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岸見一郎氏・古賀史健氏インタビュー

100万部達成。それでもアドラー心理学は「誤解されている」

2016/3/4
時代を切り取る新刊本をさまざまな角度から紹介する「Book Picks」。今回取り上げる『幸せになる勇気』は、オーストリアの心理学者アルフレッド・アドラーの教えを対話形式で描き、100万部を達成した『嫌われる勇気』の続編。アドラー研究の第一人者と当代きってのブックライターに、続編執筆の動機となったアドラーへの「誤解」と、本当に読み解くべきメッセージについて聞いた。

「他者を操作する」という誤解

──本書はベストセラー『嫌われる勇気』の続編です。前作で「哲人」にアドラーの教えを受け、教師となった「青年」が「アドラーの思想は、現実社会ではなんの役にも立たない」と哲人に迫るシーンから始まります。この設定の意図は。

岸見:私の講演への反応がヒントになりました。

講演を聞いた人は、2通りの反応に分かれます。一方は内容に反発する人。もう一方は「前から知っていた」「実践していた」という人です。

嫌われる勇気』が支持された一因は、内容が完全に未知のものではなく、腑に落ちる人が多かったことにあると思います。しかし、本当に知っていたことなのか、実践できていたのか吟味しなければなりません。

だから、前作で説明しきれなかった部分をしっかり補わなければと思いました。

古賀:今回、前半部分は「教育」にフォーカスしています。アドラーは教育に力を注いだ心理学者でしたが、『嫌われる勇気』ではあまりその部分に触れられなかった。

嫌われる勇気』がアドラーの思想のすべてを表現していると思われてはならない。だから続編の『幸せになる勇気』では教育に主眼を当てたのです。2冊セットでアドラーの思想を完全なパッケージにしたつもりです。

──冒頭では哲人に「アドラー心理学ほど、誤解が容易で、理解がむずかしい思想はない」と言わせています。具体的にどのような誤解があったのですか。

古賀:最近では「アドラー心理学」を銘打った本が数多く出版されています。そこでは「部下の心を操作する」といった、人心掌握術の文脈で語られることが多い。

しかしアドラーは「他人の心を操作する」ことを最も嫌い、自分が他人に向き合う態度を変えることが重要だと説いています。まずはその誤解を解こうと思いました。

岸見:「与えられたものをどう使うかが大切だ」とアドラーは言っています。それは「使用の心理学」と説明されますが、その字面だけを捉えて、アドラー心理学は他者を操作するために「使える」という意味だと勘違いする人が多い。

古賀:あるいは、「心理学」という言葉から、「どうやったら女の子にモテるか?」といった「使える技術」を連想するのかもしれません。

岸見:心理学の本を読む人は、他人の心を類型化することに興味のある人が多い。しかしアドラー自身は、心の分析ではなく、どうしたら幸福になれるのか、どう生きていくかといった哲学的なテーマを扱いました。

アドラー心理学が発表された当時も、学者仲間が「こんなのは心理学ではない」といって彼の元を離れていきました。それと同じ違和感を持つ人がいても不思議ではありません。

古賀:人間はどんな本でも、読みたいところだけ読むものです。自分に都合のいい部分は頭に残り、耳の痛い部分は読み飛ばしてしまう。

アドラーの思想は、都合のいい部分だけピックアップしても十分に役立つ広さと深さがあるので、たとえば部下を操作したい上司が、その目的に沿う部分だけを拾い上げても役に立つ。だからこそ誤解が広まるのだと思います。

岸見一郎(きしみ・いちろう) 哲学者 1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。本書では原案を担当

岸見一郎(きしみ・いちろう)
哲学者
1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。本書では原案を担当

「迷いが晴れた」は思考停止

──哲人の「アドラーの思想に触れ『生きることが楽になった』と言っている人がいれば、アドラーを大きく誤解しています」という言葉も、そうした問題意識から来るものですか。

古賀:「読んでスッキリした」「迷いが晴れた」と感じるのは、なんらかの答えが見つかったと思っているからでしょう。しかし「答えが見つかった」と思ったら、その時点で思考がストップしてしまう。

アドラーの思想は哲学色が強いですが、哲学とは、永遠に答えの出ない問いを、最後まで答えを求めて考え続けることです。「スッキリした」「迷いが晴れた」という言葉に違和感があるのは、そうした理由からです。

岸見:私は今日、渋谷からここ(表参道の取材会場)まで歩いてきました。いつもはタクシーで向かうのですが、それでは目的地に到達できたとしても、道を知っていることにはなりません。道順を自分の言葉で説明できたときに、初めて「知っている」と言えます。

教科書も同じで、一字一句丸暗記できても、内容を理解しているとは言えません。たとえば国家試験に受かったばかりの医師は、知識のうえではベテラン医師よりも優秀かもしれない。しかし、われわれは、若手の医師は臨床経験が足りないので、不安を感じ、ベテランに任せたくなります。

今の世の中は教科書を丸暗記して「わかった」と思い、実際に道を歩いていない人があまりに多い。そうした危機感も本書に盛り込みました。

古賀:人間誰でも、答えが見つからない「宙ぶらりん」の状態は気持ち悪いんです。特にインターネットが出現してからは、グーグルで検索して簡単に答えが得られることに慣れてしまった。

