娘の遺言「生まれ変わっても、わたしを見つけてね」
コメント
注目のコメント
涙なくして読めません。「何気ない『日常』がどれほど幸せなものなのか、立ち止まってかみ締めよう」とのこと。今生きていることは、よく考えたら奇跡のようなことです。健康なら、それだけで、何があっても乗り越えられます。健康なのに愚痴をいうのは、贅沢です。奇跡の「生」のありがたみを忘れないようにしましょう。
子どもは、大人が思う以上に周りを観察し、考え、気を遣うことがあると思います。子どもから学ぶことは多いです。日々当たり前過ぎて忘れてしまうことが多いですが、立ち止まって考える機会を意識的に持ち続けたいと思います。
4年前、小児がんで21歳で亡くなった女性の知人がいました。入退院を繰り返し、年頃の女の子だったらしてみたいだろうアルバイトもしたことがなく、それでもある場所で退院の合間に仕事を週2日ほど、数時間ずつ始めました。
私も時々顔を出し、頑張ってる彼女をすごいなと思いながら見ていました。
彼女から、「教育について今どうなっているか話したいので、お茶でもしてください♪」とメールをもらっていましたが、仕事も順調にこなしていたので体調のことはいつしか私の意識から遠のき、仕事が落ち着く数週間後にお茶をセットしました。
その日は来ませんでした。
「小宮山さんともっと教育のことについて話したかったです。」
これが彼女の最後の言葉でした。
微力ながら、少しでも教育に尽力させて頂こうと思う契機の一つになりました。院内学級というものがあります。病気などで入院している子供を訪問して勉強をして教えるというもの。
以前の同僚が、退職前の最後の勤務地に院内学級を希望しました。楽で手当がつくからだと言いました。ほんとうに嫌な人で、子供らがかわいそうだと、校長に文句を言ったりしました。
数ヶ月して、その同僚が、学校に来ました。そして、聞いてもいないのに、入院している子供達の事を熱心に話すのです。1秒も残業しなかった人が、子供が具合が悪いと言えば病院に泊まり込み、夜中に駆けつけるようになりました。
子供達によって60過ぎの男が変えられていったのです。
大人は変わらないと思っていた私の常識を覆した出来事でした。