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ロードサイドチェーン店の出店戦略 ニトリ(4)

【ニトリ】競合店はニトリ自身。東京都心の地図も埋めていく

2016/2/15
家具・インテリア業界では珍しく、商品の企画、生産、小売り、配送までを垂直統合のモデルで展開して成長するニトリは今や国内379店舗、海外37店舗(2016年1月20日現在)を展開する。先週1月26日「グループ一体となり、さらなる改革のスピードを上げるため」経営体制の刷新を発表。2月21日付で白井俊之副社長が社長に就任、最高執行責任者(COO)となる。新体制の下、白井が具体的な戦略施策を実行し、似鳥は会長職として最高経営責任者(CEO)を兼務し、経営の方向性を定める役割を担うことになる。「立地と商品で売り上げの9割は決まる」というニトリは、どのように店舗を展開しているのか。ニトリの出店戦略を4回でリポートする。
第1回:シャープ本社ビルを取得。「そこにニトリがあるべき」だから
第2回:店舗開発も自前主義。リーマンショックで加速
第3回:中国の景気減速は出店チャンス。2032年1000店へ

品ぞろえを3000に絞った銀座店

2015年4月、「ニトリ プランタン銀座店」がオープンした。百貨店内初出店、しかも銀座とあって大きな話題となる。

平日午後のプランタン銀座店。女性の1人客、グループ客が目立つ。カートは押さず、ふらりと立ち寄っている。休日には熟年夫婦や若いカップルも見かけたが、ロードサイド店の常客である小さな子ども連れのファミリーは少ない。

「5年前なら銀座には出店できなかっただろう。見合う質の商品が少なかったからだ。都心出店は商品の品質向上と賃料の2条件がそろったからこそ実現した」と広報部マネジャーの玉上宗人。

プランタン銀座といえば20~30代の女性向けのファッション雑貨やアパレルがテナントとしてひしめくOLの店というイメージだ。

「似鳥(昭雄)社長の指示は『売れなくてもいいからおしゃれな店を作れ』だった」と店舗開発のトップ、須藤文弘は明かす。「約450坪、ロードサイド店の3分の1程度のスペースだが、什器(じゅうき)も低く、スペースもゆったり。売るものも厳選した」

従来店では1万品の品ぞろえを3000に絞り、ロードサイド店の売れ筋「99円食器」は置かない。店員のコスチュームもニトリカラーのグリーンでなく黒のポロシャツとシックにまとめている。

銀座進出と時を同じくしてニトリはインテリア用品や雑貨の新ブランド「ニトリクオリティライン」を発表している。大ぶりの高級造花、スタイリッシュな花器、刺しゅうがほどこされたクッションなど、シンプル路線のニトリのPB(プライベートブランド)とはテイストが異なる。

中心価格帯は3500円と、1000円前後とニトリとしては高額だが、都心のインテリアショップで買うのに比べればかなり手頃な印象だ。

銀座らしい高級ラインも取りそろえた。例えば、イタリアのNatuzzi(ナツッジ)というソファのブランドの下請け工場に作らせた革張りソファを13万円台後半で売る。「高級店の半額以下でしょう」と須藤は笑う。

狙い通り銀座店の客のお眼鏡にかない、ソファはヒット商品となった。ただし、担当者が付き添って説明する高級店とは違い、自分で店員を探すかレジまで行って購入希望を伝える「ニトリ流」は銀座店でも同じ。これに戸惑う客もいたという。

都市型出店はオムニチャネルの1つ

「売れなくてもいいから」という似鳥社長の号令で実現した銀座進出だが、「実際は売れちゃっている」(須藤)。

成功を聞きつけて全国のデパートから好条件の話が舞い込むなど、出店計画にも弾みが付いた。

「今は、あらゆる販売チャネルで商品やサービスを届ける“オムニチャネル”ばやりだ。オムニチャネルといえばネット通販と捉える向きもあるが、ニトリにとって都心進出がオムニチャネルの1つ」と玉上。

