建築はなぜ震災復興で信頼されなかったのか
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耳が痛い。
ですが、決して目を背けてはいけない指摘。
建築家は、理想のためには努力を惜しまない。
ただ、その理想は、本当にニーズを反映したものだろうか。
記事内の「大義のために清濁併せのむ度量も求められるでしょう。」という言葉が重い。
翻ると、震災復興だけではなく、様々な不祥事が業界で起きている。
業界全体で、なにか取り組めていいるのだろうか。
各々が考えていても、そこにコンセンサスがなければ、ただのわがまま。
ニーズも履き違えてしまう。
忘れることなく、常に考えていく必要がある問題だと思う。本誌を読んでいないのでややずれた議論かもしれませんが。
復興における街づくりでは、建築とともに都市計画の観点も重要になります。
津波・耐震対策だけでなく、従来からあった過疎化、コンパクトシティ化、地方の産業構造の問題、先祖代々の土地への愛着、地域ごとに特色ある暮らしなど、早期に答えを出せない事項ばかりです。
多数のステークホルダーと時間的、物理的、精神的余裕がない中での対応は非常に難しかったと想像します。
よい悪いではなく、都内でも道の細い、木造住宅が密集している地域は戦時中の空襲を免れた地域が多い。住民の意見と行政の意見双方に耳を傾けながら最適解を見つけることは、今後も全国的に重要な役割です。
今後の建築業界に期待します。
「震災復興は、法制度上できることとできないことを踏まえたうえで、さまざまな関連分野と連携しながら利害関係者の意見を調整し、方向付けを行わなければ前に進みません。時には、大義のために清濁併せのむ度量も求められる」先日の技師の自殺も無力感でしょうか
確かに通常業務だとクライアントの意向に沿って、如何に行政に提案を通すかですよね。
ただ今回はクライアントの住民側も真のニーズが分からなくなっていた状況かもしれません。
そして個々が思いだけで語れば纏まる事も纏まらない。その旗振り役が行政で提案チェックも行政だと大胆な案に許可は下りませんよね。
結局は誰がリスクを取り決断するか、首長が決断するなら判断出来る資料と信頼が専門家が提供できるのか。
確かにぽっと出で突飛な提案では信頼されないとしても仕方ないかも。
建築士が平素から専門以外で社会に食い込んでいる+αが大切ですね。