の経験や知識にのみ頼るのではなく、「人間や動物を対象とした臨床研究から得られた科学的根拠」を重視することで、より系統立てた形で精度の高い診断や治療を行おう、という考え方が普及してくるようになりました。

医療に見られた問題は教育でも起きています。教員の個人的な経験や知識に基づいた教育は、非常に限られた範囲の子どもたちにはうまくいっても、別の自治体や学校ではうまくいく保証はなく、むしろ逆効果になることもあり得ます。これまではそういった局所的な「事例」に過ぎないものを根拠にして、国全体の政策が決定される傾向がありました。

私は決して「現場の勘や経験」を軽視しているわけではありません。しかし、そうした情報を大量に集積してその中から見出される規則性―どうしてそういう問題が生じているのかという社会構造やメカニズム―を明らかにすることなしには、効果的な政策を立案できないとも思っています。

「エビデンス」という言葉には、もう1つ重要な意味があります。それは、「因果関係」を示唆する根拠だということです。相関関係を示したに過ぎない分析結果をエビデンスと呼ぶわけではありません。

たとえば、「Aさんは、子どものころから読書家だったので東大に合格した」というテーゼがあったとします。しかし、これは必ずしも、「読書」と「東大合格」の間に因果関係があったことを意味しません。

もともと学力の高い人が好んで本を読む傾向があるだけなのかもしれない。家庭環境や塾、学校での教育など、「読書」以外に、東大合格に影響を与えた他の要因があったのかもしれない。2つの事象の「因果関係」を明らかにすることは容易ではありませんし、ましてやそれは、日々の生活の中で目に見えるものではないので、やはり、データを分析する必要があるのです。

中室牧子(なかむろ・まきこ) 慶応大学SFC 准教授。慶應義塾大学卒業、日本銀行で実体経済や国際金融の調査・分析を担当。コロンビア大学の公共政策大学院に留学し修士課程修了後、世界銀行で欧州・中央アジア局において教育セクターの分析に携わる。その後、教育経済学に関心を持ち、コロンビア大の博士課程で教育経済学を学ぶ。2010に日本に帰国。「福井の教育向上会議」のメンバーとして教育基本振興計画の改定に携わるほか、スーパーサイエンスハイスクール支援推進委員もつとめる。

中室牧子(なかむろ・まきこ) 慶応大学SFC 准教授。慶應義塾大学卒業、日本銀行で実体経済や国際金融の調査・分析を担当。コロンビア大学の公共政策大学院に留学し修士課程修了後、世界銀行で欧州・中央アジア局において教育セクターの分析に携わる。その後、教育経済学に関心を持ち、コロンビア大の博士課程で教育経済学を学ぶ。2010に日本に帰国。「福井の教育向上会議」のメンバーとして教育基本振興計画の改定に携わるほか、スーパーサイエンスハイスクール支援推進委員もつとめる。

「教員を増やす」で本当に日本の教育環境は改善するのか

──これまで日本の教育で、エビデンスが重視されてこなかったのはなぜだったと思いますか?

これは管見でしかありませんが、日本の教育はこれまで非常に「うまくいっていたから」ではないかと思います。

日本の公立学校の教員の能力は、ほかの国と比較してみると格段に高いと言われています。日本の教員は子どもの学習面に限らず、人間的、精神的成長を支えてきており、海外のように「教えること(のみ)の専門家」であるという認識はありません。日本の「お家芸」ともいわれる公教育のあり方を高く評価する人は少なくなく、私も当然その一人です。

この仕組みがうまくいっていたのは、教員の「質」が高かったことと無関係ではないでしょう。

しかし今、優れた資質を持ち、教員としてのキャリアが長い団塊世代の教員定年退職を迎えようとしています。多くの自治体は、新任教員を大量に採用するなどして退職者の埋め合わせをしているため、これまで蓄積されてきたノウハウが、一気に希薄化してしまうのではないかとの懸念もあります。

