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YKK吉田忠裕会長インタビュー 後編

YKK吉田会長が父から継いだ思い「世界に誇る6次産業をしたい」

2016/2/10
窓やサッシ、雨戸など数多くの住宅商品等を手がけるYKKグループは、本社機能の一部を富山県黒部市への移転した。この背景にはどのようなビジョンがあるのか、同グループ会長の吉田忠裕氏に話を聞いた。後編ではこれまでとトーンを変え、会長が黒部市で家族とともに経営するチーズ製造のエピソードが語られる。
前編:YKKの黒部移転。吉田会長が語る“東京に本社がなくていい”理由
中編:YKK吉田会長が語る、黒部のまちづくりを民間企業が行う意味

家族で作った最高のチーズ

──吉田会長は、ご自身が代表を務める吉田興産(黒部市)で山羊チーズの製造・販売にも取り組まれております。この会社はYKKからいっさい出資を受けずに、ご家族で営まれていると聞いてビックリしました。

吉田:初めて聞いた方はたいてい驚かれます(笑)。吉田忠雄は生前、日本の農業の行く末を憂いており、若いころから、「このままでは日本の農業が滅びる。農業の工業化を果敢に進めるべきだ」と警鐘を鳴らしていました。

忠雄は、工業化によって効率よく農業を進めることで、需給バランスを保ち利益を生み出す産業として推し進めることをつねに考えていたのです。

父の言葉を受け、「黒部で世界に誇る6次産業をやりたい」と思い立ちました。チーズが好きなこともあり、2011年に山羊10頭を飼育し、どうせならチーズの本場イタリアやフランスでも認められる一級品の山羊チーズを作ろうと、ファミリービジネスとして始めることにしたのです。

本格的に取り組むにあたり、4人の娘の1人に「チーズ作りの職人にならないか」と聞いたところ、歌手活動をしていた3女(吉田朋美氏・現プロダクツマネージャー)が手を挙げてくれました。「1年に1回か2回イタリアに行けるぞ」と目の前に人参をぶら下げたらガブッと食いついた(笑)。本当に嬉しかったです。

──交渉の仕方がうまいですね(笑)。

最良の山羊のミルクから、最高品質のチーズを作るべく、日本に輸入されたイタリアやフランスの山羊のチーズを片っ端から買い漁(あさ)ることから始めました。そして家内と朋美の3人で試食し、データベース化した。

朋美には「チーズ作りを教わる工房を選ぶときには、1番美味(うま)いと思ったところへ修業に行け」といって、イタリアにも足を運ばせました。ところが、これぞというチーズ作りの師匠は、なかなか見つかりません。

そんなとき、イタリアでチーズソムリエをやっている知人が、山羊のチーズのコンテストでトップクラスの賞を獲った職人が働くチーズ工房を教えてくれた。

データベースにはなかったチーズ職人で、われわれは「神様」と呼んでいます。彼に教えを請うことに決め、朋美は直接チーズ作りの手ほどきを受けました。

何度も試作を繰り返し、「神様」にも「いいんじゃないか」という太鼓判を押してもらい、ようやく本腰を入れて発売に向けて製造に入ることができたのです。

山羊の世話をする吉田忠裕会長

山羊の世話をする吉田忠裕会長

イタリアのコンテストで最優秀賞

──そのチーズの評判は……。

2014年10月の日本のコンテストに3品出展したところ、3品とも銀賞を獲得しました。1年目にしては、出来過ぎだと思いましたよ。

あまのじゃく気質な私は「これは日本のコンテストだろう。ヨーロッパで評価されなければ……」と、2015年5月にイタリアで開かれた山羊チーズ専門のコンテストにも出展しました。

結果、「リコッタ ラ・カプラ」が最優秀賞を獲得し、審査員からは、「口溶けがよく、山羊ミルクの豊潤さがそのまま伝わる味」と高く評価されました。

また、10日間熟成させて作る「カプリーノ」も優秀賞に選んでいただいた。おかげで富山県のマスコミが受賞のニュースを取り上げ、お客さまからの問い合わせが一気に増えました。

──チーズもファスナー同様に、消費者のために品質を追求した結果ですね。どのようにして販売されたのですか。

発売して最初の年は店舗もなく、ホームページを作り、ネット販売しました。富山県の石井隆一(たかかず)知事からは、2015年3月から北陸新幹線が通ることもあり、「富山県内の駅でも売ったらどうだ」と声を掛けていただきましたが、販売に人を回す余裕はありません。

そこで考えたのが、真っ黄色に塗ったワゴン車での販売です。町へ降りて行かず、「くろべ牧場まきばの風」内にワゴン車を寄せて売ることにしました。

販売員は搾乳やチーズ作りを並行して行なうため、土曜、日曜と祝日の午前11時から午後3時までの4時間限定です。あくまで空いた時間に入れ代わり立ち代わりワゴン車に座り、1人が担当して商品を売るようにしました。

私はなるべくワゴン車の傍(そば)でチーズを購入するお客さんを眺めるようにしています。たまに、「おお、YKKの会長がいる」と気付かれることもありますが、ジーンズにシャツとラフな格好をしているので、わからない人にはわからないでしょうね(笑)。

インタビューを終えて

経済記者としてニューヨークに3年半赴任していたが、この地に本社のある企業といえば、証券会社や銀行ぐらいだった。

マイクロソフトやボーイング、フォードなど世界の名だたる大手企業の多くは、「地方」に本社がある。

「本当に東京に本社を置く必要があるのか」。吉田忠裕氏の発言で私は考え込んだ。とくに印象深いのは、黒部市へのこだわりだ。

「他人の利益を図らなかったら、自らは栄えない」。創業者・吉田忠雄氏がお気に入りのアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの言葉である。忠雄氏はこの言葉を「善の巡環」と称し実践した。

それは利益を会社が独り占めするのではなく、取引先や顧客と共有していく考え方だ。この経営哲学は忠裕氏の代でも引き継がれている。インタビューで語られた黒部市への貢献も「善の巡環」そのものであろう。

(聞き手・構成:ジャーナリスト 出町譲、バナー写真:吉田和本)