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広瀬一郎インタビュー

わずか13年前。日本で「スポーツマネジメント」が生まれた瞬間

2016/2/24

スポーツビジネスのパイオニアである広瀬一郎は、過去10年以上にわたってスポーツ業界に人材を送り続けた。

ガンバ大阪の新スタジアムである市立吹田サッカースタジアムの建設に貢献した金森喜久男や、「ロッテ改革」に尽力した荒木重雄、今季からJリーグ入りする鹿児島ユナイテッドFCの代表を務める徳重剛など、当連載に登場してきた人物たちも広瀬との関わり合いは深い。

「財を遺すを下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」といわれるほど、尊く難しいこととされている人材育成について、広瀬の思いを聞いた。

広瀬一郎(ひろせ・いちろう) 1955年静岡県生まれ。東京大学卒。1980年、電通に入社してW杯やサッカーイベントのプロデュースに携わる。1994年11月、2002年W杯招致委員会事務局に出向し、W杯招致に尽力した。1999年12月にJリーグ経営諮問委員会委員に就任。2000年に電通を退職し、インターネットメディア『スポーツ・ナビゲーション』を立ち上げて代表取締役を務めた。2004年にスポーツ総合研究所を設立。現在はスポーツマネジメントスクールのチーフコーディネーターとして、スポーツビジネスの人材育成に力を注ぐ

広瀬一郎(ひろせ・いちろう)
1955年静岡県生まれ。東京大学卒。1980年、電通に入社してW杯やサッカーイベントのプロデュースに携わる。1994年11月、2002年W杯招致委員会事務局に出向し、W杯招致に尽力した。1999年12月にJリーグ経営諮問委員会委員に就任。2000年に電通を退職し、インターネットメディア『スポーツ・ナビゲーション』を立ち上げて代表取締役を務めた。2004年にスポーツ総合研究所を設立。現在はスポーツマネジメントスクールのチーフコーディネーターとして、スポーツビジネスの人材育成に力を注ぐ

日本スポーツにおける2つの欠落

──広瀬さんは電通時代に2002年ワールドカップ(W杯)の招致活動に尽力し、トヨタカップ(現クラブW杯)のプロデュースもされました。電通退職後もウェブメディア「スポーツ・ナビゲーション」を立ち上げるなど、日本におけるスポーツビジネスを切り開いてきました。現在は人材育成にも力を入れられていますが、きっかけは何だったのでしょうか。

広瀬:常々、日本のスポーツ界が健全な発展をするには2つの欠落部分があると思っていました。1つはベースの部分として、「スポーツ」と「体育」を混同していることです。

もう1つが、ヒエラルキーの一番上に位置するトップスポーツに関してでした。もともとスポーツはビジネスと考えられていなかったこともあり、世界的な傾向としてビジネスという視点が欠落していたのです。

──ビジネス視点の欠落について、詳しく教えてください。

イングランドのサッカーも、プレミアリーグが誕生するまではリーグ関係者たちが「興業」として甘んじて、「ビジネス」と見なしていなかった面がありました。たとえば、スタジアムは酷い設備で、フーリガンがやりたい放題という状況。スタジアムを気持ちの良い空間にすることや顧客満足、財務などをまったく考えていなかったのです。

しかし、1980年代末から1990年代にかけた世界的なマネジメントの流れの中で、マネジメントを重視したプレミアリーグが1992年に発足したのです。

──なるほど。

スポーツにおけるマネジメントといえば、現在も選手のマネジメントをイメージする方が多いのが現状です。しかし、日本の一番の欠落部分はトップスポーツにおける経営や法務、財務などのマネジメント。そこが緊急度や影響力、本質的な観点などを考えると、やはり心もとないという思いがありました。

それに、2001年にスポーツ振興くじ(toto)が始まった際、助成事業の対象に「マネジメント人材育成」があったのです。しかも、助成金は月額70万円で、年間では840万円。ただ、素晴らしい制度でしたが、監督省庁である文部科学省が驚いたのは助成金申請の少なさ。当初見込みの半分しか申請がなかったのです。

聞いてみると、マネジメント人材を採用するための助成金にもかかわらず、そもそも採用できる人材自体が少ないということがありました。その話を聞いて「改善の余地はあるかな」と思って、スポーツマネジメントにおける人材育成の必要性を感じたのです。

日本全国のGM総入れ替えが目標

──それが2003年に始まり、現在も続くSMS(スポーツマネジメントスクール)につながるわけですね。ちなみに、日本のスポーツにおける問題点を変えるために、どのようなことを考えていたのでしょうか。

初めに考えていたことは、日本中のスポーツチームにおけるGMを入れ替えるということでした。当時は競技を問わず、全国に“日本リーグ”と呼ばれるものが、29大会ありました。各リーグに平均10チームが所属しているとすれば、全国で約300チーム近くあることになります。