だから本を読んで、すぐに「あ、これが答えなんだな」と納得しがちになる。その中で、自問自答をどれだけ繰り返せるかが知性なのだと思います。

喜びを自家発電するために

──本書の話題は「教育」から「愛」へと展開していきます。そこでは「他者から愛されること」ではなく「他者を愛すること」の重要性が説かれます。

古賀:SNS全盛の時代には、「いいね」がつくことで承認欲求が刺激されます。しかしその欲求には終わりがなく、求める限りはどこまでいっても充足できません。

一方、アドラーが示している「愛」は、誰かから与えられるものではなく、他者に対して与えていくもの。その点を必ず伝えなければと考えました。

岸見:子どものライフスタイルは「愛されるためのライフスタイル」です。子どもは無力で、親から愛されないことには、食べていけませんから。しかし多くの大人は、子どものライフスタイルから成長せずに、外見だけ大人になる。いつまでたっても「自分が世界の中心」という考えが抜けないのです。

でも、自分から能動的に愛する、成熟したライフスタイルへ変わらなければ、人類は進歩していかない。本書では読者の子どものライフスタイルからの自立を迫っているのです。

古賀:こうした話をすると、「でも実際、褒められたらうれしいじゃないか」と反応する人もいます。でも褒め言葉や拍手を受けるほど、いつまでも「もっと欲しい」と思ってしまう。本当の充足が得られない、ある意味とてもつらい生き方だと思います。

一方、他者に与え、愛することに喜びを感じられるようになれば、喜びを自家発電できる。すると幸福への道筋もはっきりしてきます。

古賀史健(こが・ふみたけ) ライター、バトンズ代表 1973年福岡生まれ。書籍のライティングを専門とし、ビジネス書やノンフィクションの分野で数多くのベストセラーを手がける。2014年、ビジネス書大賞2014・審査員特別賞を受賞。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

古賀史健(こが・ふみたけ)
ライター、バトンズ代表
1973年福岡生まれ。書籍のライティングを専門とし、ビジネス書やノンフィクションの分野で数多くのベストセラーを手がける。2014年、ビジネス書大賞2014・審査員特別賞を受賞。単著に『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

家族との距離感をどう取るか

──アドラーは「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と喝破しています。介護や子育てなど、現代では家族との関係に悩む人も多いですが、どのように向き合っていくべきですか。

岸見:今後、親の介護に直面する人は増えていきます。介護に時間が取られ、自分の仕事ができなくこともあるでしょう。しかし、そうした状況がむしろ幸福だと思えるような発想の転換をすべきです。

私は父親の介護を経験しました。最初は苦しい思いもしましたが、今となっては晩年の父に向き合えてよかったと思います。

一生懸命取り組んでも、承認欲求があればまったく満たされないことになる。それでも介護と向き合い貢献感を持つことで、承認欲求にとらわれた自分が大人になれる。そして、大人にならなければならない。

「介護はきれい事じゃない」という人はいるでしょう。でも、アドラー心理学自体が理想を追求するものです。介護に限らず、理想だけが現実を変える力があると私は思います。自分が変わることで、家族との関係は違うものになっていくのです。

古賀:私は介護も子育ても経験していませんが、第三者の立場から言うと、確かに家族関係には逃げ場がありません。

でも対人関係で大切なのは、いい意味で適度な距離を置くこと。本書でもアドラーの「課題の分離」という思想を紹介しましたが、他者の課題まで自分の責任として背負いこんでしまうと、重荷に押しつぶされてしまいます。

家族とはいえ究極的には他人なので、多少周りからドライとみられても、自分のできる範囲はここまでと線を引くべきしょう。

これは岸見さんの言葉ですが、「深刻にならずに真剣になる」のが大切です。介護も子育ても、当事者はどうしても視野狭窄になる。深刻に考え、「家族がこうなったのは私のせいじゃないか」と思いがちです。

そうではなく、一つひとつ自分ができることを真剣にやっていけば、できることはできる、できないことはできない、と整理できます。

岸見:介護中は、自分のしていることが犠牲的行為であるかのように錯覚します。「私は親に献身し、親を幸福にしなければならない」と思います。しかし、子どもといえども親を幸福にはできないのです。

子育ても同じで、「この子は私が幸福にする」と考えるのは、他人を操作することに等しい。そういう発想だと無理が生じます。

古賀:仕事もそうです。煮詰まる人はすべて自分でやろうとします。他人に協力を求めず、トラブルをひた隠しにし、最後に破綻する。アドラーのいう「他者は仲間である」という観点に立って助けを求め、逆に自分も他者が困ったときには積極的に助けていくことが大切です。

岸見:他者に援助を求めれば、その人は貢献感が持てます。つまり「他者が貢献感を持つ」という貢献ができる。子育てでも介護でも、そう思わないとただただつらいものになります。

「意地介護」(意地でも介護をしようとすること)という言葉がありますが、他人に頼ろうとしない人は、結局自分のことにしか関心がないのです。他者に関心を持てる、広い視野の人であれば、できないことはできないと言えるはずです。

まずは隣人のために尽くせ

──アドラーの究極の目的は戦争のない世界をつくることです。しかし現実には、その理想は実現していません。アドラーの理想に近づくためには、何が必要だと考えますか。

古賀:本の中でマザー・テレサの「家に帰って、身近な人に優しくしてください」という言葉を引用していますが、まずは一番隣の人に対して何かをすることです。

一個人が貢献できる範囲は、家族や友人、一部の仕事仲間に限られます。でも、その少なさに無力感を覚える必要はない。「勇気は伝播する」というアドラーの言葉通り、それが回り回って全体に影響します。

岸見:アドラーは教育現場において「叱ってはならない」と再三訴えています。私の目標は「しつけには叱ることが必要」と考える人が一人でも減っていくこと。力を使った問題解決ではなく、手間暇かかる、言葉による問題解決を目指さなければならない。

そうしたことが家庭から始まり、やがて人類全体の戦争を止める力になり得ると思います。平和や戦争反対をスローガンとして掲げるだけではなく、まずは身近な人と関係を深めていくことが必要ではないでしょうか。
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