このように、伝統的に「資質の高い教員」に頼りがちな学校経営をしてきたこと、それが歴史的に功を奏してきたこともあって、現在の教育政策は、とにかく「教員」の「数」を増やすということを最大の目標にしています。

先日、平成27年秋の行政事業レビューの場でも指摘があったのですが、文部科学省が提出してきた資料の中に「教育政策の成果目標(アウトカム)」は、「教員1人当たり児童数がOECD平均を下回る数となること」──つまり教員の数を増やすことである、と書かれており、私はこれには大変驚きました。

教育政策の成果目標は、本来、子どもの教育成果であるはず。そうではなく、わが国教育政策は、教員の数を増やすことを教育政策の成果目標としているわけです。もちろん、それが間違っているとは言えませんが、教員の数を増やすことは、目標を達成するための手段の1つに過ぎないのではないでしょうか。

現場の教員の負担感が強いことを軽視してはなりませんが、本当に業務の効率化や部活動や事務のアウトソースなど、他の方法をとる余地はないものでしょうか。私は、(一般的な政策評価においてそうであるように)教育政策の成果目標は、子どもの教育成果(学力や生きる力、あるいは卒業した後に稼げる力など)に置くべきだと思います。

その上で、教員の数を増やすという政策手段も含めて、様々な他の手段についても併せて検証を行い、何をすればより低い費用で、子どもたちの成果を最大化できるのか、ということを納税者である国民に示す必要がある。それが、教育におけるエビデンスベースト・ポリシーに求められていることです。

統計によれば、労働市場の有効求人倍率と教員の採用試験の倍率は逆相関している。景気が良くなると教員を志望する若者は減り、景気が悪くなると教員を志望する若者が増える。公教育が優れた資質を持つ若者を教員として獲得することは極めて難しい現実がある。(iStock/Xavier Arnau)

統計によれば、労働市場の有効求人倍率と教員の採用試験の倍率は逆相関している。景気が良くなると教員を志望する若者は減り、景気が悪くなると教員を志望する若者が増える。公教育が優れた資質を持つ若者を教員として獲得することは極めて難しい現実がある。(iStock/Xavier Arnau)

成果のでない英語教育、3000億円の公費は子ども世代の負の遺産に

──ビジネスの世界では、事実を積み重ねたデータなどの根拠に基づいてPDCAを回すという感覚が一般的ですが、教育界では難しいのでしょうか。

まさにその通りですが、日本の教育の文脈ではなかなか受け入れられません。「教育は数字では測れない」という批判もありますし、そもそも「教育に効率性を求めるべきではない」という声も耳にします。

私は、実はそれは一面では正しいと思っています。しかし、そうも言っていられない現実もあるだろうと思っています。

先日も大きくニュースになりましたが、公立中学校と公立高校の英語教員には、毎年3000億円以上という多額の人件費が投じられています。ところが、文科省が全国の高校3年生のなかから、国公立480校、約7万人(「話す」は約1.7万人)を対象とする抽出調査を行ったところ、7割以上が、「読む・書く・聞く・話す」のすべてで英検3〜5級レベルに留まっているということが明らかになりました。また英語教員の能力も、英検準1級を有する教員の割合が、中学校で28.8 %、高校で55.4%でしかありません。

平成27年秋の行政事業レビューでも、多額の公費が投じられているにもかかわらず、生徒や英語教員の英語能力が現在の目標と大きくかい離する状況について厳しい指摘が相次ぎ、「教員研修を漫然と行うのではなく、教員の配置の見直し、外部専門家やICTの利用等を含めて外部教材の活用など、質向上のための実効的な措置について、費用対効果を検証しつつ検討すべき」とのとりまとめがなされています。

もちろん、教育は数字で測れるものばかりではありませんし、短期的な効率性ばかりを追い求めるのもいかがなものかと思います。

しかし、わが国の財政赤字は深刻な状況にあります。英語教育に対して毎年支出されている3000億円の公費は、子どもらの世代が返していかなければならない借金となるわけです。子どもらの世代に借金をつけ回ししてまでも行った投資が、十分なリターンを生みだす結果となっていないことについて、私は残念という以外に適切な言葉が見当たりません。

行政事業レビューの取りまとめが指摘するように、「実効的な措置について、費用対効果を検証しつつ検証すべき」でしょうし、まさにこれをエビデンスというのだと思います。

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「教師にしかできないこと」に注力するために、ICTが役立つ

──中室先生は「スタディサプリ」に効果検証という形で関わっていますが、具体的に何をされているのですか?

