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勝者5人目:伊藤華英(第2回)

一つのことをあきらめると、最悪、人生をあきらめることになる

2016/2/16
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鈴木大地さんに「五輪に行きたかったら一日一善しろ」と言われたのは、アテネ五輪の年の日本選手権で負けて、2008年の北京五輪に向けて動き始めたときでした。

自分でも絶対に行けると思っていたアテネ五輪を逃して、初めて負ける悔しさを味わいました。選手はゴールにタッチした瞬間に、五輪に行ける人と、行けない人に分かれてしまいますよね? 

五輪出場が決まった人は拍手喝采で迎えられ、五輪を逃した人は「次、頑張って」と慰められる。一方の私は仲間たちから「五輪、行けなかったね」と声をかけられるのがすごくつらくて、こんな経験は二度としたくないと思ったんです。

それまでは、ただ楽しく泳いでいたから迷いはなかったけれど、あのときの日本選手権で負けた直後は本当に苦しかった。

鈴木大地の言葉で人生が変わった

五輪に出場できるのは、「あいつに勝って俺が五輪に行くんだ」と思える選手です。

でも私は、トレーニングをしてタイムが伸びたり、自分が上達していくのを感じたりするは好きな一方、誰かに勝つことで優越感を味わうタイプではなくて、全然負けず嫌いではありません。

子どものときは、部屋に11人いてお菓子が10個しかなかったら、私はいらないというタイプでした。大人になってからも、本当にアスリート同士の争いが嫌だったんです。

だから正直、「楽しいままでいられないなら、もう泳ぐのは嫌だな。普通の生活がしたいな」という気持ちもありました。「大学受験したかったな。勉強して早稲田とか、別の大学に入りたかったな」と思ったこともあります。

そんなときにたまたま、NHKで放送していた鈴木大地さんの番組を見たんです。番組の中で、大地さんは「いつの日か自分の道が見えてくるから、競技者として頑張らなければいけない」と言っていました。

その言葉を聞いて、「日本選手権までの私はなんとなく競技というフィールドにいたけど、今、自分で道を決めるときが来ているんだ」と感じました。

 伊藤華英(いとう・はなえ) 1985年埼玉県生まれ。東京成徳高校時代に東京都代表として国体に出場。2004年アテネ五輪出場をかけた日本選手権の競泳200メートル女子背泳ぎでは3位となり出場権を獲得できなかったが、2006年日本選手権では同種目で日本新記録を樹立して優勝。2008年日本選手権では100メートル女子背泳ぎで日本新記録をマークし、同年の北京五輪には100、200メートル女子背泳ぎで出場した。2012年ロンドン五輪では女子4×100メートルリレー、女子4×200メートルリレーに出場し、7位と8位。同年限りで現役引退。現在は順天堂大学博士後期課程スポーツ健康科学研究科精神保健学を専攻し、非常勤講師として一般水泳と体育会水泳を指導している

伊藤華英(いとう・はなえ)
1985年埼玉県生まれ。セントラルスポーツ所属。東京成徳高校時代に東京都代表として国体に出場。2004年アテネ五輪出場をかけた日本選手権の競泳200メートル女子背泳ぎでは3位となり出場権を獲得できなかったが、2006年日本選手権では同種目で日本新記録を樹立して優勝。2008年日本選手権では100メートル女子背泳ぎで日本新記録をマークし、同年の北京五輪には100、200メートル女子背泳ぎで出場した。2012年ロンドン五輪では女子4×100メートルリレー、女子4×200メートルリレーに出場し、7位と8位。同年限りで現役引退。現在は順天堂大学博士後期課程スポーツ健康科学研究科で精神保健学を専攻し、非常勤講師として一般水泳と体育会水泳を指導している

自分にできるのは練習での努力

最終的に競技を続ける道を選んだのは、コーチに「競技人生は人生の縮図だ。おまえがここでもしあきらめたら、おまえの人生は一生あきらめることになるぞ」と言われたことも大きく影響しています。それだけは嫌だったから、人生をあきらめないために競技人生もあきらめないでチャレンジしようと思いました。

そして16歳の頃からずっと日本代表で一緒だった仲間たちがアテネで頑張っている姿を見ていたら、悔しくなってきて、「もっと頑張ろう、次は五輪に出てやるぞ」という気持ちになったんです。

そのために自分に何ができるかを考えたら「練習を頑張るしかない」と思ったので、当時のノートに「4年間、絶対に練習を休まない」と書いたのを覚えています。

五輪になぜ「一日一善」が必要か

私のコーチは鈴木大地さんを育てた方なのですが、次の北京五輪を目指して練習を始めたときに、こう言われました。

「五輪に行くために、大地は一日一善していたぞ」

「え? 本当に?」と思って大地さんに確認したら、「そんなのやったに決まってるだろう? おまえも五輪に行きたかったら、一日一善しろ。本当に行きたいと思っているなら、毎日やれ。俺はやったぞ」と言われて、私もその日から始めました。

主な活動は、トイレに入ったときに次の人が気持ちよく使えるように、トイレットペーパーを三角に折ること(笑)。あとはちょっとしたゴミを拾うとか、電車でお年寄りに席を譲ったり。大したことはしていないけど、とにかく一日一善を続けました。

一生懸命やるのはスタートライン

最初は「五輪に行くための一日一善?」と不思議だったんですけど、大地さんが言いたかったのは、「応援される人間になれ」ということだと思うんです。

たとえばウサイン・ボルトが人間的にイマイチで、周りの人やファンが「あいつは嫌なヤツだから、金メダルを取ってほしくない」と思っていたら、実際に勝てないと思うんですよ。ボルトの強さは能力が9割だと思うけど、残りの1割は彼の優勝と記録を願うファンの力じゃないかな。競泳でいえば、2度の五輪で2冠を取った北島康介くんは、みんなに愛された選手なんだろうと思います。

だから、いつも子どもたちには「頑張ってない人は誰も応援しないよ」と伝えています。「頑張っているから応援してもらえるので、一生懸命やるのはスタートラインだよ」って。

為末大(ためすえ・だい=写真右) 1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度の五輪に出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2015年9月現在)。2003年プロに転向。2012年25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

為末大(ためすえ・だい=写真右)
1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権および2005年ヘルシンキ世界選手権において、男子400メートルハードルで銅メダル。陸上トラック種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。シドニー、アテネ、北京と3度の五輪に出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2015年12月現在)。2003年プロに転向。2012年25年間の現役生活から引退。現在は、一般社団法人アスリート・ソサエティ(2010年設立)、為末大学(2012年開講)などを通じ、スポーツと社会、教育に関する活動を幅広く行っている。著書に『諦める力』(プレジデント社)『走る哲学』(扶桑社新書)などがある

(聞き手:為末大、構成:川内イオ、撮影:TOBI)

*続きは明日掲載します

<連載「勝者の条件」概要>
スポーツほど、残酷なまでに勝敗のコントラストが分かれる世界は珍しい。練習でストイックに自分自身を追い込み、本番で能力を存分に発揮できて初めて「勝者」として喝采を浴びることができる。アスリートたちは一体、どのように自身を高めているのか。陸上男子400メートルハードルの日本記録を保持する為末大が、トップ選手を招いてインタビューする連載。5人目の今回は、競泳で2度の五輪出場歴を誇る伊藤華英。勝者になるための7条件、そして為末による総括を8日間連続でお届けする。
第1回:五輪落選の洗礼。恥を受け入れるか、否かが「成功と失敗の境目」