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【開沼博】3・11から5年、福島に残る5つの課題

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  • 東京大学大学院准教授/東日本大震災・原子力災害伝承館上級研究員

    以下の部分は講演等では話してきましたがこの記事ではじめて文章化した議論です。遠い先のことに思えるかもしれませんがいまから構えておかないと半永久的に解決できません。ではいまから何ができるのか。あるいは、例えば同じように放射性廃棄物を持つ中国やロシアはどう社会的合意形成をし、それらとは違った政治体制を持つ日本ではどう違った社会的合意形成を目指すべきなのかなど様々な考える余地がある話と思っています。
    ーーー
    福島の復興が遅れている、だから復興を進めるというならば、「社会的合意形成」を進めていかなければならない。これは、文系的な問題です。理系的な技術論としては片が付いていることも増えてきた中で、私たちの社会がどう議論し決断するかが求められる。

    自然科学・工学的な専門家・技術者に任せられる話以上に、社会科学的な対応が、私たち自身に求められてくる。「社会的合意形成」がこれからの長期的な福島を取り巻く課題となっていきます。


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    国際環境経済研究所 理事・主席研究員

    開沼さんの記事。情緒的、ステレオタイプの3.11報道がほとんどのなかで、客観的かつ現実的に語ってくださる数少ない方です。この記事は必読です。
    先日のBSフジプライムニュースでもご一緒させていただきましたが、今後も一緒に「タブーに挑んで」いきたいと思います。


  • ぼくは航空自衛官として28日間震災対応し、3.11が誕生日。

    いろいろ皆さんが振り返るので僕も書く。

    ◆3.11
    当時僕は沖縄の航空自衛官。
    平時は人事、有事は隊員をオペレーションをする、いわゆる司令部勤務。

    異動も多くたいへん忙しい時期でしたが、航空自衛隊では初めてのALL JAPANの緊急放送の放送で一変。

    沖縄は防衛上のホットスポットであったため、突発訓練には慣れっこだったのに、モニターを見ると日本全体を赤黄の津波警報が点滅。

    防衛出動ではないにしろ、こんな日が来るとは。急遽のシフト体制で夜通し対応を行いました。

    ◆3.26-
    メルトダウン・シーベルトという言葉が世間に馴染んだころ、僕は宮城県松島基地へ。

    様々な感情が渦巻いた2週間でした。

    ・基地内清掃。
    支援の受口の基地が大荒れだったので、基地内清掃に徹したやるせない3日間。

    ・部隊の新設
    4/1に臨時で新設した部隊"災害復旧支援隊"の人事割当。

    ・遺体捜索
    泥の地平線と化した地区を、横一列になって捜索。遺体は出ませんでしたが、他の地区では自分の子供と同じくらいの子の遺体を見つけて病んだ自衛官もいました。

    ・民家の清掃
    強烈な思い出。野蒜地区の泥に埋まった家々を徹底的に清掃する激務。
    40代の夫婦は家の泥だらけの家財を、我々を業者に対するように素っ気なく散々使いました。あそこにはなにも優しさは宿っていない。心がすっかりすさんだ現場でした。

    ・キャンプ
    基地内につくられた南西部隊のスペース。泥だらけで戻ると、横になれるだけの待機車で缶詰飯。隣に来ていた米軍と煙草を吸って話す仲になり、ジュースを分けてもらったりしました。

    ◆振り返ると
    だいぶハショった内容でしたが、色々なことが起きすぎていました。

    「絆」など現場には何もなく、事実だけがありました。みなさんは炊き出しに淡々と並び、基地内のお風呂に淡々と誘導されていました。そこに「しっかり並んでいる」だの、感情を植え付けているのは周りだけなのです。

    その2年後僕は退職し、ミャンマーへ行き、東京へ。

    きっと、今日のように誕生日を迎えたら、死ぬまであの日を思うのでしょう。

    寒くて小雪が散らつき、
    余震が続いて、
    インフラは自発機のみの日々。

    またいつか、あの野蒜地区に行きたい。行くからには、あの時のように貢献をしたい。


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