その約300チームのGMをすべて入れ替えたとすれば、日本のスポーツも変わるのではないか、という仮説でした。その仮説に基づき、GMにはどのような能力が必要なのかという話から、経営学や法務、人事、財務などを教えていき、毎年30人ずつの優秀な人材を10年間にわたって送り出せないだろうかと考えました。

何かを始める際の基準という考えでしたが、現実としてはGMを入れ替えるほど、チーム側も柔軟ではありませんでした。とは言え、SMSをきっかけに多くの人材がスポーツ業界に実際に入ってきました。

──発足当時は、日本にスポーツビジネスという言葉も浸透していなかったと思います。

ところが、東京大学の本郷キャンパスで行われた第1回は、定員50人のところに85人も集まり、ビックリしましたよ。みんな「おまえら、詐欺していないだろうな」というような鋭い眼光でしたね(笑)。

──参加者の視線が厳しかった理由はなぜですか。

当時の日本にはスポーツマネジメントという考えがありませんでしたから、要するに「スポーツマネジメントと言い出した人間は、どんな顔をしているのか」と見に来ていたのだと思います。「変なことを言ったら承知しない」という殺伐とした雰囲気で、85対1の勝負のようでしたね。

──何かを求めているという感じでしょうか。

中には、北海道や九州、名古屋から毎週通っている方もいました。当時は今と異なり、スポーツビジネスについての情報が手に入りませんでしたから、みんな必死でしたね。

スポーツビジネスの特殊性は5%

──スポーツビジネスとほかのビジネスの違いについても教えてください。

スポーツビジネスもやはりビジネスです。感覚的に言えば、95%はほかのビジネスにおける事例で応用できます。ですから、残りの5%が何なのか理解できると、ほかの業界で成功した方々の手腕で、ビジネスとして成立させることができます。

僕自身、その5%を教えることに徹しました。ビジネスでの常識的なことはほかで勉強してもらい、スポーツは何が違うのかという部分だけに焦点を当てていましたね。

──ちなみに、その残りの5%における、スポーツビジネスとほかのビジネスとの違いはどういう部分になるのでしょうか。

決定的な違いは、単独では商品をつくれないということ。そのようなビジネスは、ほかにないと思います。

商品は試合ですから、たとえばジャイアンツだけで試合をすることはできません。そうでなければ、紅白戦におカネを払うことになります。単独で商品を完成させることのできないビジネスは、僕の知る限りほかにはありません。その点がスポーツビジネスの最も大きな特徴で、ビジネスにおけるノウハウなどに非常な大きな影響を与えていると思います。

──確かにスポーツは対戦相手があって成り立ちます。

商品が試合ということは、商品の開発やクオリティを上げるためには、対戦する両チームが高いレベルで拮抗(きっこう)状態をつくるということになります。そうなると、単独での企業努力というのは意味がありません。そのような産業はスポーツ以外にないと思います。

プロ経営者はこれから生まれる

──今後のスポーツ界の人材育成についてどのように考えられていますか。

かつて、元日本代表監督の岡田武史さんが、「Jリーグが始まって10年で選手がプロになり、次の10年で指導者がプロになり、次の10年で経営者がプロになります」と語っていたことがあります。

プロになるとは、市場にさらされるということです。たとえば中村俊輔選手はプロとして市場にさらされた結果、商品価値があったことで海外移籍も果たしました。岡田さんも自分で実践するために、日本国内ではなく、監督として海外挑戦したいという強い思いを抱き、2012年から2年間にわたって中国の杭州緑城で指揮しました。

経営者については最近の動きを見ていると、プロになるまでのスパンは、10年ではなく20年ではないかと感じます。ですから、この20年間でどうなっていくのかというところではないでしょうか。

そんな中で、去年からJリーグが経営人材育成プログラムである「Jリーグ・立命館『JHC教育・研修コース』」を始めました。こういう動きから、スポーツ界でも「経営とは何か」「ビジネスとしてものを考える」「人材を育てないといけない」と考え始めているのだと思います。

──広瀬さんがまいた種から、芽が出始めていますね。

僕自身、一番最初の構造をつくるのは得意ですが、その後はみんなの手によって完成させてほしいという思いでいます。僕は1つのプロトタイプを提案したわけで、それに乗っかってもいいし、付け加えても、削られても構いません。

さまざまな方々がそれぞれの立場でスポーツビジネス、スポーツマネジメントの参考にしてくれればいいという考えです。僕も昨年に還暦を迎えていつまでも若いことは言っていられませんから、次の世代に頑張ってほしいですね。

(写真:編集部)