450坪の銀座店ではニトリの全ては見せられない。そこで“いいとこ取り”をする。来店した女性が「ほかにどんなものがあるんだろう? 休日、彼氏の車でニトリの大型店に行ってみようかな」という具合に、新たな顧客獲得につながることを期待している。

「47都道府県を制覇、車で30分の場所にはだいたい出店できた。気づくと都心にもニトリの商品を買ってくれそうな人がいた。世の中も少し変わっていた」(玉上)

1990年代後半、容積率が緩和されるなど建築基準法が一部改正され、都心に超高層マンションの建築が相次いだ。特に湾岸エリアを中心に若いファミリー層の入居が増えたが、いまだに都心は「手頃な値段で家具やインテリアを売る店」の空白地帯だ。

ニトリはデフレ時代に成長し、家具で価格破壊を起こしてきた。しかし競合他社が追随したことで「3万9900円以下のソファはすぐ見つかるが、7万~10万円の中価格帯のソファが家具市場で品薄になっていた」(玉上)

年収500万~800万円の客は家具、インテリアにこだわりも持ち、リーズナブルなだけでは買ってくれない。都心にはそうした中価格帯の家具やインテリアを求める客が多い。

ニトリのPB商品は、低価格帯8割、中価格帯2割の割合を保ってきた。2012年ころから中価格帯の割合を上げ低価格6:中価格4とした。それによって客単価が上がったことも、都心進出を後押しした。

2015年4月にオープンしたプランタン銀座店 (写真提供:ニトリ)

2015年4月にオープンしたプランタン銀座店 (写真提供:ニトリ)

「MUJIと売り上げ同レベルで粗利は上」

ニトリにおける店舗の採算基準は、店舗の年間売り上げが「坪あたり100万円」を超えていることだ。

そんな中「坪あたり年間300万円」の数字をたたき出す店舗がある。プランタン銀座店に2カ月先んじて、池袋の商業施設「アルパ」に出店した小型店フォーマット「デコホーム」の池袋サンシャインシティ店だ。

坪あたりの売り上げ年間300万円とは、業績良好が聞こえる「MUJI(無印良品)のレベル」だという。ニトリはMUJIと都市部の客を奪い合うことにもなるが「価格は安いが、粗利は絶対うちのほうが高いのでは(笑)」(須藤)

2011年に初出店した小型店デコホームは、都市部の客に向けて家具以外の小物を扱う新フォーマットだ。

池袋サンシャインシティ店は地下1階で、地下鉄有楽町線東池袋駅通路入り口前に位置する。通路の人の往来は激しい。店の入り口にはキッチン用品が置かれ、ちょっとのぞいてみたい気持ちを演出する。向かいは玩具店の「トイザらス」で、ベビーカーを押す若い夫婦が両店をはしごすることも多い。

デコホーム事業部マネジャーの小林克成(かつのり)は1997年に入社し苫小牧店など全国5店を経てデコホーム事業部へ異動。池袋サンシャインシティ店はオープン時から運営にあたっている。

広さ約200坪、プランタン銀座店よりさらに小さい店舗では、品数が置けないだけに売り上げアップには提案力が必要になる。例えばブラウンやホワイトというシックな色が売れ筋なのにもかかわらず、あえてビビッドな色も置く。

「デコホームは時間がない中で立ち寄る店です。仕事帰りに600円の赤いケトルを買う、そんな小さな冒険でお客様に元気になってほしい」(小林)

小林が予想外だったのはカーテンの売れ行きだ。池袋だけでなく駅近くの都心型店ではカーテンがよく売れる。

「オーダーカーテンが買える高級インテリアショップは多い。しかし予算が2万円となると、都心には気軽に買えるカーテンショップがなかった」(小林)

ニトリデコホーム池袋店は地下鉄の駅からも直結(写真:阿部祐子)

ニトリデコホーム池袋店は地下鉄の駅からも直結(写真:阿部祐子)

