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続・インターネットストラテジー(第3回)

【須藤憲司】イノベーションに関する美しい誤解

2016/2/27
大企業を辞め、スタートアップを起業するとはどういうことなのか。毎日、どんな難題に直面し、それをどう乗り越えていくのか。リクルートの最年少執行役員を経て、2013年に米国でKaizen Platformを創業した著者が、日々模索しながら考えた「インターネット企業を経営するためのストラテジー」をつづる。
第1回:スタートアップを経営してみて、気づかされたこと
第2回:これからのビジネスは個のエンパワーメントに賭けろ
1980年生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、リクルートに入社、マーケティング部門などを経て、その後リクルートマーケティングパートナーズの執行役員として活躍。2013年にKaizen Platformを米国で創業。現在はサンフランシスコと東京の2拠点で事業を展開。ウェブサイトの改善を容易に行えるソフトウェアと、約2900人のウェブデザイン専門家(グロースハッカー)から改善案を集められるサービスで構成される「Kaizen Platform」を提供。大手企業170社、40カ国で3000のカスタマーが利用している

1980年生まれ。早稲田大学商学部を卒業後、リクルートに入社、マーケティング部門などを経て、その後リクルートマーケティングパートナーズの執行役員として活躍。2013年にKaizen Platformを米国で創業。現在はサンフランシスコと東京の2拠点で事業を展開。ウェブサイトの改善を容易に行えるソフトウェアと、約2900人のウェブデザイン専門家(グロースハッカー)から改善案を集められるサービスで構成される「Kaizen Platform」を提供。大手企業170社、40カ国で3000のカスタマーが利用している

オープンか?クローズか?

先週の記事もたくさんのコメントをありがとうございます。日曜が楽しみになったというコメントがうれしかったです。私も毎週日曜が楽しみです。

さまざまな方が「クローズとオープンのキワがこれからの企業競争力を変える」という点に反応していただき、私自身も勉強になりました。

リンクアンドモチベーションの麻野さんの組織人事という観点から、深い考察をいただきました。私も新しい時代のマネジメントについて興味があるので、バーナードを読んでみます。そして、この連載の中で「新しい時代のマネジメントのあり方」について書いてみたいと思います。

せっかく現在進行形の連載なので、まさに「オープンか? クローズか?」のテーマで自社のタイムリーな経営判断とそれにまつわるジレンマから、今日はイノベーションについて再考してみたいと思います。

“オープン”は弱者の戦略

ちょうど今週の話ですが、私の経営しているKaizen Platformでプラットフォームをオープン化し、電通、パソナ、サイバーエージェント、クレディセゾンなど19社と連携しながら、より多くのウェブサイトの改善を実施していくグロースハックパートナープログラムを開始することを発表しました。

これまで自社で展開してきたノウハウや実績をプラットフォームを通じてオープン化。ウェブサイトの改善によって、クライアントの事業成長に貢献するビジネスを展開するプレーヤーを増やすことで、エコシステムの売り上げを早期に約100億円規模へ持っていきたい。そういう狙いで始めました。

要は、スタートアップ1社では、サイト改善市場が大きくなるのに時間がかかってしまうので、もっとさまざまな企業と組みながら産業として拡大していくためのスピードを上げるという選択をしました(詳細はこちら)。

グロースハックパートナー参加企業

グロースハックパートナー参加企業

たくさんのジレンマ

このプランに行き着くまでに、いろいろな議論がありました。

元来、自社で営業し自社でカスタマーサクセスというチームをつくり、多くの企業さまのウェブサイトの改善を垂直モデルで実施してきましたが、自社だけではなかなか業務のスケールが望めないという状況が続いていました。

そこで、当初は業務の効率化やシステムでオートメーションを図ろうと進めていたのですが、これがなかなか進まない。

それもそのはずです。効率化やオートメーション化に必要な標準化がなかなか進まなかったのです。それは、企業の課題や体制によって求められるサポートが微妙に異なるからです。

