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今後も長く粘り強い対応を

【開沼博】3・11から5年、福島に残る5つの課題

2016/3/11
死者・行方不明者合わせて1万8000人を超える大きな被害を出した東日本大震災の発生から本日で丸5年となる。とりわけ、福島第1原発事故に見舞われた福島県では避難指示区域に住んでいた人のほか、被ばくを避けるため区域外からも多くの人が自主避難を続けている。福島に残る課題とは何なのか。福島大学・特任研究員の開沼博氏による寄稿を掲載する。

現在の被災地の状況は?

東日本大震災、福島第1原発事故から5年。被災地の状況は、日に日にわかりづらいものになっています。

「復興が遅れている」「廃炉は進んでいない」「何も変わらない風景」などとステレオタイプな表現を繰り返すメディア・有識者がいますが、大嘘です。

そのようなステレオタイプな物言いは福島の課題を知ったかぶりしているのを取り繕うのには便利な表現ですが、誰でも、何を知らなくてもそう言ったらそれっぽく聞こえる表現でしかない。調査・取材不足の証拠を自ら示しているようなものです。

現場にはものすごいスピードで膨大なリソースを注ぎ込まれて進むことと、まったく進捗が芳しくないことと両方がある。その進んでいることと遅れていることの両者を冷静に見据えながら、今後の戦略を練る姿勢こそが求められます。

私は、廃炉が進む福島第1原発、およびその周辺の避難地域の実態を調査・分析し、多くの人にその情報を提供するために「福島第一原発廃炉独立調査プロジェクト」というプロジェクトを2015年10月から始めました。

近々『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版)という書籍にその調査の途中経過をまとめ、クラウドファンディングで調査資金を集める予定でいます。なぜ3・11から5年目の今、このようなことをするのかというと、この「廃炉の現場」こそ今後、進んでいることと遅れていることの両者を際立たせて観察しながら、私たちがその問題を考えていく必要があるポイントだと思っているからです。

これから押さえるべきポイントは意外と限られていますし、そのポイントは、5年たっても消えていない根深い課題でもあります。

被災地に残る課題を5点に分けて説明したいと思います。

日本にとって普遍的な課題

1点目が、「日本にとって普遍的な課題」です。

私たちは、しばしば「3・11によって」「原発事故さえなければ」といった枕ことばとともに被災地で起こっている悲劇を認識します。果たしてそうでしょうか。

現在も被災地に残る課題の多くは「日本にとって普遍的な課題」です。つまり少子高齢化・人口流出、既存産業の衰退、医療福祉システムの崩壊、コミュニティの崩壊といった課題は、日本全体で、かねてより存在した課題そのものです。

確かに、震災・原発事故がそれらの課題の悪化を強く促しました。しかし、それは、3・11がなくても、原発事故がなくても存在し悪化し続けていた慢性的な課題にほかなりません。その点を履き違えると課題解決に向けた現状認識を見誤り、課題をさらに悪化させることになるでしょう。

たとえば、これまで福島県の健康の問題というと、「放射線による健康影響があること」がことさら取り上げられる傾向がありました。しかし、現場の医療者の中で、明確に増加し、喫緊の課題とされているのは、被曝による被害とはまったく関係のない健康の問題です。

南相馬市、相馬市の避難経験を持つ住民の間での糖尿病の数は、震災前に比べて1.6倍に増加したという研究結果があります。これは、生活環境が急激に変化し人間関係や日常行動が変化したことが原因とされています。

糖尿病のみならず、脳卒中や高脂血症など、さまざまな生活習慣病、あるいはうつ傾向の増加も明らかです。たとえば、糖尿病になれば種々のガンになる確率は跳ね上がります。その確率を大ざっぱにたとえるならば、今議論されている「放射線のせいで亡くなる人」が1人いるとしたら、「糖尿病がきっかけで亡くなる人」は100人いると言ってもいい状況です。

にもかかわらず、その話をせずに「原発・放射線」の議論に固執する一部マスメディアの「ジャーナリスト魂」にはあきれるばかりです。そのセンセーショナリズムがまん延する中で、福島において小さな子を持つ母親たちのうつ傾向が増え、子どもが肥満になってきたことは明確にデータに表れています。

避難の継続の中で亡くなった人を「震災関連死」といいますが、福島県の震災関連死の数は2000人を超えています。一方、福島県で地震・津波でなくなった方は1600人ほど。つまり、長期化する避難が地震・津波、あるいは放射線以上に人の命を奪っているのが現状です。

