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金メダリストの創り方【第12回】

【最終回】天才体操選手・白井健三を育んだ「家族の約束」

2016/2/18

・嘘はつかない
 ・約束は守る
 ・姑息(こそく)なことはしない
 ・物を大切にする

これは、体操日本代表・白井健三の父、白井勝晃が、3人の息子と交わした「家族の約束」だ。長男が12歳、次男が9歳、健三が6歳のときのことである。

高校教師として体操部の顧問を務めていた勝晃が、ちょうど教員を辞めて「鶴見ジュニア体操クラブ」を立ち上げて多忙を極めていた時期だった。なかなか子育てに時間を割けない中、3人に「他人に迷惑をかけないために、最低限守らなければいけないこと」を伝えようと思い立っての行動だ。

子ども3人とカレンダーに署名

勝晃は、3兄弟それぞれに署名をさせたうえで自分の名前も記した。そして、「世の中で、サインするということは本当に守るということだ」と教えてリビングの壁に貼った。

誰かが約束を破ると、そのたびに家族ミーティングを開いた。

「俺たちがしたのは、口約束じゃない。サインしたというのはどういう意味なんだ? 人と人との契約だから、この約束だけは守らなきゃいけない」

重要なのは、ここからだ。

カレンダーの裏紙には、勝晃も署名をしている。ということは、親である勝晃こそ率先してこの約束を守らなければならない。

「大人には嘘も方便という言葉があるんだ、なんて言ったらダメなんです。子どもに対して親が守ると宣言していることだから、変なことはできないんですよ」

白井健三の父・勝晃氏は日本体育大学出身の元体操選手。息子たちを優秀なアスリートに育て上げた

白井健三の父・勝晃氏は日本体育大学出身の元体操選手。息子たちを優秀なアスリートに育て上げた

10分でG難度の技を実現

教員時代から大勢の子どもを教えてきた勝晃は、早くから健三の才能に気づいていた。5歳のとき、オープン枠で小学生の大会に出場すると、ゆか運動では優勝した次男の点数8.60を上回る8.65を記録している。

さらに跳馬と、子ども用のあん馬である円馬という競技では、ほかの子どもたちの演技をマネて、それまで1度もできたことのなかった技を成功させた。

中学2年生のときには、内村航平がゆか運動で最難関のG難度の技「リ・ジョンソン」(後方抱え込み2回宙返り3回ひねり)を成功させた際の映像を繰り返し見て、翌日、たった10分で再現してみせた。

全力で体操をやる意味

健三は観察眼と模倣能力に優れていて、目にした技をすぐに再現することができた。

もはや誰から見ても健三の才能は突出していたが、勝晃は長男、次男のときと同じように、健三が中学2年生になったときに、「これからどうしたいのか」と意志を確認した。

「もしトップを目指すなら、1日5、6時間練習しなければならない。そうなると塾に行くこともできないから、勉強は学校でしっかりやってもらう。友だちと遊ぶ時間もなくなるから、体操クラブの子たちと仲良くしてもらうしかない。それでも本気で体操をやるか?」

健三は迷わず答えた。

「本気でやります」

勝晃にとって、この言葉が重要だった。6歳の頃から「家族の約束」を守ることを徹底されてきた健三が、自らの意志で親に宣言した。それはつまり、必ずやるという意味だ。

健三の返事を聞いた勝晃は、息子を全力でサポートすると腹をくくった。

一つが突出すれば、傘が広がる

体操業界では、長年にわたってオールラウンダーの選手が日本代表に選ばれてきたという伝統があった。

しかし、小学生の頃に健三から「ゆか(運動)が好き」と聞いていた勝晃は、「それならゆか運動を頑張れ」と伝えてきた。勝晃には教員時代から「好きなことをてっぺんまで」という哲学があったからだ。

「何でもいいから好きなことをひとつ見つけて、それだけ強くなればいい。一つが突出したら、傘が広がっていくんだという考え方です。てっぺんまで目指せない子は嫌いなものを伸ばすことも必要になるかもしれないけど、その中でも好きなものを見つけてほしい。その好きなものが、先々の糧になるからと言い続けてきました」

健三が中学2年生でトップを目指すと決めた後も、満遍なく力を伸ばすのではなく、ゆかで「てっぺん」をとるための練習をした。

健三を育んだ秘密兵器

その秘密兵器となったのが、「跳ねないタントラ」だ。タントラとは、ゆか運動における宙返りやひねり技を練習するための細長いトランポリンで、より長い滞空時間の中で身体の動きを確認するために、本番で使うフロアの1.5倍ほどの反発力がある。

日本でも広く使われていたが、勝晃は、反発力が強すぎて実践的な練習に向かないと判断。業者と組んで独自に改良を加え、本番の反発力に近い「跳ねないタントラ」を開発した。

「どうやったら子どもたちを世界に通用する選手にできるのかを考えて、開発しました。タントラには500本のバネがあって、反発力を抑えるために全部のバネを20センチのものから10センチに付け替えたんですが、バネを1本入れるのに40分かかるんですよ。それを500本。とんでもないですよね(笑)」