いろいろ議論する中で出てきたのがプラットフォームをオープン化するというアイデアでした。いわば苦肉の策だったわけです。
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当初は社内に反対の意見がありました。

「これで本当に良いサービスが提供できるのか」

ただ、よく考えていくと、われわれはお客さまのビジネスが改善できればいいわけで、その強みはサービス業ではなく、プラットフォームにあります。

もちろん自分たちでサポートのサービスレベルを改善していくことも重要ですが、われわれのプラットフォームがさまざまなサービス提供をされている企業の業務プロセスに組み込まれるほうがスケールも効きます。何よりも価値の在り方が多種多様に進化していくことができると判断しました。

たとえば、採用サイトを提供しているリクルートジョブズさんが構築した採用サイトの改善を提供していただく。

たとえば、エンジニアやデザイナーやディレクターを派遣しているパソナテックさんが派遣している企業さまの運営サイトで常駐しているスタッフの方の業務に組み込んでいただく。

これらは、自社では提供できない価値です。自社内に閉じて自社内固有の業務プロセスを改善していくよりも、外部にプラットフォームをオープン化し、汎用的に使っていただけることを選びました。

判断とは諦めたことを明確にすること

この議論や意思決定を通じて、もし自分たちが強者だったらそんな戦略を取っていたのかな、とふと疑問に思ったのです。

幸運にも、ユーザーインターフェース(UI)の改善はとても費用対効果が高い。

新しいユーザーを連れてくるには、お金がかかりますが、今いるユーザーを動かすのは、そんなにお金がかかるわけではありません。

その市場性がわかっていれば、垂直統合したビジネスを展開していくほうがもしかしたら収益性の観点だけをみれば良かったかもしれません。ただ、時間がかかります。

われわれは、自分たちを弱者だと認識しているので、オープンにすることで、時間を短く、そして、産業そのものを大きくすることができるのではないか、と判断しました。

正解かどうかは、連載の第1回でもお伝えした通り、わかりません。

ただ、今日私が皆さんにお伝えしたかったのは、正解かどうかではなくて、議論の過程の中にあった自分自身の大きな誤解についてです。

イノベーションの美しい誤解

この議論の過程で、もしかしたら僕は大きな誤解してたんじゃないかなと思うようになりました。シュンペーターの定義によれば、イノベーションは下記の5つの新結合となっています。

・新しい財貨すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨、あるいは新しい品質の財貨の生産

・新しい生産方法の導入

・新しい販路の開拓

・原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得

・新しい組織の実現

今回のオープン化の議論は、このうちの当社としてみれば、新しい生産方式、新しい販路の獲得に乗り出していることになりますし、パートナー企業から見れば、原料あるいは半製品の新しい供給源になります。

一つのイノベーションを仕掛けようという話になるわけです。

そう考えたときに、過去のさまざまなイノベーションがあたかも狙って実現されたように思っているが、それらのほとんどは仕方なく、あるいは苦肉の策から現在のかたちになっていったんじゃないか、と思うようになりました。

よく言われる持続的イノベーションも破壊的イノベーションも、本当にそれが意図されて実行されていたんでしょうか。

結局、われわれは過去の素晴らしいケーススタディをみながら、それらを卓越した説明技術で振り返っている素晴らしいビジネス書によって大きな、美しい誤解をしているような気がするんです。

そのような意図を最初から持ってイノベーティブと言われる新製品や新サービスが生まれたんでしょうか。

無知こそスタートアップの強み

物事を始めるときは、常に無知です。世の中には無知じゃないと始められないことのほうが多いんじゃないかと思います。

恋愛、スポーツ、就職、結婚、育児……。

その難しさを知っていたら、その困難さを熟知していたら、それを始めていたでしょうか。私にとって、その最たるものが起業でした。

グローバルで
民主的で
素晴らしいテクノロジーで
世界を席巻する企業
を自らつくり出す

という妄想に取り組み始められたのは、すべて私が無知だったからだと今は自信を持って言えます。

逆に、私がもしこのプロセスにまつわるすべてのハードルを知っていたら、絶対にKaizen Platformは生まれていなかったと言えます。その意味では、「無知こそがすべてのイノベーションのはじまり」と言うこともできます。その挑戦は無知により始まり、挑戦と引き替えに無知を失っていきます。