そこで起こっていることは「日本にとって普遍的な課題」であると冷静に認識し、その根底にある慢性的な病を改善することに注力すべきです。

開沼博(かいぬま・ひろし) 1984年福島県いわき市生まれ。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員(2012年〜)。ほかに、楢葉町放射線健康管理委員会副委員長(2015年〜)。経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員(2014年〜)。これまでに、読売新聞読書委員(2013〜14年)。復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員(2013〜14年)。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバー(2011〜12年)。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学

開沼博(かいぬま・ひろし)
1984年福島県いわき市生まれ。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員(2012年〜)。ほかに、楢葉町放射線健康管理委員会副委員長(2015年〜)。経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員(2014年〜)。これまでに、読売新聞読書委員(2013〜14年)。復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員(2013〜14年)。福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバー(2011〜12年)。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学

ポスト復興期の課題

2点目が、ポスト復興期の課題です。よりシンプルにいえば、復興バブルが終わってどうするかという話です。

国が集中復興期間と定めたのは2011年度からの5年間です。つまり、今月には26兆円ともいわれる復興予算をかけた集中的な復興期間が終わります。

この期間、震災前に比べて、福島県の予算は1.9倍にまでなりました。一定以上の規模のある企業の倒産件数も0.35倍になり、就労地ベースの有効求人倍率も全国トップレベルの状態が続いてきました。公共投資が増えて、カネ回りと雇用状況が改善して、企業の倒産件数が減る。行政が主導するプロジェクトが立ち上がって街の風景も変わった。被災地ではそのような状況が5年間続いてきました。

もちろん、これは震災・原発事故による被害の大きさを踏まえれば、必要な予算でした。ただ、いつまでも、平時の倍額の予算が続き、それを延命装置として生きながらえようとする地域経済の在り方が必ずしも健全なものだといえないのは確かでしょう。

これから必要なのは自立支援です。いかにこれまでの集中的な復興の中で生まれた希望の種を自分たちで育てていけるのか。そのためには予算よりも知恵や工夫、あるいは女性や若者の力などが継続的に集まり生かされていく社会の在り方が重要です。失業率や倒産件数が上がり、場合によってはうつ傾向が強まったり、自殺者数が増えたりすることもあり得ます。また、NPOへの行政・企業などからの助成金も減ります。

「復興バブル」と呼ぶべき状態は土木建設業を中心に、一部の製造業や医療・福祉サービスなどへの集中的な予算投下の中で起こってきたことです。これらの産業が新たなかたちで自立していくことに、これから多大な負担がかかることが想定されます。そのような状況を支えながら忘却を防ぐ。ポスト復興期に入っていくことを皆で共有することが大切です。

福島に特化した課題

3点目以降は、福島に特化した課題になります。

3点目は風評です。

福島のコメや野菜、魚介類など1次産品を避ける消費者の感覚は今でも残っています。さまざまな調査の結果によれば、2〜3割程度の人が放射線を忌避する感情とともに福島産品を避ける意識を持っています。

しかし、その判断の根拠となる知識を私たちはどれだけ共有しているでしょうか。

たとえば、福島産のコメについては「全量全袋検査」と呼ばれる、その名の通り、取れたものすべてを袋ごとに放射線の検査をしています。その数は年間1000万袋ほどにも及びますがこれでどのぐらい法定基準値を超えているのか。2012年が71袋、2013年が28袋、2014年が2袋、2015年が0袋。すべて、分母は1000万袋。そのうちの71、28、2、0です。

さらにこの法定基準値は「1キロ当たり100ベクレル」という基準に定められていますが、国際的に比較すれば、もともと、欧州連合(EU)では1250ベクレル、米国では1200ベクレルという基準でしたので、それらより10倍以上厳しい基準を設定しても放射性物質が検出されないのが現状です。背景には、「カリウム散布」という仮に放射性物質がある土地で農業をしてもそれが作物にうつらないようにする特効薬的な策が広く普及したことがあります。

魚介類についても同様です。震災直後、取った魚のうち4割ほどが検出限界値を超えていました。しかし、2015年には約8500点のサンプルのうち検出限界値を超えたものは4点のみになりました。

福島第1原発における汚染水問題はいまだ解決していませんが、「大量の放射性物質が海洋に流出している」というイメージは原発事故直後の数カ月のものです。現在にはあてはまりません。