「跳ねないタントラ」は健三だけのためにつくったものではないが、健三がゆか運動に磨きをかけるうえで不可欠の存在になった。

練習場に設置されたタントラ

練習場に設置されたタントラ

最年少で世界選手権優勝

その成果は、圧倒的だ。

2011年、健三が中学3年生のときに種目別の全日本選手権・ゆか運動で内村航平に次ぐ2位に。この活躍が認められて翌年、中国で開催されたアジア体操競技選手権では日本代表に抜てきされ、ゆか運動で優勝した。そして2013年、史上最年少の17歳1カ月で世界選手権のゆか運動を制し、金メダルを獲得。昨年の世界選手権でも金メダルに輝いている。

「好きなことをてっぺんまで」という勝晃の信念と健三の存在は、体操協会も動かした。日本代表の選考基準が、従来のオールラウンダー一辺倒ではなく、健三のようなスペシャリストも選出されるように変更されたのだ。

2013年世界選手権では写真の二つの技を含め、3つのオリジナル技青披露した

2013年世界選手権では写真の2つの技を含め、3つのオリジナル技を披露した

家でも大会でも全力サポート

「背中を押し続ける」と覚悟を決めた勝晃によるサポートは、家ですごす時間にも及ぶ。

白井家ではテレビのチャンネルの主導権を子どもたちが握っているだけでなく、子どもたちが脱ぎ捨てたジャージーを回収しての洗濯、食器の片づけ、部屋の掃除など身の回りの世話はすべて妻の徳美さんが担当してきた。

「最初は妻に過保護じゃないかと言ったんですが、『子どもたちがどれだけ外で戦ってきてると思うのか、子ども中心のリビングにしてあげないといけない』と言われて、ハッとしました。普通の子であれば、放課後や休日に友だちと遊びに行く。でも、うちの子たちはそれができないから、家で発散するしかないですよね。それからは、子どもたちが誰にも気兼ねなくリビングを使えるようにしました」

そこまで甘やかして大丈夫か、と疑問に思う人もいるかもしれないが、3兄弟は好成績で高校を卒業し、家を出た瞬間から身の回りのことはすべて自分でやるようになった。おそらく3兄弟は親の愛に甘えながらも、巣立ちのときを自覚していたのだ。そして母親の後ろ姿を見て、いずれ自分でやるべきことをしっかりと学んでいたのだろう。

子どもが本気なら、親も本気

さらに勝晃と徳美は、息子たちの試合があるときは、どこで開催されても必ず夫婦で現地に観戦に行く。会場では最前列で声援を送る。それは、「お前らが本気でやるなら、本気で応援する」という姿勢を見せるためだ。

「背中を押し続ける間は、こちらがブレていないという証拠を見せなくてはいけない。俺は仕事が忙しくて行けないからと言った時点で、大きな約束違反になる。息子たちが現役を続けている以上、それはやってはいけない裏切りでしょう」

長男がアジア大会の日本代表、健三が世界選手権の日本代表になったときには、まずアジア大会の会場である韓国のインチョンに応援に行き、帰国後すぐに世界選手権が行われる中国の南寧に向かった。

「さすがに気持ち悪くなった」と振り返るが、どんなことがあっても夫婦で会場に駆けつける。勝晃は、「親バカと言われてもいい。子どもの一番のファンは親なんです」と言い切った。

親にも子育ての重圧がある

「3人の息子には同じように接してきましたが、違いがあるとしたら環境です。私は2008年と2012年に体操専門の体育館をつくりましたが、ちょうど健三の成長のタイミングに合っていた。長男や次男には、何かひらめいたときすぐに家の近くにある体育館で試すことができる環境を与えられませんでした」

「跳ねないタントラを含めて、健三にはこれ以上ない環境をプレゼントしてあげられたと思っています。結果的に、健三という一人のエンターテイナー、スーパースターをつくるために、物心ともにできることはすべてやってきました」

そう語る勝晃からは、達成感とともに安堵(あんど)もうかがえた。明らかな天賦の才に恵まれた子を真っすぐに育て上げるために、少なからず重圧もあったはずだ。

親として、指導者として、ことあるごとによりどころになったのが「家族の約束」だった。

・嘘はつかない
 ・約束は守る
 ・姑息なことはしない
 ・物を大切にする

4つの約束事が記されたカレンダーの裏紙は、今も白井家のリビングに貼られている。(文中敬称略)

(撮影:川内イオ)

*本連載は今回で終了します。

<連載「金メダリストの創り方」概要>
4年に1度行われるオリンピックは、スポーツ界で最も過酷な大会の一つだ。国中の期待を背負う重圧は壮絶極まりなく、目の前の相手はもちろん、自分との戦いに勝って初めて金メダルを獲得することができる。選ばれし者の舞台に立つまでにアスリートは自身をいかに鍛え、また各競技団体はどうやって世界一になれる選手を創り上げているのかをリポートする。