都心出店で気付いた「ニトリが遠い」客の多さ

池袋サンシャインシティ店の周辺には赤羽、成増といった大型のロードサイド店がある。地図で見れば、このエリアでの出店は十分なはずだ。

ところが開店3日間でメンバーズカードに1000組もの入会があり、店舗スタッフは驚いた。駅から遠いロードサイド店まではわざわざ行かない――。「ニトリが遠い」客が大勢いたのだ。

「車か電車か。来店手段という新しい切り口が生まれた。地図上では埋まっていても、行動パターンまで含めて把握できていないことに気付いた」(小林)

「『都心にはニトリみたいな店がない。あれば行ってみたい』という声が多い。MUJIにも総合スーパーにもデパートにもない『ニトリらしさ』を追求していかなければならない」(須藤)

「都市部への出店は、家具を扱うホームファニシングから、家具を扱わないホームファッションへのフォーマット変革と、ロードサイド店から都心型店への業態変革を一気にやろうとする試み。実験しながら走っている状態だ」(玉上)

ロードサイド店では用地取得、店舗の建築は自前主義だったニトリ。店子として商業施設に出店することは新たなチャレンジだけに、“実験”は続く。

「商業施設では商品の搬入・搬出、配送ともに時間制約が厳しい。交通渋滞でトラックが遅れたら店への搬入・搬出ができない事態も起こりうる。出店慣れしている他店はうまくこなしているようだが、物流面で恵まれているロードサイド店の感覚が残っている我々には戸惑うことばかり。まだ試行錯誤している」(小林)

「陳列、配置、配送までを考え、小型店でも適応できる商品開発も行う」と玉上。実際にニトリはベッドマットレスを圧縮して筒状にすることで縦横28センチ、高さ130センチのサイズの箱に梱包(こんぽう)し、車での来店客が持ち帰れるようにするなど、各所に工夫を凝らしている。

池袋サンシャインシティ店。都市部の客に向けて家具以外の小物を扱う (写真提供:ニトリ)

池袋サンシャインシティ店。都市部の客に向けて家具以外の小物を扱う (写真:阿部祐子)

狙いはニトリの「ブランド化」

ニトリは住友スリーエム(現スリーエムジャパン)本社の跡地(東京都世田谷区)を2012年に取得している。土地の取得額は100億円前後とささやかれている。現在着々と「ニトリ世田谷用賀店」(仮)の店舗建設が進む。

「(用賀は)都心の空白地帯を埋めるのに必要な場所だった。東日本大震災後の建築費の高騰で店舗建設を“塩漬け”していた」(玉上)

池袋、銀座が成功を収め、機が熟したと見た。建築費はまだ高いがいよいよ着工したというわけだ。

「都内をぐるりと1周できる環状線に出店する意味は大きい」。須藤は昨年12月の決算発表時にもそう語った。電車で来店する駅近くのデコホームのほか、ロードサイドの大型店も同時に増やして、都心の客をくまなく獲得していく。

「社内で須藤は嫌われているんですよ(笑)」と玉上。「また須藤さんがむちゃな出店を言い出したぞ、とね」

「私がニトリ(の店舗)を作らないと商品を売る場所がないからね。家電量販店やドラッグストアなら客の奪い合いが死活問題だが、ニトリの競合店はニトリ。いいことですよ、自社で戦う分には市場占拠率が上がるだけだからね。出店付近の既存店舗には緊張が走っているようですがね(笑)」(須藤)

都心出店で最終的に目指すのは、「ニトリのブランド化」だ。

MUJIもユニクロも、都市部に店舗を出している。海外からのインバウンド客もロゴを見ただけでコンセプトを連想する。ブランドが浸透するとはそういうことだ。

「これから海外に出ていくに際しても、ニトリという企業のブランディングが必要不可欠」(玉上)

須藤率いる店舗開発チームには今や商業施設から「歩率一本、固定賃料なし」といった好条件の出店依頼がくる。

「これからの東京都心の出店見込み? 池袋、新宿、渋谷のメガステーションは押さえたいね。進捗(しんちょく)? 私が出店するといったら出店しますよ」(須藤)

(敬称略)

(取材・構成:阿部祐子、編集:久川桃子)