その多くを占めていたセシウム134は半減期を迎えて放射線量が減り、魚の世代交代が進む中で放射性物質を含む魚介類を見つけること自体難しくなってきているのが現状です。

魚の世代交代が進む中で放射性物質を含む魚介類を見つけること自体難しくなってきている(写真提供:筆者)

魚の世代交代が進む中で放射性物質を含む魚介類を見つけること自体難しくなってきている(写真提供:筆者)

もちろん、「だから安全で何も問題はない」と言いたいわけではありません。そのような事実を共有しないままに、古いイメージを刷新できないことが2次被害を引き起こしている。そのことを避ける必要があります。

たとえば、今でも農漁業者がメディアに出て作物のPRをするだけで「人殺し」「危険な物を売るな」などと抗議を受けたり、インターネットに誹謗中傷を書かれたりしています。また、先日、国道6号線という福島の沿岸部を走る道路の清掃活動イベントを、震災後初めて再開しようとしたところ、主催団体に1000件を超える誹謗中傷の電話・メール・FAXが殺到した事件がありました。このイベントは震災前から続いていたものであり放射線への対策も十分に取られたものでした。

海外にでれば、もっとひどいことも起こっています。先日、東北の産品を売るイベントを外務省が韓国で開こうとしたところ、現地の反原発運動団体が「福島産品を並べるイベントを行うことに対する中止と謝罪」を要求した事件がありました。実際にイベントは中止になりましたが、これは氷山の一角にすぎません。ほかの国においても表面化しないかたちで同じようなことはさまざまに起こっています。

風評は観光業にも大きな影響を与えています。たとえば、福島県への観光客入り込み数は震災前比で8割5分ほどの回復になっていますが、すでに頭打ち状態です。戻っていないのは学校教育旅行、つまり、修学旅行です。多くの親が「今の東北・福島に行くのはいい勉強になるのではないか」「八重の桜のところでしょ」と言ったとしても、一部の親から「福島に行くのはあり得ない」「子どもを傷つけるのか」と反対意見が出始めると、合意形成を重視する学校としては「事なかれ」で福島以外に行き先を変える。これは具体的な事例を調べると浮き彫りになる構図です。

言うまでもなく、福島に滞在したからといって特異な被曝をするわけではありません。最近、福島高校の生徒が、国内外の高校生に線量計を配り、実際に身につけて生活をしてもらって累積線量を比較する研究成果を出しました。これによれば、福島県内の人が居住できる地域で生活しても、ほかの国内外で生活しても、被曝量に差が出ないことがわかっています。

むしろ、西日本や海外には福島よりも線量が高いところがある。たとえば、上海に修学旅行に行けば、そこは自然の放射線量として毎時0.5マイクロシーベルトぐらいあるわけです。福島も含め国内では、おおむね0.05〜0.2マイクロシーベルトほどの範囲に収まります。

もちろん、先に挙げたような極端な差別行為に出る人々は、一部の過激な脱原発・被曝忌避活動家ら、全体から見ればごく少数にすぎません。しかし、不安と無知を背景とした「極端な人」による差別的言動がまん延するほど、福島の問題は「普通の人」から遠いものになっていってしまいます。この構図が福島の問題の忘却を加速しています。「普通の人」こそ、正確な知識を身につけ、本当に必要な議論に集中できる環境をつくるべきでしょう。

福島第1原発周辺地域の復興

4点目は福島第1原発周辺地域の復興です。

福島第1原発周辺の避難指示がかかった地域で、今どのくらいの人が生活しているか想像できるでしょうか。

その数は3万人を超えます。避難から戻って居住している人が5000人、原発廃炉のために働いている人が7000人、除染のために働いている人が1万9000人。もちろん、実際に寝泊まりしている人は部分的ですが、1日で3万人ほどがそこに立ち入る生活圏がすでにあるわけです。

3万人の生活圏というのがどのくらいかというと、たとえば、日本の基礎自治体は1700市区町村ありますが、その中でも上位から700位くらいの人口規模です。過疎地域よりもよほど人がいる。それ故の課題も可能性も生まれている。

今後、除染作業は減りますが、避難から帰還する人や新たにできる研究所などに働きに来る人も住み始めます。かつて死の町ともいわれたこの地には、新たな人の生活が始まり、新たな課題と希望とをもたらしています。