スタディサプリが子どもの学力にどのような因果効果を持つか、という効果検証を実施しようとしています。

私がスタディサプリに期待しているのは、経済格差によって塾に行けない子どもや、家庭での学習習慣がついていない子どもの学力をいかに改善できるかという部分です。安価で質の高いサービスが、子どもらの放課後や家庭の学習を充実させ、それが学力向上につながるのであれば、その意義は大きいと考えます。

また、今後は公教育も、民間企業の新しいテクノロジーやスピード感、経営感覚などを取り入れていく必要があるのではないかと思います。民間のサービスを利用することで、教員の負担を減らし、日本の教育の「お家芸」であった教員と子どもとのコミュニケーションなど、本来「教員にしかできないこと」に注力できるようになるとよいのではないかと期待しています。

──スタディサプリの効果測定で、どのようなことが検証できるのでしょうか?

そうですね、第一は子どもたちの学力の変化です。スタディサプリが目標としているように、塾に通っていなかったり、もともと学力が低い層の子どもらにプラスの効果があるかどうかにも注目します。

また、今回の効果検証は、子どもらが受けるサービスに不平等が生じないようにするために、処置群(=スタディサプリを受けるグループ)と対照群(=受けないグループ)を入れ替えますので、効果測定の期間は比較的短くなります。

このため、短期間ではあまり効果が顕在化しにくい学力面への効果だけでなく、それ以外の教育成果への効果も見ていきたいと思います。例えば、学習時間が増えたか、「勉強するのが楽しい」というような内的モチベーションが高まったか、学習目標が変化したか、などへの影響も計測します。

特に「内的モチベーション」はとても重要です。子どもたちが将来的に直面するさまざまな社会課題は、受験勉強のように、必ずたった一つの答えがあるものばかりではありません。だからこそ、いま目の前にある課題に取り組むことに意味を見出し、社会に貢献したいと思うような内的モチベーションを高めることが重要になります。スタディサプリが内的モチベーションを高めるきっかけを作れるか、ということには関心があります。

──サプリを含めたEdTech全般に、どのような期待をされていますか?

EdTechに対しては、矛盾するようですが、2つの見方をしています。1つは教育を大きく変化させるのではないかという期待。民間のイノベーティブなサービスが公教育に持ち込まれることで、教員の世代交代による指導力の低下や、家庭環境による学力格差などの課題を解決することができるのではないか。

一方で私は、これからの日本の教育の要は引き続き「教員」なのではないかとも思っています。ICTはそれ単体ではただの機械にすぎないので、それを「教育」にするには、やはり教員の力が必要だろうと思うのです。教員が、どのようにICTを運用し、教育現場を変えられるのか―そのベストミックスについても考えていかねばなりません。

(聞き手:呉 琢磨、構成:田村朋美、撮影:オカムラダイスケ)

*目次

<受験サプリはなぜ「スタディサプリ」になったか?【全9回】>

#1 スライドストーリー「日本の教育2020年問題」
 #2 インフォグラフィック「スタディサプリの軌跡」
 #3 700の高校が実践。学校が「サプリ」を導入する理由
 #4 【藤原和博】スーパー・スマート・スクールの全貌
 #5 【熊谷俊人】千葉市ではじまる「公教育改革」の第一歩
 #6 【中室牧子】「エビデンスベースト」の教育はなぜ必要か
 #7 【佐藤昌宏】いま世界でおきている「教育の新潮流」とは
 #8 【本間拓也】途上国で急成長する「Quipper」の躍進
 #9 【山口文洋】すべての人に質の高い「学び」を届ける