変なアイデアが世界を変える

常にこれで本当に正しいのかな、と本質的な思考を深めることは大切ですが、それは時に知識や経験によって妨げられてしまいがちです。

よく見てみてください。一見変なアイデアが世間を席巻しているじゃないですか。エアービーアンドビーやウーバー、グーグルやアマゾンだって今では当たり前ですが、最初は変なアイデアや狂ったプランに映ったと思います。

無知や経験がないことを恐れる必要はありません。恐れるべきは、フレームから考えて新しいことに挑戦しないことや、セオリーにとらわれすぎて本質を捉え直す姿勢を失ってしまうことじゃないでしょうか。

隅っこから次の中心が生まれる

突然ですが、私はサブカルチャーが結構好きです。

詳しくはないので、いろんな人が教えてくれる新しいアニメや新しいゲームについて、自分で買って見てみたり、体験してみると「なるほど。これは面白いな」と思うものがたくさんあります。

そして同じ感覚で、絵が好きです。中でも好きなのが、横山大観、ロートレック、そしてモネが好きです。

もちろん全員、今となっては大家として認められていますが、私は若い頃、まだ無名の頃の絵が好きです。絵は静かですが、ほとばしるようなエネルギーを感じます。

皆、最初は主流ではないサブカルチャー、あるいはカウンターカルチャーと言われる、いわゆる非主流、反主流と言われるカテゴリでした。

別に絵に限りません。たとえば禅だって当時からしてみれば、サブカルチャーだと思います。

ルネサンスだって、歌舞伎だって、ロックだって、テレビだって、最初はみんなサブカルチャー、カウンターカルチャーだったんです。新しいものは、いつも中心ではない隅っこから生まれていることを忘れてはいけないと思うんです。

大抵の人は、主流の中にいることを望みます。そして新しい潮流はそこから遠いところから生まれ、そこでもがいていくいく中で、その流れが無視できない大きなうねりとなり、いつしか主流になっています。

イノベーションのジレンマというクリステンセンの本は有名ですが、その続編でイノベーションへの解という本は、あまり有名ではないかもしれません。でも、同じかそれ以上に名著だと思います。とても面白い本でした。

その中で、「ローエンド型破壊」「新市場型破壊」という風にイノベーションを分類する言葉が出てきます。

ローエンド型破壊
既存企業が相手にできないローエンド市場を取り込んで、既存企業が取り込んでいるハイエンド市場を脅かすイノベーション

新市場型破壊
無消費な顧客を掘り起こし、新しい顧客を創造していくイノベーション

面白いですよね。ローエンド型破壊は既存企業が利益が圧迫されるので撤退した顧客群。新市場型破壊は、既存企業がそもそも対象としていない顧客群。どちらも、隅っこです。中心から外れた領域なんです。

イノベーションの大家クリステンセンも、イノベーションは隅っこから生まれてると説明しているわけです。

隅っこを侮るなかれ

最初の問いに戻ります。本当に、われわれが思いつくようなイノベーティブなサービスは意図されて実行されていたんでしょうか。そして、それは本当に強者の戦略だったんでしょうか。

私には、そうは見えません。その世界では中心から外れた隅っこにいて、一般的に見たら弱者と見える人たちが、自分たちができないことを認めた結果として生まれ、自分たちにできることを磨いていった結果、いつしか大きくなったんじゃないでしょうか。そう思うと面白いですよね。

NewsPicksのコメントを拝見していると、学生さんが結構いることに驚きました。そして、コメントの質が高いことにも。有名企業の名前で、思いきりコメントの質が低い人だってたくさんいます。こういうことを言うと怒られちゃいますけど。