しかし、この現実に私たちの認識が追いついているとは言い難いのが現状です。1986年に原発事故があったウクライナのチェルノブイリと重ね合わせて、「あの日以来、永遠に人が住めない街ができてしまった」などとステレオタイプな表現を繰り返し、悦に入ることを続けようとする人もいますが、現実はそれほどナイーブで悲愴(ひそう)的なものではありません。

事故を起こした福島第1原発1〜4号機がある大熊町でも今年中に750戸の東京電力の社宅に人が住み始め、その周辺には2000戸の公営住宅ができます。もちろん、集中的な除染などによって放射線に関する安全性も確保されています。

安直なイメージで福島の問題を捉え続けることは、忘却に直結します。現に進んでいるダイナミックな生活の営みと、いまだ進まぬ生活の再建との両者を視野に入れながらこの問題に向き合うことは、被災者だけではなく、私たちに広く求められることです。

社会的合意形成

ここまで述べてきたのが中期的な課題だとすれば、5点目は長期的な課題です。

それは「社会的合意形成」です。

たとえば直近でいえば、福島第1原発にたまり続ける汚染水タンクの中の水をどうするか。これは科学的には海洋に放出しても問題がないものです。「汚染水タンクの中の水」とは具体的にいえば、すでに多核種除去設備(ALPS)などでセシウムなどの主要な放射性物質を取り除いた浄化水です。ただし、浄化する中で取り除けない放射性物質が1種類だけあります。

それは「トリチウム」という物質です。この「トリチウム」が何かということですが、「水素」の一種です。これだけはフィルターでは取りづらい。それを海に流しても安全か、ということですが、安全です。もとから自然発生して、自然界に存在するものだからです。たとえば、太陽光線によって、今でも年間1京ベクレルが地球上では発生し続けていて、雨にも川にも海にも含まれています。

通常の運転をする原発でも発生し続けています。それでも先進国では半世紀ほど健康被害など問題が起きていないことは自明です。トリチウムが濃いからリスクがありそうだ、と思うでしょうが、その通りで、逆に希釈すれば自然に含まれトリチウム濃度と変わらなくなります。点滴のように少しずつ普通の水に混ぜていくことで放射性物質がごくわずかな水になるわけです。

ただ、なんでそうしないのか。行政関係者も漁業関係者もこの知識は皆持っています。にもかかわらず、そうしないのは、社会がそれを理解しておらず、パニックになる、具体的には風評が再燃する可能性が大いにあるからです。

判断基準となる知識を広め、その技術の可能性を考え、皆で「このリスクなら受け入れられる」と合意していく。そういうプロセスが早急に求められています。

この話は、そのまま除染ガレキをどう処理するのか、中間貯蔵の問題にも当てはまる。福島から30年以内に除染ガレキを福島県外に持って行くと国は約束していますが、それを実現できるかどうかは「社会的合意形成」の問題。なし崩し的に実現できないにしても、その「社会的合意形成」をしなければならない。

廃炉だって「社会的合意形成」がなければ完遂しない。あまり議論自体を聞いたことがない人が大部分でしょうが、爆発してぐちゃぐちゃになっている福島第1原発の原子炉建屋やその中の燃料デブリをどこに持って行くのか。

この問題は、実はまったく先行きが見えていません。つまり、仮に廃炉が進んでも、あの建屋を壊せない。壊したゴミを持って行く場所がないからです。一般ごみと同じようにゴミ収集センターに持って行って埋立場に持って行くという話ではないわけですから。

福島の復興が遅れている、だから復興を進めるというならば、「社会的合意形成」を進めていかなければならない。これは、文系的な問題です。理系的な技術論としては片が付いていることも増えてきた中で、私たちの社会がどう議論し決断するかが求められる。

自然科学・工学的な専門家・技術者に任せられる話以上に、社会科学的な対応が、私たち自身に求められてくる。「社会的合意形成」がこれからの長期的な福島を取り巻く課題となっていきます。

この5点が鮮明に浮き彫りになってきたのが、この5年目というタイミング。これは、さまざまな個別的な課題が整理されてきたことであると同時に、これから長く粘り強い対応が求められていくことを示しています。

ステークホルダーもそうでない人も巻き込みながらこれらの課題を解決していくことが大切です。

福島の復興が遅れている、だから復興を進めるというならば、「社会的合意形成」を進めていかなければならない(写真提供:筆者)

福島の復興が遅れている、だから復興を進めるというならば、「社会的合意形成」を進めていかなければならない(写真提供:筆者)

(バナー写真:大隅智洋)