ただ私が言いたいのは、今立場が何にもない人、中心から外れたところにいる人は、チャンスだということです。次のイノベーション、次の主流はあなたやあなたの近くから生まれてくるわけですから。ワクワクしてきますよね。

今主流、あるいは中心に近いところにいる人は、ぜひ隅っこにいる人や弱い立場にある人を刮目(かつもく)しておいたほうがいいと思うのです。そこから生まれる次の潮流を中心に取り込む役割を果たす人も、社会の変化の過程には必ず必要です。

次のイノベーションは、あなたの近くにいない、あるいはあなたが目も当てていないところからある日突然大きなうねりとなって現れるんです。そう思うと、どんな周辺だって傍流や亜流だって、その大きな可能性を秘めているのです。

わずか7年前に登場したウーバーは、今や巨大な自動車産業や物流産業を巻き込んだ産業の構造転換の中心的役割を果たそうとしています。

歴史は繰り返す

このことはバカにしないほうがいいです。歴史が証明してますから。

今から約120年前の1989年のニューヨークで行われた第1回国際都市開発会議のトップアジェンダが何だったか知っていますか。

「馬糞」です。当時のマンハッタンの交通手段は、「馬車」でその馬が撒き散らす馬糞が当時の深刻な都市問題だったわけです(参照はこちら)。

その都市問題は、たった20年後に一人の技術者が生んだイノベーションによって解決していきます。皆さんご存じのヘンリー・フォードです。T型フォードは、ちょうどその会議から20年後の1909年に発表されます。

私は、専門家じゃありませんので詳しくは知りませんが、当時の主流の人たちが真剣に「馬糞」の問題について議論をかわし、解決に向けて幾多のアイデアが実行されたことと思います。その問題を、当時は何者でもなかった技術者が解決していくわけです。

今に目を向けてみてください。今やインターネット業界の中心はシリコンバレーです。ただ、そのシリコンバレーだって最初は単なる田舎でした。田舎も隅っこですよね。

トランジスタを発明したショックレー半導体研究所という主流を裏切って、飛び出した8人がつくったフェアチャイルド・セミコンダクタがシリコンバレーの始まりだといわれています。

世界の隅っこで、主流を飛び出してその中の隅っこにいった優秀な人たちが今のシリコンバレーの原点なわけです。面白いですね。フラクタル(相似形)ですね。

そう見ると、幾多の主流から、隅っこへ飛び出した起業家が、イノベーションを生み出しているように見えてきませんか。

次のシリコンバレーは、きっとまた違う隅っこから生まれるんでしょうし、次のフェアチャイルド・セミコンダクタはもしかしたらあなたが主流を裏切って生み出すのかもしれません。

私自身、今は上場し大企業となったリクルートを飛び出して、ビザもないのに英語もたいして喋れないのに米国で起業したのも、こういった考えがどこかにあったからだと思います。

「リクルートの看板でいけばいいじゃないか?」

「ああ、それじゃあなんとなくですけどダメなんですよ。裸足で、全裸で行かないと」

私が退職するときに、ある役員とした会話のやり取りです。笑っちゃいますよね。これが「そうか。じゃあ仕方ないな」とまかり通ったんですから、もっと笑っちゃいますけど。

私は、イノベーションに関して美しい誤解をしていたように思います。

イノベーションを本当に起こしたいと望むのであれば、美しく組み上げられたロジックや読後感の素晴らしい教科書を読むよりも(もちろん読んでもいいのですが)、自らが中心を飛び出し、隅っこに身を置くことが一番の近道じゃないか、とふと思ったのです。

その世界の中心にいないことで、自分たちにできないことがよく見えるようになり、諦めることをたくさんしているおかげで、皮肉にも少しだけイノベーションについて、つかめてきたような気がするのです。

*本連載は毎週日曜日に掲載します。